少年院で100人の子どもたちと「焼肉」の約束をした日のこと
先日、自分の人生の価値観が根底からひっくり返るような1日を過ごしました。
20年以上、少年院の子どもたちと向き合い続けている社会活動家の吉川さんにお声がけいただき、泉南にある和泉学園(少年院)へ講話に行きました。
実は、行く前の道中、私の頭の中は
「私は彼らに何を伝えることができるだろう。」
経営塾や、イベントでの登壇、メディアにも有難いことに数多出演させていただいた自分がめちゃくちゃ緊張というか、終始落ち着かなかった。
事前情報として、こういった院生がここにいる理由は全国を見ても様々。
「一番信用してた親や先生から、ひどい目に遭わされ続けた」という子。
「消しゴム1個の万引き」にて入った子。
※「虞犯(ぐはん)」といって軽微な罪でも、その背景に家庭環境の崩壊や深刻ないじめがあると判断されれば、「保護する観点」から、少年院へ引き取る現実があるという。
だけど、圧倒的に多いのは劣悪な家庭環境から犯罪に走る子供たちが圧倒的に多いことだ。
心が張り裂けそうな例は
「妹がご飯をずっと食べてないから、万引きした」という子。
家族を守ろうとして、罵倒されて手だしてしまって強盗罪ですよ。
一見、豊な世の中に見え、なんと豊かさが偏在してしまっていることか。
それを聞いて表れるのは強い怒り。彼らは罪人というより、身勝手な大人や歪んだ社会構造の「被害者」じゃないか。
抱えきれないほどの絶望、悲しみ、寂しさ、そして行き場のない怒り。
それらをその小さな背中に背負わされて、結果としてここに辿り着いたのだと知った。
一見の豊かさは、「みな平和で健康に過ごせている」と無関心を生んでしまうことが恐ろしくて仕方ない。
和泉学園の門をくぐり、講話の会場である教室に入り、授業の鐘と共に、ぞろぞろと入ってきた、約100名の院生たち。
彼らの姿を見た瞬間、私は言葉を失い、胸がギュッと締め付けられた。
「……みんな、めっちゃ普通のかわいい子どもたちやん。」
そこにいたのは、いかつい不良でも、恐ろしい犯罪者でもなんでもなかった。 休みの日に公園で泥だらけになってスポーツをしたり、みんなでゲームをして笑っている、我が子となんら変わらないごく普通の子どもたちだった。 これまで色んな学校でキャリア教育に関わってきたけれど、そこで出会ってきた子どもたちとも何一つ違いはない。 純然たる子どもたちだった。
「なんでこの子たちがここにおるんや。何があったんや。周りに頼れる『かっこいい大人』は一人もおらんかったんか。」
いろんな感情が頭の中を駆け巡り、胸が苦しくてたまらなくなった。
その瞬間、私の中にあった不安はすっかり消え去り、「飾らず、自分の思う言葉をただ正直にぶつけよう」と腹が据わった。
リングスターの歴史の紹介や、海洋ゴミの取り組み。
そして院生と同じくらいの、生駒市や対馬市の子供たちと一緒に万博で世界に向けて発信したこと。
一通りの説明を終えたあと、私は彼らをじっと見つめ、自分の心のままに語りかけることにした。
壇上に立って改めて痛感した。用意してきた綺麗事のアドバイスや、上からの説教なんて1ミリも意味がない。そんなもので彼らの傷が癒えるわけもないし、心を開くはずもない。
だから、私は準備していた言葉をすべて捨て、 一人の人間として、すべて剥き出しにしてぶつけることにした。
※この時の記憶で全部覚えてないのですが、おおよその言葉です。
「みんながここに来た経緯や背景は、正直、僕にはわかりません。
きっと、世界に対して絶望したり、いろんな想いを抱えて、結果的に今ここにいるんだと思います。
もちろん、やってしまったことの責任は、きちんと取らなあかん。
でも僕は、その前に『ちゃんと相談できる大人が周りにいたんかな』って、そればかり考えてしまいます。
みんなが当たり前に笑顔で生きていける世の中をつくるのは、本来、僕たち大人の役割です。
そりゃあ、なんでもかんでも社会や大人のせいにしたらあかんで。
でも、みんなが絶望してしまうような世界を残してしまっていることには、一人の大人として強い責任を感じています。
