見出し画像

教育を守るために必要なのは“先生の頑張り”ではない

教育委員会で見てきた教職員の現実

私は行政事務の公務員として採用されてから辞めるまでの6年間を、教育委員会の行政職員として過ごしてきた。主に「学校の統廃合」「新型コロナウイルスへの対応」「一人一台タブレット端末の整備」などの業務に携わり、小さな自治体だったこともあり、学校教育分野から施設整備分野まで、様々な分野を横断的に担当した。特に学校の施設整備がメインの担当だった。

小規模な自治体だったため、学校と教育委員会の距離感は非常に近かった。頻繁に学校を訪れ、時には教職員の方々と一緒にプールの清掃をしたり、夏季休業中の完全休業期間に教職員の方々の代わりに畑に水やりを行ったりした。今思い返せば、楽しい思い出だ。

そんな現場での経験を通じて、私が強く感じたことがある。教職員の方々は、非常に良心的で能力も高い方が多いということだ。もちろん、中には問題のある方もいる。しかし、それはどのような組織でも一定数存在するものであり、むしろ教職員の世界ではそうした方々は他の組織と比べて非常に少ないのではないかと感じている。

実は、この問題は私にとって他人事ではなかった。私の兄は小学校の教員をしており、日々疲弊していく姿を間近で見てきた。その大変さは、肌身で感じていたのだ。そして教育委員会で働く中で、兄だけでなく、多くの教職員が同じように苦しんでいる現実を目の当たりにした。

能力が高く、子どもたちのために真摯に向き合おうとする先生たちが、なぜこれほどまでに疲弊しなければならないのか。文部科学省の調査によれば、公立学校教員の約3割が「過労死ライン」とされる月80時間以上の時間外勤務を行っている。この異常な状況の背景には、個人の努力では解決できない構造的な問題が横たわっている。


数字で見る教職員の業務量

まず、現状を客観的なデータで確認しておこう。

文部科学省「教員勤務実態調査」(2022年度)によると、公立学校教員の平日1日あたりの平均在校等時間は、小学校で約11時間、中学校で約11時間30分に及ぶ。これは所定の勤務時間を大きく超える数字だ。

さらに注目すべきは、授業以外の業務の多さである。教員の業務時間の内訳を見ると、授業そのものに費やされる時間は全体の約3割程度。残りの7割授業準備、成績処理、生徒指導、部活動、事務作業、保護者対応、会議などに費やされている。

国際比較をすると、この異常性はより鮮明になる。OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本の教員の労働時間は参加国中で最長レベル。特に「課外活動(部活動など)」や「事務業務」に費やす時間は、他国を大きく引き離してトップとなっている。

この差は単なる労働時間の長さだけではなく、教員が担うべき業務の範囲そのものが国際的に見て異質であることを示している。


国際比較で見える日本の特異性

日本の教職員が担う業務範囲は、国際的に見ても極めて特異だ。諸外国と比較すると、その違いが鮮明に浮かび上がる。

教員の業務範囲の国際比較

欧米諸国の場合、教員の役割は基本的に「授業」に特化している。例えばフィンランドでは、教員は授業と授業準備が主な業務であり、生徒指導や保護者対応は専門のカウンセラーやソーシャルワーカーが担当する。清掃は専門の清掃員、給食の配膳は給食スタッフが行い、教員が関わることはない。

アメリカやイギリスでも同様だ。放課後のスポーツ活動や文化活動は、地域のクラブや専門のコーチが担当するのが一般的で、教員が土日まで指導に駆り出されることはほとんどない。事務作業も、専門の事務職員が処理する体制が整っている。

アジア諸国でも、日本ほど教員の業務範囲が広い国は珍しい。韓国では部活動が教育課程外とされ、教員の負担は日本より軽い。シンガポールでは、教員の業務を効率化するためのICT活用が進んでおり、行政的な業務は大幅に削減されている。

つまり、多くの国では**「教える専門家」と「その他のサポート役」が明確に分業されている**のだ。一方、日本では教員が「教える」だけでなく、カウンセラー、コーチ、事務員、清掃員、給食指導員など、あらゆる役割を兼任している。

学級規模の国際比較

日本の教員は業務範囲が広いだけでなく、一度に担当する子どもの数も多い。

クラスの人数が多ければ多いほど、一人ひとりの子どもに目を配る負担は増大する。提出物のチェック、テストの採点、保護者対応、個別の生徒指導など、すべての業務量が人数に比例して増えていく。30人以上のクラスを担任しながら、一人ひとりに丁寧に向き合うことが、いかに困難かは想像に難くない。

