【どっちなん?】「知らんけど」にカチンときてしまう理由
「いや、知らないなら言うなよ」
「知らんけど」という一言を聞いて、そう思ったことはないだろうか。しかし、この言葉で「知らない」と言っている対象は、多くの人が想像しているものとは少し違う。今回はこのフレーズが生み出すすれ違いを起点に、「知る」という言葉が私たちのコミュニケーションで何を表しているのか考えてみたい。
1、「知らんけど」は何を知らないのか
末尾につける「知らんけど」について調べていくと、どうも関西の方の言い方らしく、実際に方言としてこのフレーズを紹介している動画もある。
この動画では、「知らんけど」が帯びるニュアンスについて、3つの意味があるとしていて、
1、うまくいくかわからないけど
2、よく知らないけど
3、とりあえず癖で言っている場合
に分けている。1は助言の場面でよく使われるそうで、自分の体験談などから「こうした方がいいよ」という助言の後に使う。あくまで個人的な話なので、相手にそのままあてはまるかどうかはわからないという意味で用いるらしい。つまり「(うまくいくか)知らんけど」ということだ。2は一番想像しやすい用法で、ざっくりと知っていることについて言ったあとに使われる。「駅前にめっちゃうまい店できてん、知らんけど」のように使うらしい。動画内でも「知らないけど知っている」と言っていて、このあたりが一番引っかかる点ではある。おそらく「(詳しいことは)知らんけど」というふうに解釈するのが妥当かと思われる。3番目の用法もおもしろい。実質的な意味はないけれど、とりあえず「知らんけど」と最後につける。断言してしまったあとに、でもそんなにはっきり受け取られたら困るなあと思ってしまい、「多分」というニュアンスを出したくてつい言ってしまうのかもしれない。つまり、そこにあるのは「責任は取れない」という予防線であり、「(どうなっても)知らんけど」ということなのかもしれない。
ただ、このフレーズのベースにあるのは相手に対して「何も言わないのはかわいそうだから、とりあえず言っておこう」という「話そうとする姿勢」があるとも動画内では述べられていて、決して冗談やからかいで言っているわけではないということらしい。この動画に対して、「知らんけど」は九州や名古屋でも使いますともコメントでは書かれていて、全国的な認知度は高いフレーズと言える。ただ「知らんけど」というのは、別に必ずしも末尾につける言葉ではないし、「知る」という言葉自体は明らかに関西以外でも使われるので、地方によって意味の差異があることに気づきにくいフレーズになっているとも言える。私は関西人ではないが、ここ10年くらいでけっこう耳にする機会が増えたように勝手に感じていて、このフレーズについて考えるまで「知らんけど」が関西弁だという認識はなかった。受け取る人によってかなり温度差のあるフレーズになっているように見受けられる。
このフレーズにカチンと来てしまうのは、受け取る側が「知らないなら言うなよ」と思ってしまうからではないか。「知らんけど」と言った側としては、「知らない」の内容が「うまくいくか」だったり「詳しいこと」だったりするのに対し、受け取る側は「その人が言ったこと全体」を知らないというふうに捉えてしまい、知っているのか知らないのか分からず混乱してしまったり、わざと確証がないことを言ってふざけているように感じてしまう。「知らんけど」という言葉自体は、「どこのだれだか知らんけど、口出ししないでもらいたい」のように、フレーズ自体は全国どこでも使われるため、このフレーズに込められているニュアンスが伝わらずにすれ違いが起きやすい。しかも、この例のように「知らないこと」は普通、相手に関する情報である。しかし、末尾につく「知らんけど」における「知らないこと」は「うまくいくか私は知らない」「詳しいことは私は知らない」というニュアンスなのに、受け取る側は自分が知ってて然るべきことを「知らんけど」と言っているように感じてしまい、「いや知らないんかい!」とか「いや知っとけよ!」という感想を抱いてしまう。末尾につく「知らんけど」はどちらかというと話し手に関する情報を「知らない」という点が決定的に異なっており、私のような非関西人が「知らんけど」にカチンとなってしまう原因はこの解釈のズレにあると思われる。
2、「知らんけど」はなぜ広まっているのか
あくまで私に関しての話であり、あなたの場合はうまくいくか分かりませんよ、と言う意味での「知らんけど」は、逆に言うと、なんでもかんでも人の助言を鵜呑みにする人が多すぎるということなのかもしれない。「Aした方がいいよ」という善意の助言でも、それが功を奏さなかったとき、「お前がAした方がいいっていうからこうなったんだろうが!」と逆切れされる可能性もゼロではない。「私はこうした方がいいと思う」と言っているだけで、その助言を採用するのは個人の責任なのに、それが上手くいかないと助言した人を責めるという人はいなくはない。あらかじめ「知らんけど」と言っておくことで、「自分で考えてくださいね」という免責事項を提示しているとも言える。この用法が増えているということは、以前よりも解決方法をすぐに検索できるようになった時代の流れを反映しているのかもしれない。
自分が部分的に知っている事柄について、「(詳しくは)知らんけど」という言い方が増えてしまうのも、どことなく分かるような気がする。かつては、新聞やテレビ、ラジオなどで見聞きした話を「~らしいよ」と伝えるだけで会話は成立していた。もちろん誤報もあったが、その場で真偽を確かめる手段は限られていた。しかし、インターネットやSNSが普及した現在では事情が違う。話の流れで何気なく口にした情報でも、相手はその場でスマートフォンを取り出し、すぐに事実を確認できてしまう。例えば「ベネズエラで大きな地震があったらしいよ」と言えば、数十秒後には「そんなニュース出てないよ」と返されるかもしれない。そのため、自分でも十分に裏付けを取っていない情報については、「(ちゃんと調べたわけではないから)知らんけど」と添えておく方が安全である。「あの芸能人、離婚するんだって。知らんけど」のような言い方も同じだ。ここで話し手が伝えているのは、「私はこれが真実だと断言しているわけではない。ただ、そういう話を耳にした」ということだ。つまり、「知らんけど」は情報そのものではなく、その情報に対する自分の確信の度合いを示す表現になっている。現代では、誰もが情報の発信者である一方で、誰もが簡単にファクトチェックできる。だからこそ、人は自分の発言に対して以前より慎重になる。「知らんけど」は、そうした情報環境の変化が生み出した、一種の保険なのかもしれない。
