翳のグラデーション(21)残光のプロムナード
第1章 城下町の灯
犬山城下町の石畳は、夜になると表情を変える。
提灯の光が低く揺れ、木造の軒が影を落とす。
光が息をしている。煮込みの蒸気、酒の香り、誰かの笑い声。
すべてが光に絡みつく。
四人は居酒屋の暖簾をくぐった。
木のカウンター、柔らかい間接照明、出汁の香り。
さわが、珍しくテンション高めだった。
「香月さん、帝国ホテルの光籠をずっと見てましたよね。」
カンジは少し照れたように笑った。
さわはスマホを取り出し、画面を見せた。
帝国ホテルの光籠が、カンジの横顔に落ちている写真。
カンジの瞳に光籠の輪郭が映り込む。
「今日のハイライトです」
カンジは少し間を置いて、ゆっくりと言った。
「……僕も、好きです。その光」
のぞみは笑った。
笑ったが、その笑顔は完全にひきつっていた。
頬の筋肉が意志に反抗している。
三上は、何も気づいていないふりで、肴を摘まんでいる。
第2章 ホテルの静けさ
名鉄犬山ホテル。ロビーの天井が高い。
ガラス越しに木曽川の夜景。
水面に光が揺れる。
四人はチェックインし、それぞれの部屋へ散った。
のぞみは窓辺に立つ。川面を見る。深呼吸をする。
もう一度。
胸の奥は、ざわついたまま。
◇
カンジのスマホが鳴った。
さわからのメッセージ。
「少し外、歩きません?」
「今日、話したいことがあって」
カンジはスマホを見つめた。
指が返信ボタンの上で止まる。
「いいですね」と打つ。
その間に、彼は一度だけ息を吐いた。
第3章 木曽川の夜風
ホテルの裏手。
木曽川沿いの遊歩道。
街灯が低く、川面に光が揺れる。
風が冷たい。
二人の息が、かすかに白い。
さわが先に口を開いた。
「今日、香月さんと来れてよかったです」
カンジが振り向く。
「昼間、帝国ホテルで……あの光籠の中から、香月さんは何を見ていたんですか?」
歩みながら、さわは言葉を重ねる。
「カンジさんが建物に一生懸命なところ。設計図を見るときの目。……その目が、気になって仕方なかった」
「不安だったんです。ずっと。香月さんが、どこを見てるのか。誰を見てるのか。私には」
カンジは返せなかった。
歩みを続ける。
否定もしなかった。
歩幅だけが揃う。
さわが肩を寄せる。
ほぼ触れる距離。
そのとき、風が変わった。
川の匂い。
のぞみのスケッチが脳裏に走った。
あの一本の線。
カンジの足が、止まった。
第4章 自販機の光
のぞみは眠れなかった。
二十二時を過ぎた頃、自販機コーナーへ向かった。
廊下の蛍光灯は冷たい。
三上が缶コーヒーを買っている。
のぞみは窓の外を見た。
木曽川沿いを歩く二人の影。
さわがカンジの腕に触れている。
笑っている。
その笑い方。
のぞみの呼吸が止まった。
胸の奥の揺れが止まった。
涙は出ない。
代わりに、自分の内側が急に静かになり、中心が熱くなった。
三上が言った。
「……大どんでん返しありますかね?」
のぞみは首を振る。
目は川面から離せない。
やがて二人の影は見えなくなる。
それでも彼女は見つめていた。
小さく漏れた。
「……私には私の好きがある」
三上は缶コーヒーを差し出した。
「だったら、エントリーしないとだな」
のぞみは受け取った。
缶の温度だけが、手のひらに残った。
第5章 それぞれの夜
さわ
部屋に戻り、髪を下ろす。
鏡を見る。小さく笑う。
「言いすぎたかな」
その目は、少しだけ不安だった。
カンジ
手帳を開く。
真っ白なページ。
のぞみのスケッチが浮かぶ。
あの曲線。
彼は、その線を指でなぞった。
指が、止まった。
のぞみ
ベッドに倒れ込む。天井を見る。
いろいろな感情が混ざる。でも、腹の底の熱は消えない。
足の裏が、床を捉えている。
三上
ベッドに寝転がり、天井を見上げる。
「……でかいな、この天井」
呟いて、目を閉じた。
窓の外では、木曽川が流れている。
月光に照らされた水面が、静かに波立つ。
やがて、朝が来る。
了
