【深層日記#10】何を信じ、どう生きるかー「何を信じるか」よりも、「どう信じるか」の方が大事なのかもしれない
何かを信じることは尊い。
でも、その信じ方の中に自分自身がいるかどうかは、もっと大切なのかもしれない。
この深層日記は、出来事そのものを記録するためのものではない。
出来事の奥で、何が変わり、何が定着し、何が見えなくなったようで、実は見える基準そのものが変わっていたのかを観るための記録である。
何を信じ、どう生きるか
人は、何を信じて生きればいいのか。
この問いを、私は最近あらためて考えています。
きっかけになったのは、自分の中で「死生観」をよく考えるようになったことです。
生きるとは何なのか。
死ぬとは何なのか。
死んだらどうなるのか。
生まれる前は、いったいどうだったのか。
そうしたことを考えているうちに、自然と宗教や信仰、スピリチュアルの世界に触れる機会が増えていきました。
私は、宗教やスピリチュアルそのものを頭ごなしに否定したいわけではありません。
むしろ、人が苦しいときや、人生の意味を見失いそうなときに、信仰や祈りのようなものに支えられることは、たしかにあると思っています。
実際、私の友人の中にも、強い信仰心を持って生きている人がいます。
その人は私を勧誘することはありません。
ただ、自分がどのような修行をしているのか。
どんな意識で日々を過ごし、どう精進しているのかを、静かに共有してくれます。
私はその話を聞くたびに、学ばされるものがあります。
信仰というものは、人を縛るものとしてだけではなく、人を律し、支えるものにもなりうるのだと感じるからです。
その一方で、私は別の危うさも感じています。
人は、不安が深いときほど、強い言葉や完成された体系に惹かれやすいものです。
世界を説明してくれるもの。
苦しみに意味を与えてくれるもの。
自分の立つ場所を示してくれるもの。
そういうものに救われることはあるでしょう。
でも同時に、そこに深く入りすぎたとき、自分で考える力や、自分で立つ感覚まで預けてしまうこともあるのではないか。
私はそのことも、ずっと気になっています。
だから今、私が考えたいのは、
「何を信じるか」
だけではありません。
それ以上に、
「どう信じるのか」
です。
何かを深く信じることは、きっと尊いです。
でも、その信じ方の中に自分自身がちゃんといるのか。
自分の感覚、自分の良心、自分の責任が残っているのか。
そこは、もっと大事なのではないかと思うのです。
ここから先は、私自身がなぜこの問いに向き合っているのか。
宗教、信仰、スピリチュアルに触れてきた中で、何に敬意を持ち、何に距離を置こうとしているのか。
「ここから先は、私自身が宗教、信仰、スピリチュアルにどのような敬意を持ち、どこに慎重さを持っているのか。
そして、自分の軸を失わずに向き合うために、何を基準にしているのかを、もう少し率直に書いてみます。」
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