間違えやすい日本語と、僕が立ち止まった日——言葉の奥には、いつも“人”がいる
朝のシャワーを浴びながら、ふいに思い出すことがある。
自分が子どもの頃、父に言われた言葉だ。
「言葉っていうのはな、意味より先に“態度”が出るんだぞ」
当時はよくわからなかった。
でも、年齢を重ね、親になり、人事という仕事をし、部下を持ち、子どもと向き合い、誰かの人生に伴走するようになった今——
ようやく、少しずつその言葉の意味がわかってきた気がする。
そして最近、あるきっかけで、その“言葉”について深く考えさせられる出来事があった。
ある月曜日の早朝。
僕は出勤前に、総務省関連の小冊子をパラパラと読んでいた。ページをめくると、「アナタの日本語、間違っていませんか?」というコラムタイトルが目に飛び込んできた。
ちょっとした読み物のつもりだったのに、僕は思わず姿勢を正してしまった。
そこには、こう書かれていた。
「情けは人のためならず」は誤用されやすい。
“その人のためにならないから、親切にするな” という意味ではない。
僕は苦笑した。
——いやいや、もちろん知っている。
人事として働いているのだから、言葉は多少なりとも扱ってきた。
「情けをかければ、巡り巡って自分に返ってくる」
その意味で理解していたし、実際に研修などでも使ったことがある。
ただ、そのコラムには続きがあった。
「情け」には、
・同情
・思いやり
・男女の情愛
・風流を愛する心
の4つの意味がある。
本来の意味を知らないと、誤った使い方をしてしまう恐れがある——。
僕はその文章を見ながら、ハッとした。
「……情けって、そんなに意味の幅があったんだ」
僕は知らなかった。
いや、知っていたつもりで、知っていなかった。そしてその瞬間、頭の中で“ある場面”がよみがえった。
数年前のことだ。
当時、とある部署の管理職向け研修の後、若手の及川さんが僕に声をかけてきた。
「湯鶴さん、私……後輩に厳しくできないんです。“情けをかけるのは良くない”って言われて育ったので……」
そのときの僕は、軽い気持ちで返した。
「情けは人のためならず、って言うよね。情けをかけることは悪くないんだよ。回り回って、いい形で返ってくるから」
及川さんは、少し安心したように頷いていた。
ただ——
僕の答えは、あまりに“薄かった”のだと今なら分かる。
“情け”には、単なる親切以上の意味がある。「心の機微」や「風流」まで含んだ、日本語特有の奥行き。及川さんの悩みも、ただの“甘やかし”の話ではなく、もっと微妙な感情の揺れだったのかもしれない。
僕は“知っているつもり”の言葉で、及川さんの心に触れようとしていた。あのとき、僕は言葉の奥にある「人の気持ち」に寄り添い切れていなかった。コラムを読みながら、胸の奥が少し熱くなった。まるで、過去の自分が静かに咎められているような感覚だった。
さらに読み進めると、「一姫二太郎」の話が載っていた。
多くの人が、「女の子ひとり、男の子ふたりが理想」という意味だと思っているが、本来は違うという。
“第一子が女の子、第二子が男の子”という「生まれる順番」を表していた。女の子は比較的育てやすく、初めての育児には向いているとされていた——。
僕は思わず吹き出した。
「いや、知らなかった……」
朝陽(あさひ)が生まれたとき、逸花(いつか)と僕はよく冗談で言った。
「一姫二太郎っていうしね」
「まあうちは朝陽が最初だから、合ってるかもね」
そう言い合いながら笑っていた。でも、その“意味”を正確に知ろうとしたことはなかった。
僕はこの時点で、「言葉って本当に難しい」というより、——言葉を“分かったつもりになる自分”が怖い。そんな風に感じ始めていた。
僕の仕事は、人と向き合い、人を支え、言葉で伴走することだ。
評価面談
1on1
キャリア相談
研修
制度説明
採用面接……
すべて、言葉が前提にある。
なのに、僕は気づかないうちに、「知っているつもり」で言葉を扱ってしまう瞬間があった。
知らないことが恥ずかしい。
間違うことが怖い。
人事が言葉を誤ったら、信頼に関わる——。
そんなプレッシャーが、無意識に「知らない」を隠させていた。
でも思う。
人事こそ、知らないと言わなければいけない。子どもの前でも、部下の前でも、クライアントの前でも。その姿勢が、相手の“知らない”を受け止める器にもなるはずだ。
そう考えていた矢先、家でまた心に刺さる出来事があった。
夏休みのある日、朝陽がア日記を書いていて、僕がそばで見ていた。
「パパ、この言い方って合ってる?」
そう言って、日記の文章を指さした。僕はしばらく考えて、答えた。
「うーん……パパも分からないな。辞書引いてみる?」
すると朝陽は、嬉しそうに目を輝かせた。
「わからないって言っていいんだね!」
僕は一瞬、息が止まった。
——そうか。僕が知らないと言うことで、朝陽は安心するんだ。
知らないことを恥ずかしがらなくていい。
間違えることを怖がらなくていい。
調べることは悪いことじゃない。
僕が見せたかったのは、“正しい日本語”ではなく、言葉に向き合う姿勢そのものだった。
そして、人事として現場を見ていると、誤解されている日本語は山ほどある。
「主体性」
「自律」
「リーダーシップ」
「支援」
「厳しさ」
「フォロワーシップ」
「責任」
「成長」
どれも当たり前に使われる言葉なのに、人によって意味が違いすぎる。評価でズレるのも、面談で噛み合わないのも、研修で混乱するのも、部署同士で衝突が起きるのも、
原因は“言葉の不一致”であることが多い。
そして僕もまた、自分が理解している“つもり”の言葉で相手に寄り添った気になったことがあった。だからこそ、思う。人事の仕事は、言葉をそろえることではなく、言葉を使いながら“心”をそろえることなんだ。
僕はあの小冊子を読み終えた後、しばらく静かに考えていた。
「情け」も「一姫二太郎」も、単なる語彙ではなく、その時代の価値観や生活の知恵や、人の心の動きが含まれていた。
僕らが使う日本語も同じだ。
上司の「頑張れ」は励ましでもあり、重圧にもなる。部下の「大丈夫です」は安心でもあり、不安の隠蔽にもなる。親の「気をつけてね」は優しさでもあり、干渉にもなる。
言葉の難しさは、“表面”だけを見ていると気づけない。そして、人事という仕事は、その“表面の向こう側”を感じ取る仕事なんだと思う。
間違えやすい日本語を知ったこと自体は、小さな出来事だ。でも僕にとっては、大切なことを思い出させてくれた、特別な朝だった。
「知らないと言える勇気」
「分かったつもりに気づく視点」
「言葉の奥にいる相手への想像」
そして今改めて思う。
言葉は鏡だ。
鏡を見る勇気がある人から、成長していく。
僕は今日も、知らない言葉に出会いながら、知ったつもりの言葉に立ち止まりながら、誰かの人生と肩を並べて歩いていきたいと思う。
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