乾杯の仕方は決闘の作法から生まれた
盃をカチンとぶつけ合う乾杯の仕方が昔の日本の習慣にはありませんでした。江戸末期に英米の使節が来日した時に伝えられたとそうです。
この様式の乾杯は何と決闘におけるマナーから生まれたというのです。以前、他の記事でノルウェー語で「乾杯!」スコールは「しゃれこうべ」という意味だということを書きましたが、西洋では今も行われている普通の習慣が何かと物騒なことが背景の物語にあるようです。
西洋の騎士道華やかりしころ、決闘は盛んに流行したようで、決闘においては、その前にまず両者が介添え人の差し出す杯を飲み干すのが習慣だったというのです。
このときに盃へ酒を注ぐ作法は、介添え人が一方の盃に酒を注ぎ、この盃の酒を半分だけもう一方の盃に次ぎ分けるというものだったそうです。
これは酒や盃に毒を入れたり、毒を付けたりはしていませんよ、ということを説明するための作法だったとか。
自分の盃から半分の酒を相手の盃に入れる時は盃がぶつかりますが、これがのちに乾杯のスタイルになったのです。すなわち、毒は入っていませんよ、悪意は持っていませんよ、との意味を込めて盃をぶつけるようになったということです。
そして、さらに略して、盃を触れ合わせるスタイルで済ませるようになったのです。
現在、きちんとした席での乾杯は、グラスを目の高さにあげ、トースト・マスター「乾杯の音頭をとる人」に皆が注目し、次に客同士が目礼を交わしてから男性は右側の女性とグラスを軽くぶつけてから酒を飲むというスタイルのようです。
もうすぐ春、宴会の席も多くなるでしょうか。目が合うと火花を散らすような相手と昔の意味での乾杯をしてみましょうか?
それにしても西洋では侮辱されたら決闘をするのが当たり前だった、それが国と国の間では戦争を始めるのが当たり前だったのです・・・この間のトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談も決闘に発展するのが当たり前の時代もあったんですね。
戦争をしたいなら、国のトップの二人が、その意見と同じの取り巻きがいるなら彼らも含めてどこかの無人島とかで勝手に決闘をして終わりにして欲しいと思ったりします。自分たちは鉄砲の球が飛んでこない安全地帯にいて平和のことなど考えてはいない、自分の利益しか考えていないような気がします。
これからトルコに行きますが、久しぶりのトルコでの国際ニュースを楽しみにしています。平和ボケした日本やアメリカなどとは違い、戦争の悲惨さなどがひしひしと伝わってくるニュースを目にします。その地にいると、本気で世界の平和のことを考えさせられます。
トルコのすぐ向こうではイスラエルがありロシアも元ソビエトの小さな国々を越えるとすぐそこですものね。
トルコではガザのことでのデモを目にしました。街中でパレスティナの旗をもって歩いている人たちを何人も目にしました。
今回はもっと多くのそんな人たちを目にするのでしょうか。
明日はまたまた大きなスーツケースを2個引っ張りながら出かけます。しばらくブログの方はお休みです。