この違いを生んでいるのは、日本独特の「学校は生活と人格形成の場」という教育観だ。授業だけでなく、清掃や給食、部活動など、学校生活のあらゆる場面を通じて子どもを育てるという考え方が根強い。これは一見、全人的な教育として理想的に聞こえるが、結果として教員に過度な負担を強いる構造を生み出してしまった。

つまり日本の教員は、業務範囲が広い上に、一度に担当する子どもの数も多いという二重の負担を抱えているのだ。


教職員が抱える具体的な業務

では、教職員は具体的にどのような業務を抱えているのだろうか。

授業関連業務では、授業準備、教材作成、テストの作成と採点、成績処理などがある。これらは教員の本来業務として理解されやすいが、1日5〜6コマの授業をこなしながら、30〜40人分の課題やテストを丁寧に見るには、相当な時間を要する。

生徒指導・カウンセリングも大きな比重を占める。いじめや不登校、家庭の問題を抱える子どもへの対応、進路相談など、一人ひとりの生徒に寄り添う時間が必要だ。しかし、これらの時間は時間割には組み込まれていない。

部活動指導は、特に中学・高校教員にとって大きな負担となっている。平日の放課後だけでなく、土日も練習や試合の引率があり、休日がほとんど取れない教員も少なくない。しかも、多くの教員が専門外の競技を担当させられているのが現状だ。

保護者対応も複雑化している。連絡帳の返信、電話対応、面談、クレーム対応など、保護者との関係構築には多大な神経と時間を使う。近年は保護者からの要求も多様化・高度化しており、対応に苦慮するケースも増えている。

事務作業・報告書類の多さも深刻だ。出席簿、健康観察記録、指導要録、各種調査への回答、予算管理、物品管理、安全点検など、教育活動とは直接関係のない事務作業が山積している。しかも、その多くが未だに手書きや紙ベースで行われていることも少なくない。

さらに、会議、校内研修、保護者会、PTA活動、地域行事への参加、給食指導、清掃指導、登下校の見守りなど、挙げればきりがない。教員は文字通り「何でも屋」として機能することを求められているのだ。


構造的問題点①「教師の無限定な職務範囲」

では、なぜこのような状況が生まれているのか。第一の構造的問題は、教師の職務範囲が極めて曖昧で無限定であるという点だ。

日本では歴史的に、教師は子どもの教育だけでなく、生活指導、人格形成、さらには家庭教育の補完まで担うことが期待されてきた。「学校は社会の縮図」という考え方のもと、掃除や給食の配膳なども教育の一環として教員が指導する。

これは一見、全人的な教育として美しく聞こえるが、結果として教員の業務範囲は際限なく広がってしまった。本来であれば、専門職として「教える」ことに特化すべき教員が、カウンセラー、事務員、イベントプランナー、施設管理者など、あらゆる役割を兼任させられている。

部活動はその象徴的な例だ。多くの国では、スポーツや文化活動は地域のクラブや専門指導者が担うが、日本では学校教育の一環として位置づけられ、教員が「無償の奉仕」として担ってきた。その結果、教員は平日も休日も部活動に拘束され、プライベートな時間を確保できない状況に陥っている。


構造的問題点②制度・システムの問題

第二の問題は、制度やシステムそのものが教員の長時間労働を前提に設計されているという点だ。

最も大きな問題は「給特法(給料特別措置法)」である。この法律により、教員には残業代が支給されず、代わりに基本給の4%が「教職調整額」として一律に支給される。つまり、月に何時間残業しても、給与は変わらない。この仕組みが、残業を「見えないもの」にし、長時間労働を常態化させてきた。

教員定数の不足も深刻だ。少子化が進んでいるにもかかわらず、教員一人あたりの業務量は増加している。これは、特別支援教育の充実、いじめ・不登校対応、ICT教育、プログラミング教育など、学校に求められる役割が拡大し続けているためだ。しかし、それに見合った教員数の増員は行われていない。

さらに、非効率な業務フローやICT活用の遅れも問題だ。民間企業では当たり前のデジタル化が学校現場では遅れており、手書きやFAXでのやり取りが残っている地域も多い。業務のスリム化や効率化に向けた投資が不十分なのだ。


