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なんでもない夜── 何も起こらなかったはずの時間



いまでも時々、思い出す。

何かが起こったわけじゃない。
ただ、
いつもと少し違う空気があった。

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その日は、  
少し遅い時間に  
占いの予約が二件入っていた。

そのうちの一件から、  
キャンセルの連絡が来たのは、  
夕方を少し過ぎた頃。

「すみません、
 また別の日に……」

それだけ言って、
電話は切れた。


しばらくして、
また電話が鳴る。

「すみません
 今日は、やっぱり…」

言葉の続きはなかった。

二件目だった。


受話器を置いてから、
私はしばらく、
カウンターの中に
立ったまま動かなかった。


……まあ、
そんな日もあるか。

そう思って、
グラスを拭き直す。


ーーーーーーーー

それから少しして。

いつも閉店までいる
常連さんが、
コーヒーを飲み終えた。

「もう帰られるんですか?」

そう声をかけると、
その人は少しだけ笑った。

「今日はね、
 孫が来るんですよ」

「それは、楽しみですね」

「でしょ」

それだけ言って、
いつもより早く席を立った。


ドアが閉まる。

店の中が、
一段静かになった。


時計の音が、
少し大きく聞こえる。


私は一度、
店内を見回した。

コーヒーを淹れたはずなのに、
匂いがあまり立っていない。

あれ、と思ったけれど、
理由を探すほどのことでもない。

気のせいだろうと、
そのままにした。


そのとき、
ドアが少しだけ開いた。

人影が一瞬、
店の中をのぞく。

「……あ」

声だけがして、
足音が止まった。

「あ、ごめん。
 今日はやめとくわ」

そう言って、
ドアはすぐに閉まった。

私は、
軽く会釈をした。


すると、
それまでカウンターの下に
座っていた猫が、
急に動き出した。

店の端まで行って、
戻ってきて、
外を見る。

もう一度、外を見る。

鳴くわけでもなく、
落ち着かない。

「どうしたの?」

そう声をかけると、
猫は一度こちらを見て、
また動き出した。

その様子を横目に、
私はカップを並べ直していた。


そのとき、ふと、
今日は
このまま帰ったほうがいい。

そんな気がした。

理由はない。


……たまには、
いいだろう。

そう思って、
その日は早めに
店を閉めることにした。

後片付けも、
いつもより簡単に済ませた。

猫は、
何も言わず、
私の足元を歩いていた。


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家に帰ると、
家族はいつも通りだった。

テレビがついていて、
「おかえり」
と声が返ってくる。

いつもの夜。

猫も、
自分の場所で丸くなった。

何も起きないまま、
夜が過ぎて、
朝が来た。


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次の日。

常連さんが
カウンターに座って
コーヒーを待ちながら、
ふと思い出したように言った。

「昨夜、大丈夫でした?」

「え? 何がですか?」

そう返すと、
その人は少しだけ首をかしげる。

「この辺で、
 ちょっと何かあったらしくて」

「ああ、そうなんですね」

それだけ答えると、  
常連さんは軽くうなずいて

「まあ、無事でよかったです」

私は、  
小さく笑って返した。

なぜか、  
それ以上は
聞かなくてもいい気がした。


会話は、  
それきり自然に終わった。


猫は窓際の席で、  
いつものように
外を見ながらゴロン。

そのまま、  
何事もなく  
閉店の時間を迎えた。




「さあ、おうち帰ろうか…」



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