人間の脳って本当はすごいのでは?『華氏451』を思い出して。
情報を記録して保存するために、大昔に人は文字を石や木や植物の布や粘土板や紙に刻み、やがて本を作って残して何千年も伝えてきた。それによって人類は経験や知恵をのちの人に伝えて、どんどん進化進歩してきたのだと思う。それはやがて磁気テープになり光学ディスクになりハードディスクになり、今はフラッシュメモリの半導体か。石から半導体へ。文字からデータへ。その保存する量は膨大になり音でも映像でも保存する。
これはすごい進化であり進歩なのだと思うのだけど、本当にそうなのだろうか。
何度か触れたことのあるSF小説・映画『華氏451』では、本が焼かれる世界が描かれる。抵抗する人々は焼かれる本の言葉を一人ひとりに分担して記憶し、本がなくなってもその知識が失われないようにしていた。
本を一冊記憶するなんて想像しただけで大変なことだな、と物語を読んでいた時は思った。それに比べれば、記録媒体が半導体にまで進化してデータとして常にネットから得られるようになった現在は、脳で何かを覚える必要もなく楽になったものだなと思う。
脳で何かを覚える必要はない。全てはネットに、クラウドに、SSDに置いてある。必要な時に取り出せばいい。
しかしふと思う。
本当にそれでいいのだろうか?
『華氏451』の中で、一人一人が本を丸ごと暗唱しているのを見て、なんて大変なことをしているのだろうと思ったが、やろうと思えばできるのかもしれない、とも思った。とてもチャレンジする気にはなれないけれど。
でももしかしたら、1人1人の脳に保存するのが一番いいことなんじゃないのかなと感じている自分もいる。
全てがデータになってクラウド上にあるのなら、それは一瞬にしてコピーして持ち出せるし、一度の災害でデータセンターごと吹き飛ぶことだってあるのではないか?バックアップは作ってあるとしても。いや、人間だってその人が死んでしまったら終わりじゃないかと思えば同じことなのだろうが、人間が覚えていればセキュリティはかなり強い。その人が言わなければいいのだから。
じゃあ今のデータ量を全て記憶させるために一体何万人の人が必要なんだ?と言われてしまうと確かにその通りですとしか言えないのだけど、そもそもそんなにデータや情報って必要なのか?
僕のような一市民でさえ膨大な要領のHDDのおかげで必要かどうかもわからない情報やデータを山のように抱えて、その整理に山のような時間を使う。一体何をしているのだろう?と思うことがある。
テラバイトレベルの情報を一人一人が保存する必要って何なのだ?
そんな現代の情報社会への疑問を感じつつ、人間は脳をもっと使った方がいいんじゃないのか?という素朴な問いが生まれている。
僕らは確実にバカになっているような気がしてならない。
脳の大事な部分が無駄な情報の洪水に晒されて飽和してしまっているような。これではいけないのじゃないのかという気がする。
『華氏451』で本を暗唱して集う人々のシーンを読んだ時、素朴に思ったことがある。
「人間ってすごいな」
脳のすごい性能について僕らはもっと自覚しておくべきだなと思うし、
それを無駄な情報で飽和させていると本当に脳が死んでしまうかもな、なんて思ってしまった。
