【GW企画】かしわ餅とちまきは、昔の人の「子どもへの備え」だった
GWの和菓子コーナーで、ちょっとだけ立ち止まってみる話
📌 この記事で分かること
🍡 かしわ餅とちまきに込められた、ちょっと違う2つの願い
🗺️ 関東と関西で食べるものが違う、ちょっと壮大な理由
🛡️ 昔の人がお菓子に込めた、優しい発想
結論:あれ、ただの和菓子じゃなかった
最初に結論から。
かしわ餅とちまきは、それぞれ別々の願いが込められた、昔の人なりの「子どもへの備え」だった。
学資保険も防災用品もなかった時代に、昔の親たちは葉っぱで願いを包んで、子どもに食べさせていた。意味を知ってから食べると、なんとなくちょっと美味しい。
GWの真ん中、こどもの日。今年は和菓子の葉っぱを、ちょっとだけほどいて中身を見てみる。そんな話。
導入:GWに急に並び始める、葉っぱに包まれた餅
GWになると、スーパーの和菓子コーナーが急に賑やかになる。
かしわ餅。
ちまき。
子どもの頃は「こどもの日に食べるもの」としか思っていなかった。連休のテンションで、なんとなく口に運んで、葉っぱをむいて、それで終わり。
でも大人になって改めて見ると、ちょっと不思議だ。
なぜ、ケーキでもプリンでもアイスでもなく、わざわざ葉っぱに包まれた餅なのか。
なぜ、同じ5月5日なのに、家庭によって「かしわ餅派」と「ちまき派」が分かれるのか。
調べてみたら、これがけっこう面白かった。
まさか、紀元前の中国まで連れて行かれるとは思わなかった。
正直、最初は「春の和菓子の話を軽くまとめよう」くらいのつもりだった。それが、調べ始めて30分で約2300年前の中国の詩人まで遡ることになった時は、自分でもびっくりした。葉っぱで包んだ餅の中に、こんな長い時間が詰まっているとは。
GW企画として、ゆるく見ていく。
第1章:「こどもの日」と「端午の節句」、実は別物
5月5日って、よく考えると二つの顔を持っている。
ひとつめは、現代の祝日「こどもの日」。
1948年に制定された国民の祝日で、法律には「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と書いてある。
ちなみにこの「母に感謝する」って一文、地味に大事。こどもの日って、男の子の日でも女の子の日でもなくて、すべての子どもとお母さんのための日っていうのが、法律上の正解だったりする。
ふたつめは、伝統行事の「端午の節句」。
こちらは奈良時代に中国から伝わったやつで、もともとは季節の変わり目の邪気払いの行事だった。
🗓️ 5月5日は二段重ね
上の段:こどもの日(法律上の祝日)
下の段:端午の節句(昔からの伝統行事)
↓
かしわ餅とちまきは、下の段に属しているお菓子に込められた願いを読み解くには、上の「祝日」じゃなくて、下の「節句」のほうを見る必要がある。
第2章:かしわ餅は「家族が続く」願い
かしわ餅、実は主役は中の餅じゃない。
外側の柏(かしわ)の葉っぱのほうが本体だったりする。
柏の葉には、ちょっと変わった特性がある。秋に枯れても葉が落ちない。木に残ったまま冬を越して、春に新芽が出てから、ようやく古い葉が落ちる。
これを昔の人は、こう見立てた。
「次の世代が育つまで、親の世代が見守り続けている」
ロマンチックだなと思うのは、これを「家系が途絶えない=子孫繁栄」の象徴だと考えたこと。家督を重んじる江戸時代の武家社会で、これは大ヒットした。江戸城の大奥でも振る舞われたらしい。
ちなみに、当時の柏餅は今と全然違って、餡は塩餡や味噌餡が主流だった。砂糖がまだ高級品だったから。今のあのこしあんの甘さが定着したのは、19世紀に国産砂糖が出回ってから。意外と歴史が浅い。
そしてここがちょっと面白いところで、かしわ餅は完全に日本オリジナル。中国にも韓国にも、こどもの日に柏餅を食べる文化はない。江戸の人たちが独自に始めたものだった。
葉っぱを餅に巻く、というシンプルな行為に、昔の親たちは「家がずっと続きますように」っていう、けっこう大きな願いを包み込んでいた。
第3章:ちまきは「災いから守る」願い
調べる前は、「ちまきって、端午の節句のスタート地点でしょ?」と思っていた。
でも実際はちょっと違っていた。端午の節句にはもっと前から「邪気払いの節句」としての性格があって、そこに後からちまきの故事が乗っかってきた、という二段構造だった。これは少し意外だった。
そのちまきの故事が、有名な屈原(くつげん)伝説。
紀元前278年頃、中国・楚(そ)の国の詩人にして政治家、屈原。正義感が強くて民衆に愛されていたが、陰謀で国を追われ、5月5日に汨羅江(べきらこう)という川に身を投げて亡くなった。彼を慕う人々が「魚に遺体を食べられないように」と、米を葉で包んで川に投げ入れた——これがちまきの原型と伝えられている。
