三人のサンタと二人の灯火
玄関を一歩出ると、冷たい風が頬をかすめる。
吐いた息は白くほどけて、街のイルミネーションの光に紛れていく。
会社帰りの人たちが、紙袋をぶら下げ駅へと急ぐ。
赤と緑のラッピング。金色のリボン。
あちこちのショーウィンドーには、笑顔で僕を見つめるサンタクロースの数々。
――サンタクロースなんて、いない。
少しおませな僕は早々にそれを知ってしまっていたが、
同時に、サンタは確かに存在していたのだと、今になって思う。
僕の父が、まだサンタクロースだった頃の話だ。
ひな祭り
妹が「ひな人形欲しい」と言い出したのは、たぶん幼稚園の年長さんのころだったと思う。
友だちの家に遊びに行ったその日、立派な七段飾りを見たのだと、目を輝かせて僕に話しかけてきた。
「うちにはなんでないのかな?女の子の日のお祝いにって、普通は飾るんだってさ」
母は少し困ったように笑い、お茶碗を並べながら言った。
「ごめんね。うちはほら、飾る場所もないし、おじいちゃんもおばあちゃんもいないから。」
妹は「ふーん」と急に無関心を装ってはいたが、いつもと比べ、心なしか食事がすすまないように感じられた。
「はぁー」
小さなため息をつく姿が僕の視界をよぎった。
翌日、僕と妹は、狭い居間の隅っこで、「おひなさまごっこ」をしていた。
本物のひな壇の代わりに少年ジャンプを何段か重ねる。
妹はお気に入りの人形二体を選び、真ん中に並べる。
僕は「キン消し」と呼ばれるキン肉マンの消しゴム人形をいくつかそのお人形の側に並べた。
「ほら。三段飾りの出来上がりだ」
そう大袈裟に笑って見せると、妹もクスッと笑ってくれた。
なんとも不格好ではあったが、僕たち兄妹にとっては立派なひな人形だ。
屏風もぼんぼりもない代わりに、母が買ってきてくれた桜餅を頬張りながら、「キン消し」を戦わせて遊んでいた。
なんとも不思議なひな祭りだ。
「オトナになったらひな人形買うんだからね」
ひな人形の意味を知ってか知らずか妹は胸を張って宣言した。
そのとき、玄関を乱暴に開ける音がした。
「帰ったぞ」
酒に焼けた掠れた大声。
時計を見ると19時を回っていた。
いつものことだが、少し酔いの回った父親の帰宅だ。
狭いアパートだから、玄関から居間は丸見えだった。
「なんだこれは」
二体のお人形とそれを囲むキン消し達。
父の視線は明らかにそれらを捉えていた。
ネクタイは緩み、ワイシャツのボタンが一つ外れた父からは、いつもの焼酎の匂いがした。
「いや、別に...…」
少し怖かったが僕がそう答えた。
父は僕と妹と「ひな人形」達を見つめ、少し間を開けて大声で怒鳴りつけた。
「俺へのあてつけか?」
「え......?」
すぐには言葉の意味が理解できなかったが、怒号と威圧的な視線に、二人は目を伏せた。
「ひな人形も買ってやれない父親への当てつけかっていってるんだ。お前ら大概にしろよ」
親が子どもへ言うとは思えないそんな言葉を言い終わらないうちに、父は「ひな人形」達を蹴り飛ばした。
「やめっ」
妹がその言葉を言い終わらないうちに、お気に入りのお人形さんの一体の頭はちぎれて転がっていた。
「やめろよ!」
僕は無意識に父に飛びかかっていた。
まだ小学校低学年の僕の力では、酔っぱらった父に敵うはずもなく、蹴り飛ばされた。
「そんなに欲しいなら自分で稼いで買え」
さっきの怒号とは打って変わって消え入りそうな声でそういうと、父は鞄を投げ捨てまたどこかへ出かけていった。
「ごめんな」
誰に向けた言葉だったのか分からない。
妹に対してか。
人形に対してか。
黙って見ていた母に対してか。
忘れられないひな祭りになったことだけは確かだった。
サンタさんからの贈り物
最悪のひな祭りからさかのぼること数年。
クリスマスイブの夕方、台所からいい匂いが流れてきた。
まだオーブンレンジが一般家庭に普及していなかった時代。
母が買ってきてくれたケンタッキーのチキンの匂いだ。
「今日はクリスマスイブだからちょっと贅沢しちゃった」
母はそう言って、大皿にのった料理とチキンをテーブルに並べた。
僕の大好物のポテトサラダもあった。
妹のリクエストのタコさんウィンナーも飾られていた。
「お父さんまだかな」