これからみんなが戻っていく世界は、決して完璧じゃないし、理不尽なこともまだまだあります。
でも、これだけは信じてほしい。
僕を含めて外の世界には、『本気で世の中を良くしよう』と腹を括って動いている、かっこいい大人がたくさんいます。
100年後の子どもたちから『あの時代の大人たち、かっこよかったな』って思ってもらえるように、泥臭く頑張っている大人が山ほどいます。
だから、決して絶望しないでほしい。僕たちを信じてほしい。
世界がひっくり返ろうが、天変地異が起きようが、僕らはみんなを絶対に否定しないし、裏切らない。
僕の好きな言葉に、こんな言葉があります。 『心配しなくていい。光は、影なんかよりずっとずっと多い。』
暗いとこばかり見てしまいがちだけど、実は明るいことの方が多い。
みんながここを出て、世のために最高の仕事をするのが、僕は楽しみで仕方ないです。
私は先に、最高の仕事をして待っています。
だからみんなも社会に戻って全力で頑張ったら、僕の前に来て『最高の仕事してきたよ』って胸を張って伝えてください。
その時は、最高のおいしい焼肉を一緒に食べよう。」
話しているうちに、子どもたちが、ポロポロと涙をこぼし始めた。
それを見ていたら、こっちまで胸が熱くなって目頭が崩壊し、一緒に泣いてしまった。
後部で見ていた吉川さんが最後空気が大きく揺らいだ(変わった)といってます、それぐらい皆が共に涙し、共鳴していたのだと思います。
講話が終わり、質疑応答の時間になると、さっきまでボロボロ泣いていた彼らが、今度は見たこともないようなキラキラした笑顔で一斉に手を挙げてくれた。
「私を当ててくれ」と言わんばかりに、みんなが一生懸命挙手し始めた。
「芸人になりたいんですけど、それは世の中のためになりますか?」
「一級建築士になりたいです。なれたら焼肉奢ってくれますか?」
「私でも最高の仕事ができますか?」
質問はとまらず、その真っ直ぐな瞳を見て最後に伝えました。
「自分が胸張って仕事できたら、それは世の中の為になる。誰でも最高の仕事ができるんやで。ここを出たら、やったろうぜ。その時は、うまい焼肉腹いっぱい奢ったる。」
たわいもない約束かもしれない。
だけど、大人の都合で裏切られ続けてきた彼らにとっては、誰かと交わす約束そのものが「一つの楽しみ」であり、「生きていく希望」になるんじゃないか。そう思って投げかけた言葉だった。
後日、和泉学園からお礼の手紙と、子どもたちが書いてくれた感想文が届きました。
ご一緒した方から聞いた話では、
先生からは「あの講話の後、院生たちに『あれは本物やぞ』とだけ伝えました。その後、子どもたちの感想文を書く手が止まりませんでした」という言葉。
届いた感想文を開き、そこに書かれていた言葉を読んだとき、私はまた涙が止まりませんでした。
そこにはA4の用紙に小さな文字でびっしりと一生懸命書いてくれた手紙がありました。中には2ページの子も。
自分の夢や、講和の感想、だけど、最後にはみんなほとんど同じことが書かれていた。
「いつか一緒に焼肉いきましょう。それを希望にして生きていきます」
「もう一度だけ大人を信頼していいと、心から思いました」
「こんな僕でも、一緒に仕事してくれますか?私の一緒に最高の仕事がしたいです」
「私も唐金さんと一緒に必ず海洋ゴミを根絶させます。」
「私がいうことではありませんが、唐金さん絶対にあきらめず活動を続け、同じような子供たちに言葉を投げ続けてください。私がそうだったように、必ずそみんなの世界を変えていきます。」
「焼肉奢ってください。いや、むしろ僕が奢れるように、自分も仕事も経済も回せる男になります」
「必ず社会の役に立って、あなたの前に現れます。その時はうまい焼肉とビールで乾杯しましょう。」
そこにあったのは、傷つきながらも「本当は誰かを信じたかった」という、切実な叫びだった。
彼らは「可哀想な可哀想な子どもたち」なんかじゃない。
本気で向き合ってくれる大人が一人でもいれば、自力で立ち上がり、社会を動かすパワーを持った未来の「同志」なんだと確信した。
みなさんにも、問いかけたい。
私たち大人は、彼らが胸を張って誇ってくれる「かっこいい大人」でいれているだろうか?