ただ、ちまきの意味は屈原伝説だけではない。
「ちまき」の語源は「茅巻(ちまき)」。茅(ちがや)という植物の葉で包んでいたことに由来する。茅は昔から「邪気や疫病を祓う神聖な葉」とされていた。今でも夏越の祓で「茅の輪くぐり」っていう神事があるけど、あれと同じ茅だ。
つまりちまきには、二つの意味が重なっている。
屈原伝説:「忠誠心のある子に育つように」
茅の邪気払い:「災いや病気から子を守る」
ちまきは、**子どもに災いが近づかないよう願う、“包む備え”**だった。
かしわ餅が「家族が続く願い」なら、ちまきは「災いから守る願い」。
方向は違うけど、根っこは同じ——「子どもが無事に育ちますように」。
それが、餅や米を葉で包むという形になった。
第4章:関東と関西、なぜ食べるものが違うのか
ここで一つ、おもしろい数字。
ウェザーニュースの調査だと、こどもの日に食べるものとして柏餅を挙げた人は全国9割超。一方、ちまきを挙げた**関東の人はたった12%**だった。同じ5月5日なのに、地域でこんなに差がある。
しかも、「ちまき」って言葉のイメージすら東西で違う。
関東:中華風のおこわ系(具入りもち米)
関西:白くて細長い甘い和菓子
同じ言葉で、頭に浮かぶものが別物。これ、なかなかすごい話だと思う。
なぜこんなに分かれたのか。理由は単純で、伝わってきた時代と権力の場所が違ったから。
ちまきは奈良時代に中国から伝わった。当時の都は奈良・京都。だからまず西日本に根付いた。室町時代には京都の老舗「川端道喜」が御所に粽を納めて、貴族文化として権威化していった。
一方、かしわ餅が生まれたのは江戸時代の江戸。だから関東で先に広まった。柏の木が関西では育ちにくかった、っていう地理的事情もある。
ちなみに、二分法に収まらない地域もたくさんある。北海道・青森のべこ餅、山形・新潟の笹巻き、鹿児島・宮崎のあくまき、沖縄の鬼餅、長野県木曾の朴葉巻き——「全国共通の行事食」ってのは、実はけっこう幻想に近い。地域それぞれに、その土地の植物と歴史でできた独自の行事食が育っていた。
💭 あなたの実家では、こどもの日といえば、かしわ餅でしたか?それとも、ちまきでしたか?
第5章:昔の人は、願いを「食べ物」に変えた
ここで少しだけ、いつものザワ4らしい話を。
現代の親って、子どものために色んな備えをする。学資保険、習い事、防災グッズ、ハザードマップ、SNSとの距離感。
でも昔の人は、そういう道具を一つも持っていなかった。
保険会社もスーパーも防災用品もない時代に、どうやって「子どものために何かしておく」を実現したのか。
その答えのひとつが、かしわ餅とちまきだった。
形は違っても、機能は同じだったりする。
かしわ餅 → 家族が続くための備え(≒ 学資保険のような「時間軸への備え」)
ちまき → 災いから守るための備え(≒ 防災グッズのような「壊れた時の備え」)
葉っぱで包んだ餅と、保険証券や非常食。並べたら全然別物に見える。
でも、「未来の不確実性に対して、今、何かを置いておく」——備えという行為の本質はこれで、昔の人はそれを食べ物に託していた。
葉っぱは食べないのに、わざわざ巻く。理屈で考えれば、なくてもいい。
でも、それがあることで、ただの餅が「願いの容器」になった。
そう考えると、こどもの日に食べるお菓子は、ただの季節商品じゃなくて、昔の人が考えた**“食べる備え”**だったのかもしれない。
まとめ:意味を知って食べると、ちょっと美味しい
💭 今年のこどもの日、葉っぱごしの願いを家族に伝えてみませんか?
今年のこどもの日。かしわ餅やちまきを食べるなら、家族にこう聞いてみてもいい。
「これ、なんで食べるか知ってる?」
別に難しい歴史を全部説明する必要はない。
🍡 柏の葉には、家族が続く願いがある
🍡 ちまきには、災いから守る願いがある
🍡 昔の人は、子どもの幸せを願って、食べ物にそれを込めた
それだけでも十分。
文化って、教科書だけで残るものじゃなくて、食卓で「そういえば、これって意味があるんだよ」って話すことで、ちゃんと次に渡っていく。
葉っぱの香りも、餡の甘さも、いつもと変わらない。
でも、意味を知ってから食べると、ちょっとだけ美味しい。
それが、GWのこどもの日にできる、いちばん小さな贈りものかもしれない。
ザワ4の一言
昔の人は、子どもを守る願いを、葉っぱに包んで残してくれた。
今年のこどもの日は、それを一口で受け取る日なのかもしれない。