妹はテーブルに並んだご馳走にはやくありつきたいのかそわそわして落ち着きがない。
ガチャ、と玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー。ちょっと有名人に会ってな。少し遅くなっちゃったよ。」
父はどこか誇らしげで、優しい笑みを浮かべている。
「いやな、帰り道でサンタさんに会ったんだよ」
「えっ?」
僕と妹は同時に身を乗り出した。
「サンタさんに?!」
「ああ。ほら、これ」
父はそういうと、テーブルに2つの包みをどさりと置いた。
隣町のデパートの包装紙に包まれたプレゼント。
「開けていい?」
「ご飯の後でな。サンタさんからもそういわれたからな。
『ちゃんとご飯を食べてからプレゼントを開けなさい』ってな」
父は少しおどけたしぐさで、でも、ちょっと自慢げにそういった。
「サンタさんどこ?」
「まだ近くにいるかな?」
「どんな人だった?」
妹は食い入るように父の目を見つめ質問攻めにしている。
「次の子どもたちのところにいかなきゃって、トナカイのソリに乗ってどこかいっちゃったよ」
「白いおひげに少しお腹が出てた。一目でサンタさんってわかったぞ!」
父は自分の言葉に、少し照れくさそうに笑った。
僕はなんとなく察してはいたけど、そんなことはどうでもよかった。
お父さんが「サンタに会った」と言ってくれている。
それだけで満足だった。
食事のあいだじゅう、妹はそわそわしっぱなしで、そんな姿を父も母も優しく見つめていた。
欲しかったのはテレビゲームだった。
友だちはみんな持っていて、どうしても僕も欲しかったのだ。
羨ましかったけれど、うちはあまり裕福とは言えない家庭だったから、
「僕はあまり興味ないから」
なんて強がってみせていた。
一年に数回もないご馳走をたいらげると、いよいよお楽しみの時間だ。
ビリビリッ
妹の包みからは、かわいらしいお人形さんが二体。着せ替え用の洋服もセットだ。
「わぁー、かわいい!サンタさん大好き!」
妹はもうお人形さんに夢中で、二体を交互に見つめながら、上げたり下げたり忙しそうだった。
僕の包みからは、
2年前くらいの日曜の朝に放送されていた、ロボットヒーローものの超合金ロボだった。
(さすがにテレビゲームじゃないか...…)
そんな気持ちを隠すように大袈裟にはしゃいで見せた。
「やったー!これ欲しかったんだ!サンタさんなんで知ってたんだろ?」
テーブルを挟んだ向こう側で、父と母は顔を見合わせ柔らかい表情を浮かべていた。
その夜は、妹は二体のお人形さんを、僕は超合金ロボを抱えて眠った。
夢の中では、超合金ロボを操縦するテレビゲームで遊んでいた。
妹はいい夢を見られただろうか。
僕は目が覚めたとき、ちょっとした罪悪感のようなものを感じていた。
行方不明のサンタさん
その年を最後に、我が家にサンタさんがプレゼントを持ってくることはなくなった。
小学生ながらに、サンタさんが来なくなった理由は何となくわかっていた。
もとより晩酌をする父ではあったが、酔っぱらっては母に大声で怒鳴りつけるようになっていた。
夫婦の言い争いは増え、そんな日は、決まって父は外出し、夜中遅くに帰ってくるのだった。
良い子にしていればサンタさんがやってくるなんて嘘っぱちだ。
良い両親がいてくれるから、サンタさんはやってくるんだ。
僕はその事実を、幼いながらも痛いほど悟ってしまった。
きっと我が家にサンタさんが来ることはない。
サンタは行方不明になってしまったんだ。
そう言い聞かせるようになっていた。
お兄ちゃんと妹
あれからどれほどの月日が流れただろうか。
僕も妹も、大学進学を機に県外へでた。
実家とはすっかり疎遠になっていた僕だが、妹は時々は帰省しているらしい。
「お兄ちゃんもたまには帰ってあげなよ。お父さん、もうお酒やめたよ」
「そっか。気が向いたらな」
大酒飲みが祟ったのだろう。
父は肝臓を悪くし、何度かの入院を繰り返し、酒はもうやめたのだという。
(自業自得だ。今さらなんだっていうんだ。)
帰省する気はさらさらなかった。
実家に関わる気はなかったが、内定をもらえたのは地元の1社だけだったから、気は乗らなかったが地元へ帰ることとなった。
就職してからというもの、残業の日々が続き、ストレスはたまる一方だった。
