ズボラ人間に“ていねい”は無理ですか?
毎朝起きたら、おしゃれな部屋着で白湯を飲み、豆から挽いたコーヒーを丁寧に淹れて、静かな朝を満喫する。
そして、すべての部屋に掃除機をかけながら洗濯機を回し、昨日までの生活の痕跡をリセットする毎日。
インスタやYouTubeで流れてくる“朝の支度ルーティン”。
すごく素敵な「ていねいな暮らし」。
でも——
ズボラなわたしには到底できません。
憧れないと言えば嘘になる。
「ああ、こんな生活ができたらどれだけ心が整うだろうか」と思う。
だが、理想は理想のままだ。
現実のわたしは、毎朝アラームを何度もスヌーズして、寝ぼけ眼のまま冷蔵庫から取り出したばかりのヨーグルトを貪る。
お湯を沸かす気力などない。
洗濯?掃除?
朝起きているだけで偉くない?(早起きは単に仕事のためであるということはここだけの秘密だぞ)
毎日決まった時間に掃除、洗濯、家事全般。
できたらいいなとは思う。
できている人たちを目の当たりにすると、自分が惨めになるほどに——。
「今じゃない」「めんどくさい」「あとでやろう」の繰り返し。
気づけば部屋の隅にホコリが溜まっている。
「だらしないな」と落ち込んで、でもやっぱり身体が動かなくて無限ループ。
一番しんどいのは、そんな暮らしぶりを「直したほうがいいよ」と正論で突きつけられる瞬間だ。
「家が汚いと運気が下がるよ」
「部屋が整ってると心も整うよ」
——それができたら苦労しないよ。
完璧な暮らしができる人は、確かに素晴らしい。
尊敬している。
でも、毎日コツコツできない、"ていねい"の優先度が低いわたしのようなズボラ人間がいても良いと思いたい。
正直、わたしにとっての「理想的な暮らし」は、「いかに楽をして気分よく生きるか」に尽きる。
ミニマリストを無理に目指すのをやめたのも、これが理由だ。
料理だって、見栄えなんてどうでもいい。
栄養バランスは一応考えているし、それなりに美味しければいいじゃん。
「タイパ重視」は現代人の知恵です。(自己暗示)
休みの日に、掃除洗濯そのすべてを放棄して、昼までゴロゴロする時間が癒し。
自分を労わるための回復の儀。
ズボラにはズボラなりの「整え方」があるのだ。
時間をかけて家を整えることも、時間をかけずに自分を労わることも、どちらも正解なんてない。
自分にとって幸せを感じる選択肢を取ったらいいよ。
ズボラ人間に、完璧は難しい。
できないことを責めるより、できてることに目を向けよう。
部屋が少し散らかっていても、生きてるだけでえらい。
今日もちゃんと頑張ってる。
暮らしの"正解"って、きっと人の数だけある。
だから、わたしは今日も、冷凍うどんをレンジでチンして、ほっと一息つきながら思うのだ。
——これがわたしの“正解”だから、誰かのものさしに合わせなくていいんだよと。
