あなたは今、「休んでいい」と「頑張っていい」どちらを言われたい?
「もう十分頑張ってるんやから、頑張りすぎなくていいよ」
僕は、次女に「がんばり過ぎて、疲れていることに気付いていないんじゃないか」、
そう思って本心を言ったつもりでした。
ところが、小学校1年生になった次女から返ってきたのは、
予想外のひと言。
「そんなこと言ってほしくない!」
えっ。
親心100%で提出した言葉が、本人から即日差し戻されました。
次女の中の「優しい父親部門」、まさかの審査落ちです(笑)。
小学校に入ってからの次女は、本当によく頑張っています。
新しい環境の中で、言われたから仕方なくやるのではなく、自分から進んでいろいろなことに取り組んでいる。
親としては、もちろんうれしい。
でも、それと同じくらい心配にもなりました。
「頑張りすぎて、いっぱいいっぱいになってないかな」
「本当はしんどいのに、無理してないかな」
親には、“やる気”と“無理”の見分けが難しい。
どちらも外から見ると、同じ「頑張っている姿」に見えるからです。
だから僕は、次女を安心させるつもりで「頑張りすぎなくていいよ」と伝えました。
でも次女にとっては、それが安心する言葉ではなかった。
むしろ、
「せっかく頑張りたいのに、止めないで」
という気持ちだったのかもしれません。
考えてみると、次女は保育園の頃もよく頑張っていました。
ただ、集団の中では、どうしても目立つ子や声の大きな子の頑張りが見えやすい。
誰かが悪いという話ではありません。
静かに積み重ねる頑張りは、
どうしても見つけてもらいにくいのだと思います。
次女もどこかで、
「自分も頑張っているのに、頑張った分だけ見てもらえていない」
と感じていたように、親の僕たちには見えていました。
(親バカと言うのは重々承知してますのでお許しを😇)
ところが、小学校に入ってから少し変わりました。
先生が、結果だけではなく「何を、どう頑張ったのか」まで見て、
次女に返してくれている。
自分が頑張ったことと、返ってくる言葉がきちんとつながっている。
その評価に納得できるから、
「もっと頑張りたい」
という気持ちが生まれているのだと思います。
(担任の先生、いつもありがとうございます!!😭)
人は、ただ褒めてほしいわけではない。
自分が頑張った場所を、ちゃんと見つけてほしいのかもしれません。
僕の「頑張りすぎなくていいよ」は、次女を守るための言葉でした。
でも僕が見ていたのは、今、苦しんでいる次女ではなく、
“いつか疲れてしまうかもしれない次女”
だったのだと思います。
まだ起きていない心配を先回りして、今まさに湧いている「やりたい」を止めようとしていた。
心配は、未来を先回りする。
応援は、今の気持ちを見ようとする。
そう気づいてから、僕たちは声のかけ方を変えました。
「のびのび、やりたいことを頑張っていこう」
もちろん、見守ることはやめません。
しんどそうなら一緒に立ち止まる。
でも、本人が楽しそうにアクセルを踏んでいるときまで、親の不安でブレーキを踏まない。
アクセルを踏む権利は、本人にありますから。
これって、仕事でも同じだと思います。
頑張ること自体がつらいのではなく、
「頑張っても見てもらえない」
「何を評価されているのか分からない」
そんな状態が、人を消耗させることがあります。
反対に、自分の取り組みをきちんと見てもらい、納得できる言葉が返ってくると、頑張りは消耗ではなく前に進む力になる。
「無理しなくていいよ」が救いになる日もある。
でも、「まだ頑張りたい」と思っている人にとっては、その言葉がブレーキになる日もある。
必要なのは、正しい声かけのテンプレートではなく、
その人が今、休みたいのか。
それとも、進みたいのか。
ちゃんと見ることなのかもしれません。
今回も、次女先生の授業はシンプルで、なかなか手厳しい(笑)。
あなたは今、
「少し休んでいいよ」と言ってほしいですか?
それとも、
「そのまま、やりたいことを頑張っていいよ」と言ってほしいですか?
