センサーが増えるほど、世界は遠くなる気がした
文:宇都宮茂(enmono株式会社 CTO / zenschool共同主宰者)
MONOistに掲載された、ファナック常務執行役員・安部健一郎氏へのインタビュー記事に目が止まった。
MONOistの記事から
「AWS Summit Japan 2026」のセッションに登壇した安部氏が、合同取材に応じた記事だった。フィジカルAIへの向き合い方、AWSとの協業、ロボットの制御性、ソフトPLCなど、テーマは多岐にわたっていたが、読んでいて印象に残ったのは次の3点だった。
安部氏は「フィジカルAIを作ろうとしているわけではない」と繰り返していた。人手不足という現場の課題があり、それを解決する手段としてセンシングとAIを組み合わせていったら、結果的に「フィジカルAI」と呼ばれるようになった、という順序だという
「ルールベースで解決できるなら、AIより先にそちらを検討する」という趣旨の発言もあった。AI万能論ではなく、適材適所という姿勢
オープン化にあたっては、AIが暴走してロボットや人を傷つけないよう、1ミリ秒の超高速制御でロボットコントローラー側が動作を補正する仕組みを作り込んだという。AIを信用しきるのではなく、制御層で受け止める設計
これを読んで、ChatGPTと少しやり取りをした。自分の問いをそのまま投げてみた。
思索の始まり
テスラや中国勢のスピード感を見ると違いを感じてしまう。アクチュエーターが物理世界とAIという頭のボトルネックと思ってたので安心感はある。
ChatGPTは、テスラ・中国勢を「高速学習OS」、ファナックを「堅牢な現場OS」として対比してみせた。テスラや中国勢はまず大量に出し、壊れながら学習する。ファナックは壊れないこと、止まらないことを優先し、AIを直接ロボットに委ねず、制御層で受け止める。
AIの身体観そのものが違うのではないか、とも言った。テスラや中国勢は「AIが身体を獲得する」ように見え、ファナックは「身体の側がAIを受け入れる」ように見える、と。
そのうえで、「AI時代の主役は、モデル企業ではなく、身体を知っている企業になる可能性がある」と踏み込んできた。ただし条件がある。身体を知っているだけでは遅い。AIだけでは危ない。高速に学習するAIと、壊れない身体と、それを安全に変換する制御層。この3つの掛け算が勝ち筋ではないか、という仮説だった。
エネルギー源としての「食事」
あと人間だとエネルギ源は食事になる。ファナックは自立して動き回ることまで想定してなさそう。COロボットでも無さそう。
ここで面白い整理が返ってきた。ファナックが想定している「身体」は、工場に固定された身体だという指摘だった。
工場全体を一つの生物と見立てると、ロボットは腕、NCは小脳、PLCは神経、コンベヤは血管にあたる、という。ロボット単体で生きることは、そもそも想定されていない。
一方でヒューマノイドは、歩き、働き、充電し、移動し、人のいる環境に入っていく。そうなると身体そのものが環境と循環し始め、そこで初めて「生態系」が問題になってくる、とChatGPTは続けた。
正直、ここまではまだ「なるほど」くらいの受け止め方だった。
人間は米を食べる。AIは電気を食べる。ロボットは電池を食べる。工場ロボットは工場そのものを食べる。それぞれ「食べているもの」が違う、という視点は、その後の思索の伏線になった。
「思索が浅い。手抜きしてる」
一度、こう返したことがある。
思索が浅い。手抜きしてる。
素直な反応が返ってきた。記事の整理に寄ってしまい、こちらが探ろうとしていた「構造」に降りられていなかった、と。そこから、もう一段深い話になった。
ロボット工学の標準的な流れは、知覚→世界モデル→判断→制御→アクチュエータ→世界、という一直線の流れである。しかし生命を見ると違う。エネルギー→代謝→身体維持→知覚→判断→行動→エネルギー獲得、という循環になっている——ChatGPTはそう整理し直した。
ファナックには、この循環がない。工場から電気が来て、保守員が来て、部品交換され、壊れたら止まる。つまり「生命になろうとしていない」。その閉じた設計だからこそ、安心感があったのではないか、という指摘だった。
そしてもう一つ。人間もAIも「食べている」という見立てが、ここでもう一度出てきた。GPUの電力、学習データ、クラウド、通信、保守。今起きている競争は、LLM競争というより、知能・身体・エネルギー・環境・保守・製造・学習という、生命の構成要素を誰が押さえるかという競争なのかもしれない、と。
NCは「身体を制御するOS」であり、テスラが持っているのは知能寄り、ファナックが持っているのは身体寄り。競争しているように見えて、実は生命の別々の器官を作っているのかもしれない、というところまで話が進んだ。
反応速度の話