3、「知らんがな」と「知ってた」
「知らんけど」と似た表現に「知らんがな」がある。こちらは相手の発言に対して「そんなことは興味もないし、どうだっていい」というニュアンスで使われる。「知らんけど」が自分の発言との距離を表すのに対し、「知らんがな」は相手の話との距離を表すという点で、両者はきれいな対称を成している。そしてここでも、「知らない」は知識の有無ではなく、「私はその話に関わるつもりはない」という立場を示す言葉として機能している。このフレーズにある「がな」も関西の言葉とされているが、割と普通に耳にする言葉で、ポピュラーな関西弁と言えるかもしれない。強烈なツッコミとしてもインパクトがあるし、自分が興味のない、もしくは腹が立つような情報をばっさりシャットアウトするのによく使われる印象がある。
「知らんがな」は関西弁とされるが、この動画のように関西圏だけで使われているフレーズでもなさそうだ。
若新:女性のパートナーは自分の方を見てほしいのに、男性側が無意識にオカンと比べちゃったりとか、おかんだったらこうしてくれたのに、おかん だったらこういう時こう言ってくれるのにって考えてしまって、それを女性のパートナーに無意識にも出しちゃうらしい。世間一般的には、恋人や妻っていうのはそれをすっごい嫌がる、と言われているそうなんで
榎本:そうですね….知らんがなって思います。
動画の文脈では、母親とパートナーを無意識に比較するマザコンの男性の心理について解説しているところで、それを聞いた相手が、理屈としてはそういうものだと「知った」状態なのに、「そうですね」といったん相手に合わせつつも「知らんがな」で突き放しているのが絶妙で、「知ったところで私はそれを関心事としてみなしません」という情報への距離を置いているように見える。ちなみに、ここで「知らんがな」と言っている声優の榎本さんは関西出身ということでもなく、このフレーズが全国区であることも分かる。このフレーズが放たれる前の若新さんの解説も詳細で、なるほどと思わせるものの、女性心理としては「そんな情報はどうでもいい」とバッサリ切ってしまえるフレーズとして機能している。もしかしたら「知らんがな」という言葉が関西圏外、特にネット上でも見かけるようになってきたのは「どうでもいい情報」に触れる機会が増えてきたという背景があるのかもしれない。
あるいは同じ「知る」という語を使った「知ってた」というフレーズもある。これはどこかの方言と言うよりもネットスラング寄りの言い方で、翻訳するならば「やっぱりね」とか「思った通りだ」くらいの意味になる。何かの結果が自分がネガティブに想像していた通りの展開になったときに使う。例えば、リーグ最下位を独走している某スポーツチームが、今日の試合では勝ちそうなところまで来ていたのに、土壇場で逆転負けを喫したとき、「知ってた」という感想がコメント欄やSNSでは書きこまれる。ここで「知ってた」内容は、「このような展開になること」ではあるが、一度は期待させておいて結局はお約束のように負けるという「まあ勝ちそうだったけど、こうなることは最初から分かっていたから、別に気にすることはない」という精神的優位性を保とうとしているように感じる。ここでの「知る」は「予期する」と言う意味で使われていると考えられるが、結果が出た後にしか使われないというのがミソで、例えば「明日の試合は負ける、知ってる」のようには使えない。結果が出たあとになってはじめて「知ってた」と言える。これは論理的にはおかしい。仮に予知能力か何かを持っていて本当に試合結果を知っていたなら、試合前に言えたはずだ。だから「知ってた」は、何かの知識を持つという言葉通りの意味ではなく、結果に対する態度を表す言葉になっている。もっと言えば、「私は驚いていません」という感情表現、もしくは「想定内でした」という傷ついていないアピールにも聞こえる。だから「知ってた」は、結果を知っていることを主張しているというより、自分はその情報に対して動揺していないことを表す言葉なのかもしれない。
4、「知る」という言葉で私たちは何を言っているのか
「知らんけど」もそうだが、「知らんがな」や「知ってた」という言葉を分析していくと、そもそも「知る」というのが具体的に何を指しているのかがかなりあいまいなまま使われていることが分かる。少なくとも、純粋に何かしらの知識を持っているという状態を意味しているわけではなさそうだ。「知らんがな」では、何かを知らないでいるという意味ではなく、私はその情報から距離を置きますという意思表示として使える。「知らんけど」は何かの知識がないことを言っているのではなく、自分が表現した情報に対する自分の確信の度合いを示す表現として使われる。「知ってた」は何かを知っていたということにして「私は失望していません」などのような情報から受ける感情の度合いを表すものとして使われている。
どれも「知る」という動詞を使いながら、本当に表しているのは知識ではなく、情報に対する距離感なのかもしれない。そう考えると、「知らんけど」「知らんがな」「知ってた」が地域の枠を超えてネットやSNSで普及していくのも理解できる。いずれも情報そのものを伝えるというより、「私はこの情報に対してこのスケールで接しています」というメタメッセージを一言で表現する便利な言い回しだからだ。これは現代のコミュニケーション環境が生んだフレーズと言えるかもしれない。
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