綺麗な言葉でCSRや社会貢献を語りながら、裏では自分たちの都合や損得で誰かを切り捨てていないだろうか。
社会のセーフティネットに引っかからず、暗闇で苦しんでいる子どもたちが、今この瞬間も街のあちこちにいる。
私は、この現実から絶対に目を背けたくないし、彼らのような子どもたちを置き去りにする選択肢は、絶対にない。
「使命感だ」とか「覚悟だ」とか、そんな立派な言葉で自分を飾るつもりはない。
ただシンプルに、あの場所で出会った子どもたちが社会に出たときに、「やっぱり大人って口ばっかりで裏切るやん」と絶対に思わせたくない。
それだけだ。
会社としても、私個人としても、圧倒的に強くて温かい「頼れる居場所」であり続けること。
何があっても「唐金さんだけは裏切らない」と希望であり続けること。
彼らが社会に出てきたときに、一緒に働いて、一緒に汗を流せる会社を作ること。
和泉学園のあの教室の空気も、あの子たちのまっすぐな目も、私は生涯忘れない。
これからもずっと、関わり続けていく。
むしろ、関わり続けてほしいとご一緒した方々から言っていただきました。
また次あうのは別の子供達だけど、毎年きっちりと役目を果たそうと思う。
さぁ。みんな! 約束通り、いつか一緒に最高の焼肉食いに行こう!
待ってるぜ!!

追記:ご一緒した尾崎えりこさんのSNSより
先月、キャリア教育でお世話になったリングスターの唐金さんが大阪にある和泉学園(少年院)で講演をされるということでお願いして同席させてもらいました。(最近もニュースで色んな事件があり、ずっと悶々としてしまい、シェアするのに時間がかかりました。)
私は当日参加していた少年たちの背景などを全く知らないので、ただ、あの日講演を聞いていた瞬間、私の目の前にあった光景だけ共有をすると、私が今まで関わった授業の中で一番手が上がり、その手から「僕を当ててほしい」という気持ちが前面に出ていて、質問が多く、声が大きかったし、何人もの子がすすり泣いていました。
「なぜあんなにも手を挙げて質問をするのか?そういう指導をしているのですか?」と職員にお聞きしたら「嬉しいんだと思いますよ。今まで自分の気持ちを言葉にすることも、自分の言葉を聞いてもらうこともなかった子が多いですから」と答えが返ってきました。
その時、「空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集― (新潮文庫)」の寮 美千子さんの講演会での話を思い出しました。少年たちに詩を通して言葉を紡ぎだす時間を共にする中で
「言葉は光だ。言葉は生きる力だ」と感じた、と。
私の全ての活動のスタートであり、ゴールは彼らの最後のセーフティーネットを少年院にしないことです。
大学時代、少年院の見学で「子供のうちに地域の良い大人と出会っておく。それが最大のセーフティネットであり、再犯防止策だ」と職員さんから聞いてから、地域での起業も、公教育への参画も、それを意識してプロジェクトを創っています。
面白く、楽しいプロジェクトの中に、できる限り境界を越え、網目を細かくし、SOSを出しやすい関係づくりの設計や人選を仕掛けています。
ずっと続けている出所少年たちへの寄付。その返礼として、レポートが毎月送られてきます。
まだまだ、本当にまだまだだけど、できることからしか始められないので、私は自分のワクワクエネルギーと光属性を活かして、
今後も活動していこうと改めて強く思いました。
唐金さん、機会をいただき、本当にありがとうございました。
※尾崎えりこさんのフェイスブックの投稿より
最後に余談ですが、この人数焼肉きたら破産確定なので誰か私を雇ってください。