あと反応速度のこと言ってたと思う。でも元々脳で考えてたら反応は遅いんだよね。
MONOistの記事では、安部氏が1ミリ秒の超高速制御を繰り返し強調していた。だが人間と比較すると、違う景色が見えてくる、とChatGPTは言った。
例えばテニス。速いサーブは時速200キロを超える。人間は「見る→脳で考える→腕を動かす」では間に合わない。身体が先に反応している。熱いものに触れて手を引っ込めるのも、脳で理解する前の脊髄反射だ。
今のLLMは「見る→考える→答える」という順番で、原理的に遅い。ロボットの世界では「見る→1ミリ秒制御→動く」が必要になる。知能が高いほど遅くなり、反射は速い、という逆説がここにある。
きれいにまとまりすぎている気もしたが、次の一言で見方が変わった。生命は「意識・無意識・反射」という階層を持っている。ファナックの記事も同じ構造だった。AIが命令し、1ミリ秒制御がそれを補正する。AIより下位に、反射神経の階層がある——そう聞いて、思い出したことがあった。
以前から「AI時代ほど肚が重要」と言ってきたが、あの時は精神的な話のつもりだった。ChatGPTは「肚とは、考える前に動ける階層なのではないか」と返してきた。これまで「肚」という言葉で語ってきたものが、少し違う輪郭を持ち始めた瞬間だった。


センサーが増えると、統合がボトルネックになる

ファナックはセンサー技術スゴいなとスズキ時代から思ってた。五感全てとはまだまだ行かないけど研究レベルでは少しずつ進んでる。でもセンサー増えると統合がボトルネックになってくる。
ここが、この対話の中でいちばん深まった一手だった。
人間も同じである、とChatGPTは応じた。視覚・聴覚・触覚・前庭感覚・固有感覚・内臓感覚、いろいろな感覚があること自体は昔から変わらない。重要なのは、それらが一つの世界として見えることだ。
つまりボトルネックはセンサーの性能ではなく、その上位にある統合のプロセスにある。
テニスを例にすると分かりやすい、とChatGPTは言った。ボールを見て、ラケットの重さを感じて、風を感じて、相手の姿勢を見て、観客の音も聞こえている。でも意識に上るのは「テニスをしている」という一つの感覚だけだ。脳は五感を足し合わせているのではなく、消している。
だとすれば、AIの未来もセンサーが100個になることではなく、100個あることを忘れられることなのかもしれない——ChatGPTはそう言った。
肚もそうだ。情報量を増やしているのではなく、大量の情報を一つの感覚に圧縮している。「なんとなく違う」「今日は危ない」という感覚は、その圧縮の結果として立ち上がる。
メディアへの違和感
フィジカルAIという言葉が先行してて、自分は興味深く追いかけてるけど、メディアの騒ぎ方が違和感を感じる。専門メディアをゆっくり読み込まないと関心が満たされない。
メディアは「名前」を報じている。現場は「変化」を積み重ねている。この対比が、今回の一連の対話をよく表している気がする、とChatGPTは返した。
メディアは、フィジカルAI・AGI・ヒューマノイドといった新しい言葉を中心に記事を書く。安部氏が話していたのは、1ミリ秒制御、ソフトPLC、NC技術、安全補正、データ共有、デジタルツインという、何十年も積み上げてきた技術の延長線だった。
一般メディアが「出来事」を伝えるとすれば、専門メディアの良いインタビューは「設計思想」を伝えることがある。専門メディアを読み込んでしまうのは、ニュースではなく、その設計思想の部分に反応しているからなのだと思う。
MONOistの記事一本から、ここまで話が転がるとは思っていなかった。三木さんのようにディープリサーチと文献を積み上げて骨太に組み立てるタイプではなく、目の前の記事に反応しながら、対話の中で少しずつ輪郭を見つけていくのが、自分のやり方らしい。
センサーが増えることは、進歩ではないかもしれない。増えた情報が、一つの世界として立ち上がること。人間は昔から、それを当たり前のようにやってきた。AIが生命に近づくというのは、知能を増やすことではなく、「統合とは何か」をもう一度問い直すことなのかもしれない。
まだ、ここから先がある気がしている。
似たようなことを、前にも考えていた気がする
こういうふうに、一つの記事から考えを転がしていく過程そのものに興味がある方は、こちらものぞいてみてほしい。
