見出し画像

夏至の京都奈良琵琶湖を巡る旅【2024-6】➓光と石と物語~補陀落への道


紫式部像とご対面

この時点で3時半でした。

こちらは光堂。
鎌倉時代にあった建物を2008年に再現した。

公式サイトによると、
『長谷寺、清水寺、石山寺がともにこの「懸造り」で、日本三大観音と呼ばれている』とのこと。
実はそれには理由があって、観音様の聖地ポータラカでは、観音様の宮殿が断崖絶壁の上に建っていたため、日本でも崖に床を出して拝む形を取ったからなのだそう。
ちゃんと理由があったのがわかりお勉強になります(*^_^*)
どこかで誰かに話そうっと(笑)

まぶしくてせっかく素敵なのにちゃんと写せない(苦笑)

せっかく一番上まで来たので、同じ道を降りるのではなくて、光堂のさらにその奥にある、マニアックであまり人が見に来ないらしい、紫式部像に向かいました。

さすが大河ドラマで話題沸騰中(笑)看板がありますね~
お!
あの背中はもしかして
紫式部像。
こちらが石山寺で「源氏物語」を執筆する紫式部さんです~

このお寺で琵琶湖(ていうか瀬田川?)に映る満月を見て、源氏物語の明石と須磨を思いつき、書き始めたとされます。

「源氏物語」が現在冒頭に置かれている「桐壺」の巻から書き始められたのではなく、この「須磨」の巻から起筆されたとする伝承が記録されている、とのことで。
つまり、石山寺で源氏物語が誕生した説がありまして。
こ、ここここ、ここでぇ~ってなりますよね(私はなる)
「光る君へ」でも石山寺が重要な場所になっていましたよね(←このお寺で道長と再会してあれやこれやしちゃって不義の子を授かっちゃう的な)
あれって石山寺的に大丈夫な設定なの?(苦笑)

では時間もないことだし(ゆっくりご飯食べちゃったからね)、急ぎ目で本堂に行きますか。

石山寺の庭がすばらしかった(背中ゾクゾクした~)

どんどん下がっていくと美しい庭園の無憂園が。
遠くから見てもきれいだけど時間がないので眺めるだけ。

琵琶湖をかたどった池や滝からなる池泉回遊式庭園。
川なども流れていて、朝早くゆっくり散歩したい。
なんだかとっても気がいい場所に出た。
無憂園から流れているのかな?
ここ、ここ!!
何??
めっちゃ気がいい。気持ちい。奥まで歩いて行きたい(次回の宿題)
「補陀洛山(ふだらくさん)」とあります。

【補陀落】
観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。その山の形状は八角形であるという。インドの南端の海岸にあるとされた。「補陀落」は、サンスクリット語(梵語)のポータラカ (Potalaka) の音訳である。

補陀落 - Wikipedia

ん?ポータラカってさっき聞いたばかりのあの名称では?。
プレイバック!

聖地ポータラカでは、観音様の宮殿が断崖絶壁の上に建っていたため、

このページの上部(笑)

目次にある「紫式部像と対面」の項で自分が書いていた名称。
『ポータラカ』
さっきはじめて知ったばかりなのに、さっそく人生で二度目に出会った(笑)
補陀洛(ふだらく)→ふ~だらくぅ→ふ~だらかぁ→ポータラカァ
う、うん。そうだね、フダラクはポータラカだね(苦笑)

石山寺が西国札所観音霊場のひとつで、その名前が「補陀洛山」ってことかな?
あとで調べておきましょう。

まさかこんなむごい展開になるとは(自業自得)

補陀落山の石碑のすぐ前に天智天皇の石切り場がありました。

写真入りで説明文があります。

「ここから切り出された石は、天智天皇によって建立された奈良の川原寺中金堂の礎石に使用されていることがわかりました」と書かれており。
ん?天智天皇が建立した奈良の川原寺?
なんか聞いたことがある。とネットで調べてサイトを見て絶叫。
だああああああああああ!!!!

プレイバックパート2(まさかこの台詞を普通に言う日が来るなんて)
↓これ見て(涙)2024年夏至の旅❺で私が書いた内容の画像↓

↑前の日に、川原寺をちゃんと見かけたうえで素通りしていた!!↑
悔しくて過呼吸になりそう(苦笑)

↓こちらで川原寺を素通りする様子を楽しげに語っている私↓

2024年夏至の旅❺聖徳太子の母の愛:橘寺と持統天皇の母としての愛:岡寺|yuzuki-pengel

天智天皇の時代からずっとこのままなの尊い。

美しい庭園を抜けて

ああ、ここも気持ちがいい。
ここも補陀落?
広場になっているのであがってきてそこに立ってみた。
なんだろう、たくさんのお坊さんたちが微笑んで立って囲んでいるみたいなイメージ
看板を発見。

承歴2年(1078)、本堂が火災に見舞われた。
僧侶たちは大切な経典や仏様を持って逃げていると、ご本尊様(観音様)が柳の木にとどまっていたのを発見し、僧のひとりが自分の袖に移ってくださいと言ったことから「柳島」と呼ばれている的なことが書いてあります。

振り返るとこんな感じ。
日差しも相まって気持ちよさそうな場所でしょ?
苔むした階段もよき(もののけのこだまくんがいそうだ)

紫式部が執筆した部屋を見た

いよいよです。
ファンならずとも見たいと思うであろうこの部屋!

