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電車がとまるほどの雪が積もる中、江戸時代の宿場の歴史に触れに、旧甲州街道府中宿番場宿を訪問し、雪の中の高安寺の梅に春の近さを実感した【2026年2月 旧甲州街道府中宿 前編】

こんばんは、Yuu(ゆう)です。

2026年2月8日(日曜日)、私は西武新宿線の本川越駅までやってきました。

これから旧甲州街道の府中宿番場宿を見に行こうかなと思います。私の家からだと、西武新宿線と池袋線、武蔵野線を利用した方が安かったので、この本川越駅までやってきたのでした。では出発しようと思います。

改札に嫌なお知らせのホワイトボードがありますね。実はこの日の午前中、雪が降っておりまして、車両故障で西武新宿線は田無駅から西武新宿駅まで運転見合わせだとか。無事に目的地までたどり着けるんでしょうかね?

私がこれから乗る電車がやってきました。

今回はこの電車で所沢駅まで行き、所沢駅で西武池袋線に乗り換えて秋津駅まで行き、武蔵野線の新秋津駅まで歩いて、そこから府中本町駅まで行こうと思います。

入曽駅付近までやってきました。

これは入間基地なのですが、雪がうっすらと積もっております。

所沢駅に無事に到着しました。

降りてすぐに電車がやってくるという電光掲示板の表示が出ていますので、すぐに並びます。8両編成なので、すこし後ろ寄りに移動しますか。

電車は2分ほどで秋津駅に到着しました。

ここから武蔵野線の新秋津駅に向かいたいと思います。

秋津駅の改札をでます。

次の府中本町行きは15時。これに乗っていこうと思います。

西武池袋線の秋津駅からJR武蔵野線の新秋津駅まで5分ほどでしょうかね?

狭い路地を歩いてJR武蔵野線の新秋津駅に到着です。

改札の中に入ってホームまでやってきました。これは新秋津駅のホームから見た線路。

武蔵野線は貨物線でもあるので、このように貨物列車のための待避線などが設けられていたりします。なかには西武池袋線に接続する線路もあります。

15時発の府中本町行きの電車がやってきました。

これに乗って府中本町駅に向かいたいと思います。

15分弱程度でしょうか?あっという間に府中本町駅に到着しました。

出口に向かおうと思います。そしてこれが出口。

終着駅にしては出入口が小さい駅となっております。では府中宿に向かって歩いていきたいと思います

旧甲州街道に行くために府中街道に向かって歩いています。駅をでてすぐのところに変わったものがあるので寄ってみますかね?

国司館と家康御殿史跡広場というのだそうです。

広場の中に入ってみました。

国司館とは、奈良時代前期に都から武蔵国の国府に赴任してきた国司の居宅のこと。居宅では様々な儀式や饗宴が行われて、都の文化が伝えられたそうです。またこの場所には、徳川家康が滞在した府中御殿があり、鷹狩りなどを行う際に滞在した施設で、秀忠、家光の3代にわたって使われたのですが、府中大火(1646年)により焼失してしまったそうです。

国司館と家康御殿史跡広場を見たところで、甲州街道の府中宿に向かいたいと思います。府中街道まで出てきました。

正面に見えるのは大國魂神社の入口にある鳥居。大國魂神社には後で行こうと思います。

府中街道を北に向かって歩いています。

府中街道を歩いて3分ほどで旧甲州街道の標識が見えてきましたよ。

旧甲州街道と交差している府中市役所前の交差点に出てきました。

この交差点にあるのは府中高札場

高札場とは、江戸時代に、幕府や藩からの禁制や法令を伝えるために掲げる場所。通常は宿場の中で交通の多い場所に掲げられていたそうです。

高札場とは旧甲州街道をはさんで反対側にあるのは酒座中久本店

創業は1860年で、大國魂神社の御神酒造りから始まり、初代当主「久兵衛」の名とともに、「中久本店」と呼ばれるようになったそうです。

旧甲州街道を渡りました。写真は先ほどの高札場と大國魂神社御旅所

大國魂神社御旅所では5月5日の夜に、8基の神輿渡御が行われ、献饌、奉幣等の儀式が行われるそうです。

ここから旧甲州街道を歩いていこうと思います。旧甲州街道はこんな感じ。

この通りを江戸時代において、参勤交代で大名が通っていたんですね。

旧甲州街道を歩き始めて2分ほどの場所に府中宿番場宿の石碑があります。

この番場宿はもとの名を茂右衛門宿といい、この地域の名主である茂右衛門により、開発されたことからその名になったのですが、番場宿と称するようになったのは寛永13年(1636年)のことだそうですが、番場は馬場の転訛の説や番所があったからという説があり、由来は不明だそうです。

府中宿番場宿の石碑を見た私は、さらに西に向かいます。

こうやって旧甲州街道の府中宿番場宿を歩いていると古い建物が所々に点在しています。

これは旧甲州街道から見た下河原緑道

旧国鉄下河原線の廃線跡を使ってできた緑道で、下河原線はかつて日本国有鉄道が運営していた中央線(後に武蔵野線)の支線の通称で、国分寺駅から東京競馬場前駅までの旅客線と下河原駅(京王線中河原駅南東に位置)までの貨物線で構成されていたそうで、1976年9月に廃線となったそうです。

旧甲州街道をしばらく歩いていると、高安寺に着きました。

高安寺は曹洞宗のお寺で、室町幕府の初代将軍足利尊氏がもともとこの場所にあった見性寺を再興して高安護国禅寺と号したのが始まりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名付けられたとされているそうです。

さっそく中に入ってみましょう。六地蔵尊が出迎えてくれました。

高安寺の境内を進んでおります。これが山門となっております。

明治5年(1872年)に建立されたそうです。

山門からさらに進むと道元禅師像があります。

道元禅師とは鎌倉時代初期の禅僧で曹洞宗を開祖した人だそうです。

この道元禅師像から右に目を移すと鐘楼が見えます。

安政3年(1856年)の建立だそうです。その割に新しく見えるのは気のせいでしょうかね?

これが本堂

享和3年(1803年)の建立で、山門と鐘楼とともに東京都選定歴史的建造物に指定されているそうです。

本堂を見たので、高安寺を出る方向で進みます。その前に観音堂を見てからにしましょうか?これが高安寺の観音堂

この観音堂ですが、元々違う場所にあったのですが、江戸時代初期の洪水で流され、享保年間(1716〜1736年)に現在地に再建されたのだそうです。

この観音堂のすぐ近くで梅の花が咲いていました。

雪が積もっている中で、花をつけた梅に春の息吹を感じました。

この後にも続きがあるのですが、記事が長くなっているのでいったんここで区切りたいと思います。

今日はこのへんで。ではまた次回。

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