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明日のパンって言ってみて

すこし前、夫と梅田へ買い物に出かけたときのことである。

お目当ての本や、雑貨なんかを手に入れてホクホクしながら、そうだ、と思いついて夫に声を掛けた。明日のパン、買いに行かへん?
すると彼は、真顔でこちらを見た。

「……浮世さん、それ、方言だって知ってた?」

……ん?

「方言? なにが?」
「明日のパンってやつ。前、テレビで言ってたよ」

えぇー、どこが方言やのん。イントネーションこそ関西弁だが、「明日」も「パン」も、バリバリの標準語ではないか。日本中どこだって明日は明日だし、パンはパンであることですわよ(多分)。明日のパンといえばすなわち、明日のパンでしかないでしょうに。
半信半疑で検索してみると、こんなページが表示された。

……ほんまや。
いやさでもさ、私はこれまで外出するたびに明日のパン明日のパン言うてきたが、夫(広島県出身)はその言い回しに疑義を申し立てたことがない。テレビが大げさに言ってるだけでさ、実は関西人以外も普通に使ってるパターンやないん?

「いや、文脈でなんとなく意味はわかったけど、広島では聞いたことないし、なんならテレビで観るまで浮世さんオリジナルの言い回しだと思ってた」

マジか。そうなのか。これまで関西以外の出身の友人や、東京の同僚などの前でも何気なく使っていた言葉だったけれど、もしやみんな「……?」と思いながら話を合わせてくれていたのかしら。

まあええわ、今はとりあえず、明日のパンよ。明日のパン、明日のパン。
首尾よく近くのパン屋でベーコンエピとチョコデニッシュを手に入れた後、帰りの電車でも気になってつい、「明日のパン」と検索してしまう。私と同じように、方言だと知って驚き慌てる関西人(女性が多い)の声が多数見つかって、なんだかほっとした。

で、言われてみると確かに、ちょっと独特な言い回しな気もしてくる。
明日のパンあったっけ、とか、明日のパンうとかな(=明日のパンを買っておかなければ)、とか言うとき、明日という言葉には、朝食用の、という意味が含まれている。明日のパン=明日の朝に食べるパン。おやつに食べる菓子パンや、夕飯のシチューなどと合わせるバゲットは、「明日のパン」という言葉を使うとき、意識の範疇外である。が、「明日のパン」と唱えながら買っても、実際はすべてを次の日の朝食べるというわけではなく、当日の夜食べたり、翌々日以降に回したりする場合もある。ややこしい。このややこしさというか、一言で説明しづらいニュアンスは、確かに方言ぽいかもしれない。

ところで私がどこでその言い回しを覚えたかというと、同じく関西人の、母の影響だ。
子供のころ母とふたりで出かけると、さあ帰ろうというタイミングで必ず「明日のパン、買ってこか」と言われた。わざわざそんなふうに言われるときは、いつも食べているスーパーで6枚切り150円の食パンではなくて、パン屋さんで好きなものを買ってあげよう、という意味なのだった(これはたぶん関西ではなく、我が家ローカル)。

産まれ育った神戸は、パン屋の多い街だ。三宮や元町をちょっと歩けば、昔からあるおいしいベーカリーがごろごろしている。ドンクのミニクロワッサンやビゴの店の明太フランス、イスズベーカリーのスコッチエッグカレーパンにトミーズのあん食。子どもながらにそれぞれの店に贔屓の品があって、その日訪れるパン屋を選ぶところからまずわくわくした。小麦の香ばしく甘い香りが立ち込める中でパンを選んでいると、この世で一番の贅沢をしているような気分になったものだ。我ながら安上がりな子供である。

その記憶があるからか、私にとって「明日のパン」という言葉の持つ響きは、ほっこりと明るい。
楽しい外出の締めくくりにおいしいパンを買って、夜、「明日の朝ごはんには、熱いコーヒーと一緒にあのパンを食べよう」と思いながら眠りにつくときの、翌朝起きて「あ、今日はおいしいパンがあるんだった」と思い出すときの、自然と頬が緩むようなしあわせが、その言葉には詰まっている。
だから今、東京の地でひとり出かけるときも、何かにつけて「明日のパン、買うて帰ろ」と心の中でつぶやいては、むふむふとほくそ笑みつつパン屋を目指すのだった。

関西圏以外の皆さまも、お出かけの際は試しに「明日のパン、買いにいこう」と呟いてみてはいかがだろうか。もしかしたらなんとなく、うきうきする気分になれるかも(知らんけど)。






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