うやうやしく説明が書かれた看板
おおおお、おられる!!(人形だけど)

ここはもともとは天皇や皇族、高僧などの身分の高い人々が使う部屋で、ここで式部が籠って執筆したとか。

紫式部さま。
ていうか、後ろの少女は誰ですか?(笑)
十五夜にここにいらしたのですね。

あらためて石山寺を巡ります(もういいお時間だけど)

やっぱり石山寺のシンボルはこれですかね。

「石山寺硅灰石」を超アップで。

今はだいぶ黒っぽくなったけど、もともと「白い石」で、白い物の代表と言われていらしく、松尾芭蕉も
「石山の 石より白し 秋の風」と詠んでいるそうです。
石山寺硅灰石 - Wikipedia

国の天然記念物に指定された珪灰石の岩塊が境内にむき出しになっていて、それが特徴的。
実はこれらは一枚岩で、その上に立つ寺なので、「石山」寺なのです。

本堂の前にむき出しになっている岩が特徴
上に見えているのは国宝の多宝塔

珪灰石は石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもの。通常は大理石となるものが、このように珪灰石となるのは珍しいとされます。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)
こちらにある二基の宝篋印塔のうち向かって右→が源頼朝、
重要文化財の左←が頼朝の次女の乳母と伝わる亀ヶ谷禅尼の供養塔とされます。
石山寺経蔵の下にあるのが安産の腰掛石。
石山寺硅灰石で作られているもので、
妊婦さんがこの座布団に座ると、安産に恵まれるそうです。
石のパワーがあるってことかな?
石山寺経蔵。
この下に安産の腰掛石がある。
頼朝が寄進したとされる多宝塔(国宝)
保元年間(1156-1158)に後白河天皇の行幸の際に建立された←月見亭と
芭蕉が滞在した茶室芭蕉庵→
月見亭から少し離れた湖面に映る満月を見たとか。
大黒天堂。
なんと、僧の夢見で湖水から出現した秘仏大黒天尊が。
2020年に10/1~7のみ12年に一度の御開帳があった模様。
次は2032年でおっけ?
くぐり岩。
穴を潜ると願いが叶うとされますが、この日は雨あがり(忘れているかもしれないけれど、竹生島に行けなかったくらい雨だった)なので、禁止だった(しょんぼり)
「無事にかえる」のごろ合わせ?
ちょっと不思議な形のカエルさんです。

さーーて、この時点で午後4時過ぎ。
門前町的なお店で、石餅など食べて…って。
えーーーん。外のお店、ほぼ全部閉まっていました(涙)
だから旅のスイーツは一期一会だとあれほど!私のばかあ~(号泣)

仕方ない。それは次回への持ち越しとして。それでは京都に帰ります。
来た時と逆に進むわけで。
まずは石山駅に向かうバスを待ちます。これはバス停がひとつなので、ただそこで待っていればいいですから楽ちんです。
16:33 のバスに乗り、30分ほどバスに揺られ、石山駅に戻りまして。
石山駅からわずか15分で京都駅に着きました。
お時間はまだ17時13分。

夕方の京都駅

YさんとEさんは京都駅直結のホテルに泊まっていらっしゃるとのこと。
お茶する時間もあったのですが、まあ、石山寺でまさかの山頂まで激走したため、なにせ疲労が(笑)
なので京都駅で解散となりました。
わざわざ遠くからご参加いただきありがとうございます~!!

竹生島に行けなかったことはほんとうに残念でしたが、安曇川を探検したこととか、道の駅のおいしい朝ごはん、安曇川のホテルでのまったりカフェタイム、石山寺前で食べた激うまお昼ご飯っ…て、食べ物ばっかり(笑)
あと、石山寺はほんとうによかった。
最初に山の上まで走った時はどうなるかと思いましたが(笑)

たくさんの発見と宿題も見つかったし。
ということで、楽しくお別れをしまして。

ホテルにいったん帰り、コーヒーを飲んだらそのまま寝ちゃいました!
びっくり(疲れていたらしい笑)
目覚めたら夜だったので、そのまま熟睡~

明日は秦氏を巡る旅だぞ~

次へ

目次


いいなと思ったら応援しよう!