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アリストテレスとアクィナスの神論──目的か根拠か

アリストテレスの不動の動者は、しばしばキリスト教の神と結びつけて説明されます。

しかし両者は、実はかなり違います。

アリストテレスが考えていたのは、
「なぜ万物は動くのか」という問題でした。

そして、その答えとして不動の動者を置きました。

不動の動者は、万物が目指している究極の目的です。

美女が歩いていると男性が振り向くように、万物は完全性に引き寄せられて動く。

そういう存在でした。

一方、アクィナスが考えていたのは、
「なぜ万物は存在するのか」という問題です。

ここがアリストテレスとの大きな違いです。

神は原因か根拠か

アクィナスも神を「第一原因」と呼びます。

しかし、その意味は現代人が考える原因とは少し違います。

私たちは原因というと、
AがBを生み出す
という因果関係を考えます。

例えば、
大工が家を建てる。
ボールを蹴ると転がる。

こうした関係です。

しかしアクィナスが考えていたのは、そもそもAやBが存在していること自体の根拠でした。

神は原因の列の一番先頭にいる存在ではありません。

むしろ、
原因の列そのものを成立させている根拠
なのです。

世界は神に依存している

アクィナスにとって創造とは、
過去のある時点で宇宙を作った出来事ではありません。

存在を与えることです。

神が存在を与えることをやめれば、世界は存在できない。

その意味で世界は、常に神に依存しています。

だからアクィナスの神は、
宇宙を作った巨大な職人
というより、

世界が存在していること自体の根拠
として理解した方が近いでしょう。

神は世界の中にいない

さらにアクィナスの神は、世界の中の存在ではありません。

人間や動物や星と同じカテゴリーに属する存在ではない。

宇宙のどこかにいる超人でもない。

アクィナスは神を、
「存在そのもの」

あるいは
「存在の根拠」
として考えました。

だから、
「神はどこにいるのか」
という問い自体が適切ではありません。

神は世界の一部ではなく、世界が存在すること自体の根拠だからです。

目的か根拠か

両者の違いを一言でまとめるなら、

アリストテレスの神は目的であり、
アクィナスの神は根拠です。

アリストテレスは、
「なぜ万物は完成へ向かうのか」
を考えました。

アクィナスは、
「なぜ万物は存在しているのか」
を考えました。

同じ「神」という言葉を使っていても、その役割は大きく異なります。

アリストテレスの神は万物を引き寄せる究極目的。
アクィナスの神は万物を成立させている存在の根拠。

この違いを理解すると、両者の思想の違いがより鮮明に見えてきます。

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