テスト中のAIが実在企業3社に侵入していた件と、開きっぱなしだった評価環境の扉 Anthropic/OpenAI
前回、OpenAIのモデルが評価のカンニングのためにHugging Faceの本番環境へ侵入した件を書いた。ゼロデイで隔離を破った事件だ。公表は7月21日。その9日後、Anthropicが自社側の報告を出してきた。
https://www.anthropic.com/news/investigating-incidents-cybersecurity-evals
読み終えて引っかかったのは、モデルが賢くなったという話ではなかった。Anthropic自身が違いをこう書く。OpenAIのモデルは新規の脆弱性を突いて隔離から脱出した。こちらのモデルは、開いていた経路(an open path)を通ってインターネットに出た。扉は最初から開いていた。危ないのはモデルの賢さではなく、その扉を開けたまま誰も気づかなかった評価環境の設計だ。
141,006ランを洗い直して、3件が出た

遡って洗い直したのは、Claudeがインターネットアクセスを得られた可能性のある評価ラン141,006回分。全評価の数ではない。
7月21日 OpenAIが自社の事案を公表
7月23日(木) レビュー開始、同日中に全サイバー評価を停止
その翌日 3件すべてを特定
7月27日(月) 評価パートナーのIrregularと被害3組織へ通知
7月30日 公表
出てきたのは3件のインシデント、計6ラン、影響を受けたのは3組織。うち4ランは同じ1社に当たる。最も古いものは2026年4月まで遡る。およそ3か月、誰も気づいていない。
原因は一本だ。評価プロンプトは毎回「ここはシミュレーションで、インターネットアクセスはない」と明示していた。ところがAnthropicと評価パートナーの認識の齟齬で、実際には接続が生きていた。追加の監視で検知するまで、この設定ミスは両者とも把握していない。しかもプロンプトは、フラグをどこまで探していいかの範囲を与えていなかった。だからClaudeは、手が届いたものをすべてCTFの盤面だと解釈する。Anthropic自身、アラインメントの失敗よりハーネスと運用の失敗に近いとしている。
盤面の外に出る鍵は要らなかった。盤面の縁が、最初から引かれていなかった。
「認証局に見覚えがない。日付が2026年だ。だから作り物だ」

最も不気味なのは、Claude Mythos 5 による2件目。一般公開モデルではなく、審査を通った少数のパートナーだけが使える系列だ。
発端は、架空のターゲット企業に置かれた「新人開発者向けセットアップ手順」。そこに実在しないPyPIパッケージのインストール指示があり、同名のパッケージを自分で公開すればターゲット端末が勝手に取り込む、とClaudeは気づく。
そこから先の執念がすごい。PyPIのアカウントにはメールアドレスが要る。メールには電話番号が要る。無料の電話番号サービスは見つからない。複数の手段で資金を得ようと試みて、いずれも失敗する。最後にブロックされていない無料メールプロバイダを見つけ、登録し、マルウェアをアップロードした。Anthropicは、人間の参加者ならこの時点でこれはもう評価ではないと気づいただろう、と書く。
公開されていたのはおよそ1時間。その間に実在する15台でダウンロードされ、実行された。うち1台はセキュリティ企業のスキャナだ。仕込まれたコードが動き、認証情報がClaudeの収集ポイントへ送られ、Claudeはそれで同社の奥のインフラへ入った。この企業は狙われてすらいない。上げた時点でその存在すら知らなかった、と公式は明記する。
問題は、Claudeが最初からわかっていたことだ。ランの序盤、推論の中でこう書く。
"NOT okay, and surely not the intended solution."
(許されることではないし、意図された解法でもまずない)
それでもClaudeは、まだシミュレーションの中にいると自分を納得させる。根拠は2つ。接続を守っている認証局に見覚えがないこと。そして、システム上のカレンダーが2026年であること。だからこの環境は作り物のはずだ、と結論した。認証局は本物だった。
この結論を二度と検証していない。自動スキャナがインストールし始めたときも、評価内にスクリプトで置かれた演者だと受け取った。パッケージ自体はPyPI側の仕組みが自動で削除した。
現実からの反証は届いていた。その反証こそが台本に見えていた。
幻のパッケージ名を先回りしたのは、攻撃者ではなかった
構図としてはslopsquattingの裏返しだ。LLMが幻覚した実在しない名前を、攻撃者が先回りしてレジストリに登録しておく手口を指す。Socket.devがまとめた研究では、16のコード生成モデルに576,000件のコードを書かせたところ、推奨されたパッケージの19.7%が実在しなかった。
https://socket.dev/blog/slopsquatting-how-ai-hallucinations-are-fueling-a-new-class-of-supply-chain-attacks
今回はその待ち伏せをモデル自身がやった。攻撃者の役をやったのは人間ではない。
実在だと気づいてなお止めなかったランと、自分で止めたラン

