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迷子のインコとたまたま論



「インコちゃん預かっています」

たまたま、Xでの保護鳥ポストを目にした。
どうやら保護場所が我が家の近所であること、保護したはいいものの──飼育経験もなく、飼い主が一向に現れずに困っている、といった趣旨のポストだった。

「どうする?」

保護鳥ポストを見せつつ、私は妻に言った。
ちなみに我が家は、現在4羽のインコと暮らし、かつてはインコ飼育本に掲載されたこともあるほど気合の入った愛鳥一家なのだ。

「うちで預かろっか」

妻は答えた。そして、

  • 保護主と近所であること。

  • インコの飼育経験&飼育環境が整っていること。

  • 飼い主が見つからなかった場合は我が家で飼育する、もしくは責任をもって里親を探すこと。

といった旨のDMを送り、いちど面談したのちに我が家で保護することになった。

預かったインコは小柄なコザクラインコで、衰弱している、というほどではないものの、すこし息苦しそうに尾羽を上下させ、しきりにくちばし周りも気にしている。
屋外で保護されたということもあり、感染症の有無を確認することも兼ねて、鳥に明るい病院へ連れて行った。

軽い肺炎と、鼻炎。それが獣医師の見解だった。
血液検査の結果──病原菌の有無をはじめとした詳細が判るまでは数週間かかる、とのことだった。症状の詳細や性別確認のためにレントゲンも撮りたかったが、インコの負担を考え後日に決めて帰宅した。しばらくは炎症を抑える薬で様子見である。

一週間ほど経つと、薬効なのか我が家に慣れたのか、インコは少しずつ動き回るようになってきた。家族の指や鼻をハミハミしたり紙をちぎって遊んだりと、元気な姿を見せるようになった。

「男の子かな?女の子かな?」

小学2年になったばかりの娘が私に訊いたが、皆目見当がつかなかった。
インコの性別というのは見分けが難しい。多くの哺乳類とはちがって、鳥類の精巣は体内に隠れているからだ。
セキセイインコなどは、くちばしの上の「ろう膜」の色などで判別はしやすいが、我が家はコザクラインコと暮らしたことがないために性別の見分けはまったくつかない。調べてみても、とくにコザクラインコの性別判断は難しいということだった。
成鳥になれば、性別特有の発情行動によって判断することができるが、観察してみても「さかっている」様子はないため、まだ成鳥になっていない若鳥なのかもしれない。
いずれにせよ、性別は次のレントゲンまでおあずけである。


そして──レントゲン当日。


私は仕事、娘は学校のため、病院へは妻ひとりで行くことになった。

「晩ごはんに性別発表します」

と、診察後と思しき妻からのメールに心躍らせつつ一日を過ごし、いよいよ夕食の時間となった。

──それではインコちゃんの性別を発表しまーす!

元気いっぱいに妻が言った。私と娘は固唾を呑む。


──ジャーン!!タマタマが付いていました〜!!


スマホでレントゲン写真を掲げながら妻は言った。

「やったー!!男の子だ〜っ!!」

オスを望んでいたらしい娘が喜んだ。

キャッキャはしゃぐ母娘をよそに、私はしずかに感動していた。
「タマタマ」という俗称でオスと理解した娘の成長に。そして〝オス〟や〝男の子〟と安直な表現をせずに「タマタマ」という玄妙な翻訳をすることによって、単なる性別発表に含みをもたらした妻の機知に。

それにしても、「タマタマ」とは──なんて素晴らしい表現なのだろう。

これがたとえば「キンタマが付いていました」ではいけない。あまねく認知され、伝統的かつ偉大な表現ではあるが、食事中に女性が発する言葉としてはいささか不適切である。言葉としてのキンタマは不朽の存在だが、一般論として子供が座る食卓では禁句だろう。
ひるがえって、「睾丸こうがんが付いていました」もいただけない。一般的なタマタマの正式名称ではあるが、なんというか──重苦しく、カタい。よしんば妻が「睾丸がふたつ付いていました」と発表したところで、娘は「こうがんってなあに?」と訊くだろうから、「それはタマタマのことだよ」と言いなおすハメになるので二度手間である。だいいち妻は品と礼節をわきまえた女性だから、食事中に睾丸睾丸と発言するほど厚顔こうがんな人物ではない。睾丸は男性の生産工場だが、食卓を飛び交う会話としてはきわめて非生産的である。

やはり、この状況下でタマタマ以上の言葉など存在するとは思えなかった。

老若男女につつがなく、誰ひとり不快にさせることなく伝えることができるいっぽうで、使う立場や見る角度によって彩りや濃淡をも変えてしまう。まるで、大気で放電し、うつくしく空へ降りそそぐオーロラのように。
放電オーロラで思い出したが、ホーデンとはドイツ語でタマタマを指す言葉だ。おそるべき符合である。
ちなみに、ホーデンは主に食肉業界で「宝田」と当て字されている。誰が考えたかは判らないが、たわわに実った稲穂が揺れる田園と──生命の源であるタマタマをなぞらえて「宝田」としたのだろう。じつに素晴らしい当て字である。ついでに言うと、秋の収穫期の稲穂は一面の金色だ。つまり、「金色の宝田」となる。これを言い換えると──そう、キンタマに帰着するのだ。タマタマの台頭によって主役を追われつつあったキンタマの面目躍如に、キンタマを携える生命体のひとりとして、私は溢れる涙を禁じ得なかった。
そして私は、この美しい帰着のことを「日独ホーデン宣言」と名付けたが、けっして試験には出ないので憶えなくて結構。

🦜  🦜  🦜

結局、インコを保護した場所付近への張り紙や、警察への届け出も功を奏せず、ついに飼い主が現れることはなかった。

血液検査も陰性で、すっかり元気になって家族に懐いたインコは、里子には出さずに我が家で迎えることに。
ときおり先住のインコたちに叱られつつも仲よく遊んで飛びまわる姿は、家族を微笑ませ、そして安心させた。

ちなみに、元気いっぱいのコザクラインコくんは、晴れて「メロン」と名付けられた。

念のため言っておくが、タマ保有を球状の果実メロンになぞらえて命名したわけでは決してない。

まったくの偶然である。

奇しくも、偶然の別名はタマタマといった。



【写真:著者/著者の妻】

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