わたしのまわりの、つじつまの合わない人びと(1)真夜中の勇者は血まみれの何かを捧げ持つ
1.煙に溶ける門番兵
わが家には、まともな歯を持っている大人が一人もいなかった。
いや、詳しく言えば「わたしが育てられた家では、自前の立派な歯を持っていた人物がいなかった」である。
わたしの生みの両親は、それはそれは立派な歯をしていた。
まあ、おばば(養父の母)は許す。明治生まれだったし、わたしが子供の頃すでに80歳を軽くオーバーしていたから仕方がない。
あの時代の人にしては、立派な入れ歯をしていたのだ。合格だ。
さて、歯がない理由ダントツでおかしい筆頭は養父だ。

その口内は、なぜか犬歯だけがポツリと孤独に残るわびしい空間だった。養母は忌々しそうに「あんなもん吸うからじゃホントバカ」と吐き捨てていた。
当時の私は、それを文字通りに受け取っていた。私が知っている「父ちゃんが体に取り込んでた、体に良くなさそうなもの」といえば酒とタバコだ。
だが養母は「吸う」と言った。ならばタバコなのだろう、と純真なわたしは信じた。
今ならわかる。絶対に、タバコではない。
我があばら家は冬でもないのに、一年中、不思議な刺激臭が漂っていた。車もないのに。とりあえずなんかやばいやつを吸っていたのかもしれん。あんなに過酷な暮らしの中、養父は結構ウットリしていた。
それは置いといて。
コーラで骨が溶けるという噂を信じる、純朴な子供だった私。
養父の歯も大量のタバコにさらされて、ドロドロに溶け落ちたのだと本気で信じていた。ヤニの脅威、恐るべし。
養父の謎は、私の中で「自業自得」「あかんことしたから、バチあたったんだ」ということで落ち着いた。
2.真夜中の勇者
一方で、養母はどうか。
養母は、タバコも酒もやらない。ちなみに炭酸もろくに飲めない。
それなのに。
養母の口にも、いつの間にか「更地」が広がっているように見えた。春にはあったはずの歯が、夏にはない。アハ体験とはこういうのをいうのだろうか。
当然私は気になって仕方ない。私の記憶が正しいのか、見間違いなのか。気になったなら即、確認せねばならぬ。そうでなければ気になって宿題どころの騒ぎではない。
「口あけて見せてよ」
私が迫ると、いつもはガサツに大口を開けて笑う養母が、その時だけは急に口元を隠して「おほほ」と淑女のように笑って誤魔化すのだ。

記憶をたどる。
そういえば、養母の口の中に「白いもの」が存在していた覚えが全くない。どちらかと言えば真っ黒。
私は問いただしたが、養母は「お歯黒だ」と、時代錯誤な主張を始めた。
しかし。
その不自然な振る舞いこそが、深夜に執り行われる「怪しいイベント」への入り口だった。
◇
ある夜、母が枕元に「正露丸」と「今治水」、そして山のような新聞紙を並べた。
私は嫌な予感がした。腹でも痛いのか?「正露丸」があるからな……しかし、「今治水」の用途はよくわからない。そして、枕元に念入りに新聞紙を積み上げるということは。間に合わない危険性があるということである。
当時の我が家のトイレは、屋外にあったのだ。(風呂はない)
今夜吐く気か?
尋ねてみた。
「それどした、どっかつらいんか」
「いや、腹が痛くなるかもしれんと思って」
「また、一週間前に期限切れた牛乳試したな?」
私は睨みつけながら聞いた。学校から帰ってきたとき、牛乳パックを見ながら「どうしたものかな」とつべこべ大分長い時間悩んでいたのを知っているからだ。

(痛くなるかもしれんって思うなら飲むな!)
養母は、食べ物の期限切れに異様に寛容だ。
「昔は食べられるだけで幸せやったんや!」
それはわかる。
「期限切れなんて、食べて腹痛くならんかったら大丈夫やし、痛くなったら腐ってたってことや」
私は「やかましいわリトマス」と思ったけど言わなかった。
ときどき母は勇者になる。でも結構負ける。そんな勇壮なこと言っときながら、その翌日から3日間ほど吐き下しの刑にあっているのを、年に数回は見てきているのだ。
今夜も母は、もしかしたら負けるかも。
でも、装備(新聞紙)や持ち物(薬)を整えているところを見ると、レベルが上がったっぽい。
でも本当は無駄な戦いをしてほしくない。私の平穏な夜のために。
そう思いながら私は布団に入った。
3.丑三つ時の解体ショー
深夜、丑三つ時。
暗闇の中から地を這うような唸り声が聞こえてきた。
「……ンンング……アグアア……」
布団の隙間からそっと覗いてみた。
枕もとの明かりに照らされ、向こう向きの母が背を丸めて伸びたり縮んだりしている。
闇夜の逆光の中、それは妖怪のように見えた。しかし目が慣れてくると、実態が炙り出しのように現れ出てきた。
「母ちゃんが吐いてる!」(間違いない)
そう思ったが、助けを呼ぶことはできなかった。
うちの母は、具合が悪いことを隠す(隠しきれていないのだが)。
つまり「病院」を極端に嫌い、病気と気づかれたら連行を恐れて「なんともない!」と激昂するタイプだったからだ。
受診を勧められるのが怖くて、トイレですら吐けない。だから迷惑なことに、いつも間に合わずそのへんでやる。かつて点繋ぎのようにいろいろなところでやられた時は、幼いながらも私は激昂したものだ。しかし母は「もとは食べ物」という主張で私を黙らせ、うんざりさせた。
本当は「隣でやるなよいやなんだからな」という訴えを芯にふわふわに包んだ「心配」という愛のカタチが、母にとっては「病院への片道切符」という脅迫になってしまう。
我々は互いに気を遣いながら(?)、共に地獄に向かって歩いている。

