文化盗用について
ここ数日、SNS上でフランスのとあるカフェを批判する投稿をいくつも見かけた。
批判を助長するつもりはないので、かなりぼやかして書くが、そのカフェはファウンダーのフランス人が旅行で訪れたある国のカフェをモチーフにしたものだ。その国には独自のカフェ文化があり、それに感銘を受けたファウンダーがフランスに持ち帰ってカフェを開いた。店名も、その国のスタイルのカフェであることがわかるものとなっていた。
ファウンダーは「この都市では初の◯◯(その国の名前)スタイルのカフェだよ」とインタビューに答えていた。メニューは一応その国のカフェ文化をある程度は踏襲しているようだが、肝心なメニューがなかったりしているらしい。
これを「文化盗用」だと多くの人が指摘した。表面的にしか理解していないもので、その国の人を雇うこともせずに自分たちの勝手な解釈でビジネスを展開していることに不快感を表したのだ。その都市にはもともとその国の人が運営するその国のスタイルのカフェが存在していたにも関わらず「この都市で初の」と発言したことも、火に油を注ぐ結果となったようだ。
パリに星の数ほどある、中国人等が運営している日本料理屋はどうなるのだろう、と思わなくもないが、フランス人からすれば日本も中国も同じアジアなのだからあまり気にならないのだろう。先の件は、白人がヨーロッパ以外の国の文化を出しにしてビジネスをしたことが嫌悪感を助長させたような印象がある。
文化盗用という言葉を目にする機会が増えたように思う。ハイブランドやセレブなど、力を持っているものが弱者から搾取するという構図が、今まで以上に批判の対象となっているのだろう。中には若干神経質すぎるのでは…?と思わされるものもなくはないが、それだけホットなイシューとなっているようだ。また、批判が文化盗用をされた側から起こるのではなく、した側と同じ文化圏にいる人たちの間で生まれるというのもひとつの特徴である。
それもあって、文化盗用と批判されるかどうかは、ある種“ロシアンルーレット的”に決まってしまっているような気がするのだが、実際のところはどうなのだろうか。他文化から着想を得て作られたものは山ほどあるが、その中で文化盗用と批判されるものに一定の法則性があるようには私には思えない。きっとどれも“たまたま”なのだろう。
ところで、他文化から着想を得た場合に、それが文化盗用となる場合とインスピレーションソースとして受け入れられる場合があるわけだが、その境目はどこにあるのだろうか。批判されるかどうかは先述の通り“ロシアンルーレット的”かもしれないが、作り手の側としては何をしたら倫理的に問題がある行為になるのだろうか。
「他文化に対するリスペクトがあるかどうか」というフワッとした話ではなさそうだ。皆リスペクトはある。冒頭のカフェのファウンダーにしたって、リスペクトがあったから自ら身銭を切ってカフェをはじめたのだろう。
この境目にはふたつの評価軸がありそうだ。
ひとつ目は、その文化に対しての理解度だ。浅い理解で表面的な部分を切り取っているだけの場合は、うまいことやろうとする魂胆が丸見えとなり、やはり文化盗用の側面が強くなるだろう。冒頭のカフェの例も、旅行でたまたま知ったものを、あまり深く考えずにビジネスにした印象が否めないため、強い批判を生んだものと思料する。
ふたつ目は、自文化への落とし込みだ。仮に他文化に対して深い理解を持っていたとしても、それをそのまま持ってきてしまってはただのコピーとなってしまう。他文化で学んだものを、自らの文化と混ぜ合わせることで、新しいものを作っていくことが大切なのだと思う。冒頭のカフェに関しては、ただ◯◯風カフェを作っただけで創意工夫がなかったこともよくなかったのだろう。
フレグランスブランドに目を向けてみると、他文化からインスピレーションを得たものが多いことに驚かされる。旅や都市をテーマとしたブランドは星の数ほどあるし、そうでないブランドにおいても、何の脈絡もなく急に関係のない文化をインスピレーションソースとした香りを出したりする。ひどいブランドになると、自文化とは全く関係のないところをそもそものブランドコンセプトにしている。
残念ながら、他文化を何らかの形でインスピレーションソースとしているフレグランスブランドにおいて、その文化の理解度が高いケースはほとんどない。だいたいがそれっぽい香料を加えてお茶を濁している。ただ、香水というヨーロッパに起源があるものにそのインスピレーションソースを落とし込んでいるがゆえに、先の評価軸のふたつ目が一応クリアされており、文化盗用として批判されることはなさそうだ。
それでいいのだろうか、とふと思う。
他文化への理解が低いままそれをインスピレーションソースとして使っていたら、いつまで経ってもいいものは作れないように思う。それに、香水においてはたまたま香水という形でデフォルメすることで一見落とし込みができているように感じられるだけで、実際にやっていることは非常に程度の低いマーケティングにすぎない。
そろそろそういうものを止めるタイミングにきているのではないか、と私は思う。そうしないと、私たちは気づかぬうちに文化盗用の加害者になりかねないのだ。
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