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【問い】正しさは、なぜ摩擦になるのか

はじめに

今回は、サービスの連携をとる中で起きた小さな口論から、問いを残しておきたいと思います。

仕事をしていると、お互いに悪気があるわけではないのに、少しだけ空気がギクシャクする瞬間があります。

誰かがサボっていたわけでもない。
誰かが適当にやっていたわけでもない。
むしろ、それぞれが自分なりに考えて動いていた。

それでも、なぜか言葉がぶつかってしまう。

今回の出来事も、そんな場面でした。

いつもと違う場所に置かれていたもの

いつものオペレーションであれば、お客さまに提供するものを一度大きなテーブルにまとめて並べ、端から順番に持っていく流れになっていました。

ただ、その日はイレギュラーなお客さまがいたり、時間通りにお客さまが来なかったりと、いつも通りには進まない状況がありました。

その中で、あるスタッフが手隙の時間を使い、先を考えて、いつもとは違う場所にものを置いていました。

本人からすれば、きっと意図があったのだと思います。

こうしておいた方が持っていきやすい。
次の動きがスムーズになる。
今の状況なら、この置き方の方が効率がいい。

そうした判断があったのかもしれません。

意図が伝わらないまま、言葉だけが届く

しかし、その意図は相手には伝わっていませんでした。

相手がその箱の中を確認していたときに、指摘する側から、

「最後の仕上げができているかどうかは、ある部分を見ればわかるでしょ?」

という言葉が出ました。

それに対して、言われた側は、

「そんなの分からないよ。聞いてないし」
「あえて持って行きやすいように、いつもと違う場所に置いてくれたのかと思った」

という受け取り方をしていました。

どちらも、自分なりには考えていた。
どちらも、仕事を進めようとしていた。
どちらも、間違ったことをしたつもりはなかった。

でも、そこにあったのは「意図の共有」ではなく、「自分の正しさの衝突」だったのかもしれません。

正しさは、持っていることが悪いわけではない

ここで感じたのは、自分の正義を持つこと自体は悪いことではないということです。

仕事をしていれば、

こうした方が効率がいい。
こうした方がお客さまに迷惑がかからない。
こうしておいた方が次の人が動きやすい。

そういう自分なりの判断は必要です。

むしろ、何も考えずに動いているよりも、自分なりに意図を持って動くことは大切だと思います。

ただ、その正しさが相手に共有されていないまま、言葉だけがぶつかると、相手には「指摘」ではなく「押しつけ」として届いてしまうことがあります。

自分にとっては当たり前でも、相手にとっては初めて聞くことかもしれない。
自分にとっては見ればわかることでも、相手にとっては判断材料が足りないことかもしれない。
自分にとっては効率でも、相手にとっては混乱に見えることもある。

そう考えると、摩擦は「正しさがあるから」起きるのではなく、「正しさの背景が共有されていないから」起きるのかもしれません。

わかり合えなさから始める

この場面を考えたときに、宇田川元一さんの『他者と働く――「わかりあえなさ」から始める組織論』が重なりました。

この本では、組織の問題における「わかりあえないこと」は障害ではなく、むしろ始まりだとされています。ノウハウだけでは解けない問題に対して、相手の背景や語りに目を向けることの大切さが語られています。

今回の出来事も、まさに「わかっているはず」から始まっていたのかもしれません。

見ればわかるはず。
普通はこうするはず。
自分の意図は伝わっているはず。
相手も同じ前提で動いているはず。

でも、実際にはそうではなかった。

同じ現場にいても、見えている景色は少しずつ違います。
同じ作業をしていても、優先しているものは違うかもしれません。
同じ「良かれと思って」でも、その良かれの向きは違うことがあります。

自分の正義を押しつけていないか

私自身も、自分はこう思ってやっているという意図があると、相手から指摘されたときに少し心がざわつくことがあります。

でも、基本的には絶対的な正解はないと思っています。

だからこそ、その場では一度、

「そうなんですね」

と受け止めるようにしています。

そこでお互いが、自分の正しさをそのままぶつけ合っても、ハレーションが大きくなるだけだからです。

もちろん、言われた側にも言い分はある。
指摘した側にも意図はある。
どちらか一方が悪いわけではない。

けれど、その瞬間に必要なのは、自分の正しさを証明することではなく、相手がなぜそう言ったのかを一度考える余白なのかもしれません。

まとめ

正しさは、なぜ摩擦になるのか。

自分の意図を伝えないまま、相手に理解を求めていないか。

相手の言葉を受け取る前に、自分の正義で跳ね返していないか。

そして、仕事も子育ても人生も、楽しい方がいいとするなら、私たちはどこまで自分の言動が相手に与える影響を内省できるのだろうか。

お互いの正しさをなくす必要はない。
でも、その正しさを持ったまま、相手の背景を少しだけ知ろうとすることはできるかもしれない。

あなたの現場ではどうだろうか。

自分の正義を守っているつもりで、相手の正義を置き去りにしている瞬間はないだろうか。

▼この問いについて、
構造から整理した記事も書きました


摩擦を、構造に。
問いを、資産に。

Yuta



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