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わたしの弱さに、名前がついた日。【"HSP"との出会い】


「なんでそんなことで落ち込むの?」

「いちいち気にしていたら、大人になったとき大変だよ?」


これらは小学生に上がった頃から、わたしがよく言われてきた言葉たちだ。

そんなふうに言われるたび、自分の心が欠陥品みたいに思えた。


神経質だと一言で評されるけど、本人にとっては深刻な問題。

一度気にしてしまうと、頭のなかでぐるぐる再生されて、なかなか抜け出せないのである。

誰かのちょっとした表情、ふとしたひとことが、ずっと胸に刺さって離れない。


「なぜ、他の人はこんなにも強く生きられるのだろう」

わたしはいつも不思議だった。

同じように生活をして、同じように人と関わっているはずなのに、周りはいつも楽しそう。

対して、どうして自分はこんなに毎日が楽しくないのだろうと悩んだ。


傷つきやすい性格、繊細すぎる自分——。

他人と違って弱く見える自分がダメみたいで、すごくしんどかった。


「もしかしたらほかの人たちも"楽しそう"にしているだけで、心の中はわたしと同じようにつらさを抱えているのかもしれない。」

「そうしたら、わたしも"楽しそう"に振る舞わなきゃ。わたしだけ"つらそう"にするのはダメだ。」

子どもながらにそう思っていたが、推測の域を出ず確証はない。

自分の気持ちを押し殺すほど、その"つらさ"は増していった。


でも、ある日、たまたま「HSP」という言葉に出会った。

Highly Sensitive Person——。

日本語で言えば、「とても敏感な人」。

心理学者のエレイン・アーロン博士が提唱した概念で、約5人に1人がこの気質を持っているのだそうだ。


感受性が強く、些細なことにも気づく。

音や光、人の感情にも敏感で、ひといちばい気疲れしやすい。

まさに、わたしのことだと思った。

調べれば調べるほど、今まで説明のつかなかった「生きづらさ」が腑に落ちていった。


ああ、わたしは"欠陥品"なんかじゃなかったんだ。

そういう"気質"を持って生まれてきただけなんだ。

この言葉に、どれだけ救われたことか。


「わたしはひとりじゃない」

「同じように感じている人が、ちゃんと存在している」

たったそれだけのことが、こんなにも安心感をもたらしてくれるなんて、思ってもみなかった。

HSPという"枠"に、わたしは助けられた。


もちろん、HSPだからといってすべての生きづらさが解決するわけじゃないし、他者に配慮を求めたいわけでもない。

だけど、「なぜこんなにしんどいのか」がわからず自分を責め続けていた頃に比べたら、ずっと楽に呼吸ができるようになった気がするのだ。


人より敏感であることは、ときに苦しい。

でも、悪いことばかりじゃない。


誰かのちいさな変化に気づける。

空気の揺らぎを察知して、そっと寄り添える。

繊細だからこそ、感じ取れるやさしさや痛みがある。


もし今、「なんで自分はこんなに弱いんだろう」と思っている人がいるなら、わたしは全力で伝えたい。

あなたは、ひとりじゃない。

そして、あなたのその"弱さ"と見なされていた部分は、ちゃんと意味を持っている。

それは"優しさ"と極めて近い場所にある気質だと思う。

わたしがHSPという概念に救われたように、今度はわたしが、誰かの拠りどころになれたら嬉しい。

まだまだ繊細な自分と仲を深める途中だけど、少しずつ自分を許して、やさしく生きていけたらと思う。

涙が出るくらいしんどいときも、それを感じられる感性が、あなたの宝物になりますように。