#12:棘のある言葉を受け取ったら
「チクチク言葉」という名の攻撃をされる経験、
あなたもありませんか?
例えば、仕事で理不尽に怒られたりとか、
友達にちょっとした嫌味を言われたりとか。
言い返したいけれどそんな勇気はなく。
そもそも言い返すことで空気を悪くしたくもなく。
かといって冗談ぽく指摘をするスキルもなく。
そうしてなんとなくごまかしては、
もやっとしてしまうんです。
こんな小さな、だけど深く刺さる無数の棘に動じなくて良いとしたら、どうでしょう。
私は最近、誰でもできる、とっても簡単な
「動じない方法」に気づいたんです。
「それでも事実は揺るがない」
心の中で、たったこう唱えるだけです。
例えば会社で、調べても見つからない特殊な事例について質問すると「なんでこんなことも分からないんだ!」と怒られたとき。
分からないことは事実だけれど、「こんなこと」は事実ではない。
つまり、相手が何と言おうと「分からないのか」と怒られる筋合いはない。
それが事実。
また、少し違った例だと、
友達に「この見た目だから色んな人に誘われちゃって大変」とモテマウントを取られたとき。
相手の主張は事実かもしれないけれど、それは自分の「モテ度」にも「評価」にも影響しない。
つまり、相手が自分をどう思おうと、自分の価値は変わらない。
それが事実。
ーー正直、すごく普通のことです。
でも、心に余裕がないときって、
そんな風に考えられない時もあると思うんです。
棘のある言葉をもらわなくたって、
自分で勝手に人と比べてしまう時だってそうです。
「この人は攻撃をしたいみたいだけど、客観的事実は揺るがないから」
そう思うだけで、相手を「可哀想な人だ」とは思っても、自分が「悲しい」「ムカつく」とは思わなくなります。
受け取らないに越した事は無いけれど、もしあなたが次にまた棘を受け取ってしまったとき。
変わらない何かを、思い出して欲しいです。
【ウラバナシ】
私が少し物事を達観してみられるようになったのは、この歌詞がきっかけな気がします。
はたから見れば 幸せなあの子が
嘘で拭ってるのも だからか
この歌には、こんな歌詞もあります。
また、はたから見れば 不幸そうなあの子が
裕福なのも だからか
どんなに外野がなんと言おうと、
幸せかどうかを決めるのは、自分自身。
自分で「しか」決められないんです。
逆に、人の幸せも、人が決めることはできない。
だから、どんな攻撃に対しても、
「私が幸せだという事実は変わらない」
というポジティブかつ冷静なマインドを
いつも堂々と持っていたいと、私は思います。
