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「曖昧な感性の人」と「煮え切らない人」は紙一重なのかね

こんにちは。お疲れ様です。

最近読んでいる本に「なるほどなるほど」と思う事がたくさんある内容があります。

その本はこちら。



この本を私なりに解釈した内容で述べたいと思います。

その中の一部に、円滑だったり柔らかい人間関係のはじまりは
「曖昧なものとして受け入れる」こと。

という内容があります。例えば、

・あの人はこういう人だから
・この人は好き、この人は嫌い
・やるかやらないかはっきりさせてほしい etc…

という感じで一部が全部みたいな判断はせずに

・そういうところもあるかもしれない
・こういう言い方もあるんだ
・そんな人もいるよね etc…

という感じで曖昧に受け入れる。

どんなに好きな人だったり信用している人でさえ、少し考え方が合わなかったり、苦手な行動・態度がある。

だから、この人は◯◯な人です、と断言は出来ない。

だったら、どうせ人には(自分にも)苦手なところと良いところがあるんだから、その人の良いところや好きなところに目を向けて相手と関わった方が上手に関係性は進んでいく。


ずっと前の私は、それこそ白黒はっきりさせる考え方の持ち主でした。

「仕事がつらい?辞めればいいじゃん。」といった具合で、相手からしたら『そうじゃないんだよな』と思ってしまう面倒くさいタイプの考え方。

そして自分的にはそれを「自分は竹を割ったような性格だから」とまるで正義かのように思っていました。

どう考えてもやばい人です。
今の自分ならこの人に何か言っても伝わらないんだよな…と思って昔の自分には近づかないでしょう。

結構イタい余談を差し込んでしまいました。
戻りましょう、戻しましょう。

“一部が全部”ではないとは言え、良いところを見つけてそこに寄り添う形で人と接していると時々聞こえてくるのは

・みんなにいい顔している
・結局自分の意見がない
・ハッキリしない人だ

という意見。

見方をそういう風に変えてしまえば、そうなってしまいます、確かに。

本では、こういう人は「曖昧さ耐性の低い人」とされています。

続けて、

はたしてどちらが感情的にならずにやっていけるでしょうか?
曖昧さを受け入れられない人は、限られた人間以外にはカリカリした関係しかつくれないことになります。

「感情的にならない本」より引用

と書かれており、確かに。
人と関わる上で忘れないでおきたいのは、相手を100%理解するのはほぼ不可能。
だからこそ曖昧に受け入れることで無駄な争いは回避できる。


私自身の話で言えば、昔のイタい考え方を経て「八方美人だな自分は」と考えや意見がない自分に少し悩んだりした時期も経て。

どうにか今のところ、事前に意見を持ちながらも「言わずにはいられない」とか「聞いて聞いて!正解これだから!」というモチベーションは一切持たず。
言う必要があると判断した時や、聞かれた時に言う程度で自身の発信をしつつ、相手の言動の解釈は「なるほど」が一番にくるようになりました。

その上で、両者の考え方の中でのいい塩梅を方向性にする。


もちろん
私はなんらかの修行をしたわけでもなく仙人でもないのでタイミングによっては余裕がなくて感情が優先になることもあります。

そんな時はその都度、起動修正をすればいいんです。
「あー感情的になってるなー。一旦落ち着け自分」と内心でつぶやく。

そんな事をしながら日々、人と関わっていく。

感情的で、自分にも相手にも白黒ハッキリさせ続けるよりはずっと柔らかく穏やかに過ごせるはずです。

あー今日の天気は曇り。低気圧で首も痛し体も余計に重いな。
※余談、失礼しました。


ではまた。




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