構造的問題点③文化・意識の問題

第三の問題は、教員を取り巻く文化や社会の意識にある。

日本では伝統的に、教員は「聖職者」として尊敬される(過去の話)一方で、高い倫理観と献身性を求められてきた。「子どものためなら」という美名のもとに、長時間労働やプライベートの犠牲が美徳とされる風潮がある。

この「やりがい搾取」的な構造は、教員自身の意識の中にも内面化されている。「他の先生も頑張っているから」「保護者の期待に応えなければ」という思いから、無理を重ねてしまう教員は少なくない。

また、保護者や社会からの要求の多様化・高度化も見逃せない。かつては「学校にお任せ」だった教育が、今では保護者が積極的に関与し、細かな要望やクレームも増えている。SNSの普及により、教員の言動が即座に拡散されるリスクもあり、教員は常に緊張を強いられている。

学校が「何でもやってくれる場所」という社会の認識も問題だ。本来は家庭や地域、専門機関が担うべき役割まで、学校と教員に丸投げされている現状がある。


影響と悪循環―教育現場の危機

この状況は、深刻な影響と悪循環を生み出している。

教員のメンタルヘルス問題の深刻化

まず、教員自身の健康問題が極めて深刻だ。2023年度に精神疾患で休職した公立学校の教職員は7119人に上り、初めて7000人を超えて過去最多となった。これは在職教員全体の約0.77%に相当し、年々増加傾向にある。過労死や過労自殺も後を絶たず、心身を壊して教壇を去る教員も少なくない。

教員のメンタルヘルス問題の国際比較

国際的に見ても、日本の教員のメンタルヘルス状況は厳しい。特に注目すべきは、新規採用教員のうち、条件附採用期間中に病気を理由として離職した教員の約9割が精神疾患によるものという事実だ。つまり、教職に就いたばかりの若手教員が、わずか1年足らずで心を病んで退職を余儀なくされているのである。

精神疾患休職者数の推移を見ても、日本の深刻さは明らかだ。2000年度には約2,500人だった精神疾患による休職者が、20年余りで3倍近くに増加している。この数字は、問題が改善するどころか、悪化の一途をたどっていることを示している。

教員志望者の減少と質の低下への懸念

そして最も深刻なのは、教育の質への悪影響だ。教員が疲弊すれば、授業準備の時間が削られ、一人ひとりの子どもと向き合う余裕がなくなる。本来の教育活動がおろそかになり、結果として子どもたちにしわ寄せが行く。

教員不足→業務の集中→さらなる疲弊→離職・休職の増加→さらなる教員不足、という負のスパイラルが回り始めているのだ。


改善に向けた動きと今後の課題

もちろん、この問題を放置しているわけではない。改善に向けた様々な取り組みが始まっている。

文部科学省は「学校における働き方改革」を推進し、部活動の地域移行、スクールサポートスタッフの配置、ICT活用による業務効率化などを進めている。一部の自治体では、給食費の徴収業務を自治体に移管したり、留守番電話の設置で勤務時間外の対応を減らしたりする工夫も見られる。

先進的な学校では、業務の「やめる・減らす・任せる」を徹底し、教員が本来業務に集中できる環境を作っている例もある。

しかし、まだまだ不十分だ。給特法の抜本的な見直し、教員定数の大幅な増員、専門スタッフ(カウンセラー、事務職員、ICT支援員など)の充実、部活動の完全な地域移行など、構造的な抜本的改革が必要だ。

そして何より、「学校と教員に何でも期待する」社会の意識を変えていく必要がある。教員は万能ではない。専門職として「教える」ことに集中できる環境を整えることが、結果として教育の質を高め、子どもたちのためになるのだ。


私たちにできること

この問題は、教育関係者だけの問題ではない。子どもを持つ保護者、そしてすべての市民に関わる問題だ。

私たち一人ひとりにできることがある。保護者であれば、学校への過度な要求を見直し、教員との建設的な対話を心がけること。地域住民であれば、部活動の地域移行に協力したり、学校支援ボランティアに参加したりすること。そして有権者として、教育への適切な予算配分や制度改革を求める声を上げること。

教員が健康で、やりがいを持って働ける環境を作ることは、私たちの子どもたちの未来を守ることに直結している。今こそ、この問題を「自分ごと」として考え、行動を起こす時ではないだろうか。

先生たちが笑顔で子どもたちと向き合える学校。それは、きっと子どもたちにとっても、最高の学びの場になるはずだ。

このまま我々は、教職員の方々の頑張りに甘え続けていいのでしょうか?
一緒に考えましょう。

いいなと思ったら応援しよう!