「シンガーソングライター」の謎
「二つ以上の語が対等な関係で結びつき、一つの語を形成している語」を挙げてみよう。例えば「シンガーソングライター」(歌手・作曲家)が思い浮かぶ。
日本語:「親子」「夫婦」「売買」「老若男女」
英語:singer-songwriter, bittersweet, Bosnia-Herzegovina(国名)
このような複合語は、言語学ではdvandva(ドヴァンドヴァ)複合語と呼ばれる。dvandvaとはサンスクリット語で「二つ組」や「対」を意味し、古代インドの文法学に由来する用語である。現代の形態論や類型論でも広く用いられ、複合語の意味関係を分類する際の重要な概念となっている。
一般的な複合語では、一方の要素が他方を修飾する。例えば「黒板」は「黒い板」、「blackbird」は「黒い鳥」を意味する。しかし、dvandva複合語では、一方が他方に従属するのではなく、両者は対等な関係にある。「親子」は「親と子」、「夫婦」は「夫と妻」、「売買」は「売ることと買うこと」のように、「AとB」という並列関係そのものが語の意味を構成している。
しかし、ここで一つの疑問が生じる。「親子」は本当に「親」と「子」を並べただけの言葉なのだろうか。「老若男女」は単に四つの属性を列挙しただけなのだろうか。実際には、「親子」と聞けば私たちは一つの家族関係を思い浮かべ、「老若男女」と聞けば「すべての人々」という意味を理解する。そこでは、個々の要素よりも、それらをまとめた一つのまとまりが認識されているように思われる。
では、人間はなぜ、二つのものを一つとして捉えるのだろうか。dvandva複合語を手がかりに考えると、私たちの認知の特徴が見えてくる。
「ゲシュタルト」という概念
dvandvaを考えるうえで重要になるのが、ゲシュタルトという考え方である。ゲシュタルトとは、もともとドイツ語で「形」「まとまり」「全体的構造」を意味する語である。心理学では、私たちが世界をばらばらの要素としてではなく、意味のあるまとまりとして知覚することを説明する概念として用いられる。(よくゲシュタルト(全体)は「部分の総和以上」の意味をもつ、と説明されます…)
たとえば、私たちは顔を見るとき、目・鼻・口を一つずつ別々に見ているわけではない。それらが一定の配置をとることで、「顔」という一つのまとまりとして認識している。また、音楽を聞くときも、一つ一つの音を単独で聞いているのではなく、旋律という全体として捉えている。つまり、人間の認知では、全体は単なる部分の寄せ集めではないのである。
ゲシュタルト心理学からの応用
この考え方は、dvandvaにも応用できる。「親子」は、「親」と「子」という二つの要素から成る。しかし、私たちはそれを単に「親+子」として理解しているわけではない。「親子」という語からは、血縁、養育、依存、責任、愛情といった関係性を含んだ一つのまとまりが立ち上がる。同じように、「夫婦」も「夫」と「妻」の単純な和ではなく、婚姻関係にある二者から成る社会的単位として理解される。
また、「売買」も興味深い例である。「売る」と「買う」は一見すると反対方向の行為である。しかし、実際には一方だけでは取引は成立しない。売る人がいて、買う人がいて初めて「売買」という一つの出来事が成立する。ここでは、二つの行為が並列されることで、より大きな出来事のゲシュタルトが形成されている。
さらに、「東西」「南北」「老若男女」のような表現では、対立する要素を並べることで、むしろ全体性が表される。「東西」は東と西だけを指すのではなく、広く「あらゆる地域」を表すことがある。「老若男女」も、老人・若者・男性・女性を個別に指すだけでなく、「すべての人々」という意味を持つ。このように、対立する二項をまとめることで、一つの全体を表す働きが生まれる。
このことから、dvandvaは、単なる語の足し算ではなく、複数の要素を一つの認知的まとまりとして捉える言語形式だと言える。人間は世界を細かく分解して理解するだけでなく、関係し合うものを一つの全体として把握する。dvandvaは、そのようなゲシュタルト認知が言葉の形に現れた例なのである。
ゲジュタルト崩壊
「ゲジュタルト」と聞くと「ゲシュタルト崩壊」を思い浮かべる人もいるかもしれない。
私たちは、ある文字や語を長時間見続けると、それが急に意味を失い、単なる線や音の集まりのように感じられることがある。これは一般にゲシュタルト崩壊と呼ばれる。
最近、東西線に乗っていて「今、東西線の東側を走っているのか?西側を走っているのか?」なんて考えたことがある。別に、横に長い電車なんていっぱいあるのだから東西線は「東西」線でなくてもいい。いろんなところにいけますよ、という言う意味で東西線なのだ。(そうじゃなかったら、総武線だって中央線だって常磐線だってなんでも東西線だ)
「今、東西線の東側を走っているのか?西側を走っているのか?」
「東西」という語が一つのまとまりとして理解されていた状態から、その内部にある「東」と「西」という二つの要素が急に見えてくる現象である。つまり、dvandvaのゲシュタルトが一時的に崩れたのである。
そもそも東西線利用者でこんなことを考えている人は相当稀有であろう。
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