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『北越新報 昭和2年5月7日付』🗞️朝刊・夕刊セット

【新潟の古新聞紹介】🧐

『北越新報 昭和2年5月7日付』🗞️
朝刊・夕刊セット

昭和に改元してまだ2年目、金融恐慌で列島が揺れたその春、県央地域を中心に報じていた北越新報の朝刊と夕刊が2枚そろって99年の時を越えてきた!長岡が誇った地方紙の一日📰


【内容など解説】🧐
⚫︎ 昭和2年(1927年)という時代
前年に大正から昭和へと改元。
この年3月、大蔵大臣の「失言」ひとつが引き金となり昭和金融恐慌が勃発。全国36銀行が休業し、4月には若槻内閣が総辞職。
田中義一内閣が発足したばかりの、まさに激動の最中に刷られた一枚。
紙面の「樞府彈劾案」「財界を混乱に陷らしめた」という言葉は、中央政治への不信がそのまま長岡の読者に届いていた証でもある。

⚫︎ 北越新報とは
明治40年(1907年)4月、長岡で創刊された日刊新聞。
英題「THE HOKUETSU SHIMPO」を紙面に堂々と掲げ、朝夕刊体制で33年にわたり県央地域の政治・経済・社会を伝え続けた。
昭和15年(1940年)12月、戦時下の「一県一紙」国策により越佐新報と合併し新潟県中央新聞へ。
さらに昭和17年(1942年)、新潟日日新聞・上越新聞とともに3紙統合、現在の新潟日報が誕生する。
戦後は「夕刊北越新報」として一度復活するも、昭和25年(1950年)に新潟日報社と合併。昭和27年(1952年)に「新潟日報夕刊」へ統合され、その歴史に幕を下ろした。

⚫︎ 政治と生活が交差する紙面
農村の小作争議(「禁札逆戻り」)、松島事件の剣劇公判——ローカルな事件も中央政治と並んで紙面を埋める。
広告欄には喜谷實母散、ベルベット石鹸、クラブ石鹸——昭和2年の消費文化がそのまま残っている。


⚫︎ 朝刊・夕刊セットという希少性
古新聞は一枚残るだけでも珍しい。
同じ日の朝刊と夕刊が2枚そろって現存するのはさらに稀なこと。
朝と夕で何が変わり、何が続いているか——読み比べるだけで、当時の情報の流れ方が見えてくるかと。

📖 紙が語る「歴史の断面」
昭和2年5月——金融恐慌の余震がまだ列島を揺らし、内閣が替わり、銀行が次々と閉まっていったあの春。
新潟では小作争議が続き、関東への日帰り観光が広告を飾っていた。
激動の中央と、それでも動いていた地方の日常。
明治40年に産声を上げ、戦時統制で幕を閉じるまで33年——その途上の一日が、朝刊と夕刊2枚そろって99年の時を越えてきた。
活字をひとつ追うだけで、昭和2年のの空気が立ち上がってくる😌


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