平日は先輩に誘われるままに飲みにいき、休日は、家事は洗濯をするくらいで、くたびれて寝てばかりの繰り返しだ。
気付けば、笑い声のない部屋に慣れすぎてしまっていた。
(何してんだろ、俺)
生きるために働いてるのか、働くために生きているのか、もはや自分でもわからなくなっていた。
そんな日々を送る僕とは違い、妹は愛する人と出会い、2人の子宝にも恵まれていた。
「お兄ちゃん?あんまり意地張ってないでさ、たまには家に遊びに来なよ」
妹夫婦と甥っ子、姪っ子が、父と母と同居していたのは知っていた。
それでも実家に足が向くことはなかった。
会社の歯車であることにもすっかり慣れ切っていた僕は、気が付けば、父が「まだサンタさんだったあの日」と同じような年齢になっていた。
音のしないテレビには、今年の初雪のニュースが映っている。
(もうすぐクリスマスか...…)
愛する人のいない僕には無縁の日。1/365でしかないその日を間近に控えたある日、妹からの着信があった。
(また催促かよ)
とはいえ何度も無視し続けるのはバツが悪い。
しかたなくスマホを手に応答にスライドした。
「もしもし?おにいちゃん?こんどね、くりすますするんだよ。あそびにきてね」
声の主はあの頃の妹そっくりな姪っ子だった。被せ気味に声の主は変わり、甥っ子が催促してくる。
「ねえ、きいてる?ごはんたべにくるよね?まってるよ。」
途切れそうになっていた何かが、ふいに胸の奥で小さく灯るのを感じた。
「じゃあおかあさんにかわるね」
「お兄ちゃん?今度のイブの日、みんなでパーティするから顔出してよね。二人も楽しみにしてるから。」
「ああ、気が向いたらな」
「絶対だよ。待ってるからね。じゃあ。」
もう何年帰っていないだろうか。
甥っ子、姪っ子には会いたいが、足が重い。
明日また考えることにして、その日は早めにベッドへ潜った。
三人のサンタさん
「なあ、小学校低学年の男の子と幼稚園の女の子が喜ぶプレゼントって何かわかるか?」
「どうしたんすか先輩。彼女でもできたんすか?人妻じゃ、、、ないですよね?」
「茶化すなよ。甥っ子と姪っ子だよ。」
「なーんだ。ビッグニュースかと思ったのに損した気分です笑 それくらいの子どもなら・・・・・・・」
慕ってくれている後輩は、昔でいう一姫二太郎のお父さん。子どもの年齢もだいたい同じくらいだ。
いつもの頼りなさげな姿が嘘のように頼もしく見える。
女の子ならセーラームーンが、男の子ならロクヨンかゲームボーイがいいらしい。
相変わらず気乗りはしないが、帰り道にデパートに寄り、セーラームーンのフィギュアとゲームボーイのソフトを、店員の進めるままに購入した。
贈り物だと伝えると、きれいな包装紙で包んでくれた。
義弟が建てたその家は、まだほんのりと新築の匂いがする。
玄関の前に立ち、チャイムを鳴らそうとしたその時、
「なんだ、来てたのか」
張りのないその声の主は、記憶の中の姿より、一回り小さな父だった。
「ああ。チビたちがうるさいからな」
目線を落すと、父もまた、きれいに包装されたサンタからの預かりものらしきものを手にしていた。
玄関から妹が顔をのぞかせ家へと招き入れてくれた。
玄関の奥では、妹の夫が子どもたちの靴をそっと揃えていた。
その静かな所作が、妙に胸に残った。
たぶん僕は、その背中に “もう一人のサンタ” を見たのだ。
「あら、サンタさんが3人もそろっちゃったのね」
すっかり母の顔になってはいたが、その嬉しそうな目はあの日の面影を携えていた。
「今日はお母さんと腕を振るったのよ。ちゃんとご飯食べていってね。」
あの日の僕と妹は、家族の空気を変える力を持っていなかったが、あの日の僕たちの年頃に成長した二人は天使なのかもしれない。
父はサンタの姿を取り戻し、僕は初めてサンタになった。
その夜、僕と父は思いがけず同じ空の下で、同じ灯火をともしていたのかもしれない。
サンタは、誰かの心がそっと灯す、小さな火なのだと思う。
二人の小さな天使が、その火種を僕と父にくべてくれたのかもしれない。
(了)
本文5,034字
灯火杯5th Re:クリスマス
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