布団の中で息を潜めていると、暗闇に鉄臭い匂いが漂い始めた。私はさすがに、いつもとは事情が違うと思った。
(やべえ、血でも吐いたのか)
私は母にばれないようにそっと布団を抜け、ふすまのほうに向かった。
(父ちゃん!父ちゃんに言おう、父ちゃん起こして病院に・・・)
家に車はなく、養父は運転免許を持っていない。だが、担いで村の診療所にも母を持っていける程度の役目は果たせるに違いない。養母のほうがたぶん15キロくらい重いけど。
ふすまの向こう、隣の部屋で寝ている養父を起こそうとしたが、すぐにやめた。
「ンンゴフォ……エエエ」
無常であった。残念ながらふすまの向こうからも似たような音が聞こえてきた。
(駄目だこりゃ。父ちゃんも飲んで潰れてそして吐いてる)
私は絶望した。感染した。気持ち悪くなってきた。まあ、父ちゃんのアレは病気ではないので放っておく。
そして、隣の養母から「ブッ」という、鈍い音が響いた。たぶん口の中に溜まった汚物を一生懸命吐き出しているのだろう。
当時小2の私は布団を頭からかぶり、「はよ終われ、はよ朝こい」と祈り続けた。
窓の外が少し明るくなってきた。やがて体力的に限界だった私は、ガクリと眠りに落ちたようだった。
4.朝の惨状、歪んだ勇気
あばら家の前。木の電柱では、いつものように雀が鳴く爽やかな朝。
室内はとてもすがすがしいとは言えない。隙間だらけのあばら家でも、やっぱり変な臭いがする。
やがて。
一時間もしないうちに、養母は嘘のように晴れやかな声で言ってきた。
「起きれーィ」
その声は、どことなくフコフコと空気が漏れている。
枕元には、どす黒く染まった新聞紙の山と、血まみれの割り箸が転がっていた。
(ああ、そうだったか)
私は合点した。
養母は、ずっと歯が痛かったのだ。
そういえば、数日前から挙動がおかしかった。何かを食べては「スーハーシーハー」と妙な息遣いをしていたな……。
つまり、虫歯がひどくなっており、一人で疼きを耐えていたのだ。
養母は歯医者が怖すぎて、「正露丸」や「今治水」などの民間療法を採用した。ついに虫歯が痛み出し、のっぴきならなくなった時、選んだのは「同盟」ではなく「殲滅」であった。私的要塞が突破されたとき、恐怖が臨界点を超えて「破壊衝動=セルフ抜歯」という狂気的な道を選んだのだ。
太陽の光の下で露わになる「事後の惨状」。
役目を終えた血まみれの割り箸。
枕もとの新聞紙には、茶色い破片がいくつもこびりついていた。
割り箸で、瓦解しかけた自分の体の一部を摘み取る。そんなところに、一体何の勇気を使っているのか。私が具合を悪くすれば「ひどくなったらいかん、病院行け!」と突き放すくせに。子供が辛いのを見てられない・心配だという母性ではなく、単に「近くで人が痛がるのを見るのが怖い」という、自分可愛さしかない人物だ。
そんないい年をした大人が、暗闇でセルフ解体を行う。
養母にとって、歯医者は「何をされるかわからない未開の地」であり、自分の手で行う抜歯は「痛みも結果も自分でコントロールできる領域」だったのだろう。しかし、このあまりに支離滅裂で野蛮な光景を見て、私は心底こう誓った。
「なんて恐ろしい。私は、本当につらい時はちゃんと自力で病院に行こう。絶対に歯を大事にしよう」
私が定期的に歯科検診に行くのは、「8020運動を推進したい」とか、そんな綺麗な理由じゃない。
この人たちのようにはなるまい。
ただ、それだけなのだ。
※本作は、TALESに連載中の拙作「わたしのまわりの、つじつまの合わない人びと」を加筆修正したものです。
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