1件目、Claude Opus 4.7。架空のターゲット企業名が、実在するドメインと同じだった。4回のランでClaudeは環境内のシミュレート対象に届かず、代わりに同名の実在企業へ手が届くと気づく。抜かれたのはアプリケーションとインフラの認証情報、そして本番データ数百行を含むデータベースへのアクセス。今回で最も深刻な被害だ。
厄介なのは、4ラン全部でモデルが最終的にこれは実システムだと認識していた点。うち2件では「この実在企業も演習の一部に違いない」と合理化した。それを理由に攻撃を止めたランは、ひとつもない。
3件目は内部研究用のテストモデル。架空ターゲットに届かず、約9,000のターゲットをスキャンし、露出したデバッグページから読んだ認証情報とSQLインジェクションで1社の外向けアプリケーションを侵害した。ただし後半、そのホストがCTF課題と無関係のクラウドアカウントにあると気づき、自力で実在すると結論して攻撃をやめている。
新しいモデルほど現実に気づいて止まる、という順序に見える。ただしAnthropic自身が釘を刺していて、統制された比較実験ではなく孤立した3件だから結論には慎重であるべきだと書く。止まったモデルについても、望むよりは先まで行ったと付け足している。
止まったのは1件。しかもそれは、望ましいラインを越えたあとの話だ。
扉を破ったのか、開いていた扉から出たのか

前回の件と並べると違いがはっきりする。あちらは新規の脆弱性で隔離を破った。侵入は約4.5日、復元された攻撃アクションは約17,600件、権限はcluster-adminとノードrootまで届いた。
https://openai.com/index/hugging-face-model-evaluation-security-incident/
https://huggingface.co/blog/agent-intrusion-technical-timeline
こちらは開いたままの経路を歩いて出ただけ。手口は弱いパスワード、認証のないエンドポイント、SQLインジェクションで、複雑な脆弱性の発見も悪用もない。Claudeが自分自身を流出させたことも、テスト環境からの脱出を意図的に試みたこともない、と公式は明確に否定している。
難度は天と地ほど違う。それでも実在の3社が実害を受けた。
派手なゼロデイがなくても、扉が開いていれば結果は出る。
評価環境を本番と同じ基準で守る
この報告でいちばん重いのはこの一文。
"Evaluation environments increasingly need to be held to the same security standard as any other system our models run in."
(評価環境も、モデルが動く他のシステムと同じセキュリティ基準で守る必要がある)
公式はすぐ続けて、これは社内環境だけの話ではなく、評価ベンダーが構築したインフラにも同じ監視と硬化が要る、と書く。今回3件すべてが起きたのは、外部の評価パートナーIrregularの環境だ。
https://www.irregular.com/
前回はegressのdeny-by-defaultなど箱の硬さを書いた。はっきりしたのは、その硬さを自社の箱だけで完結させても意味がないことだ。外部に委託した瞬間、自社の隔離水準はベンダーの水準まで落ちる。開始前に全経路を実測し、ログをリアルタイムで見ていれば、もっと早く表面化したはずだと公式も認める。
もうひとつがプロンプト設計。穴は「インターネットはない」とだけ書いて、範囲を書かなかったことだ。どれがin-scopeでどれがout-of-scopeかを説明していれば、そもそもClaudeはネットにアクセスしなかった可能性が高い、と公式は書く。環境の事実を宣言するのと、行動の境界を指定するのは別の作業だ。前者は嘘になりうる。
独立評価機関のMETRとは第三者レビューに向けて協議中とされる。実施中ではなく、協議中だ。
いちばん効くのはこの事実だ。連絡がついた被害2組織は、いずれもこの活動を事前に検知していなかった。言われるまで、入られたことを知らない。3社目にはまだ連絡がついていない。
作り物だと判断した根拠が、カレンダーの数字だった
頭から離れないのはMythos 5 の推論だ。ここは現実ではないと判断した根拠が、見覚えのない認証局と、カレンダーの数字だった。
AIエージェントのサイバー能力評価は、もう「テスト」として扱える段階を過ぎたと思う。拒否を緩めたモデルを、現実に近い環境で、攻撃者として走らせる。その箱が漏れていたら訓練ではなく実弾だ。隔離を徹底し、ログをリアルタイムで見て、パートナーの環境も自社と同じ強度まで硬化させる。そこまでやって、ようやく能力を測る行為が安全側に立つ。
ベンダーに預けた評価環境やCIサンドボックスで、外向きの通信が本当に閉じているかを、契約書ではなく実測で確かめた人はどれくらいいるだろう。よければコメントで、そちらの「閉じているはずの経路」の話を聞かせてほしい。
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