「否定するなら代案を出せ」という考えはもう捨てた
「否定するのであれば、代案を出しなさい」
これは社会人として礼儀並みに大事なことだと思います。
誰かの意見に反対する場合は、
・なぜ、どの観点で反対なのか?
・代わりに、どうすればよいのか?
を必ず添える。
これが、案を用意してくださった方へ礼儀だろう。
これは、今でも思っていることです。
僕も、誰かが案を持ってきてくれた場合は、代案を提示できるよう最大限努力しています。
そして、自分が案を持っていく場合も、最近まで「否定するなら代案を出してくれよ」と思っていました。
否定とか反対意見ばかり出してくる人に「じゃあ、お前が考えろよ」と思ったことを100回以上あります。
・・・なのですが、最近、考えが変わりました。
自分が案を持っていく立場の場合は「否定するのであれば、代案を出しなさい」という考えを捨てる。
このほうが、議論の質的にも、精神衛生的にも合理的だからです。
もう少し具体化すると、「否定するなら代案を出せ」と思わなくなった理由は次の3つです。
否定意見を封じ込めてはならないから
代案を出せない人に代案を求めても時間の無駄だから
「代案を出せ」と言うと幼稚に見えそうだから
理由1:否定意見を封じ込めてはならないから
否定意見自体はとってもとっても貴重です。
「この商品だと、狙っている層に刺さらないのでは?」
「A案はXXXという理由で上手くいかないと思う」
こういった違和感の共有は、早ければ早いほど効果があります。
事故ったり、費用対効果が合わない無駄なことをしたりするのを回避させてくれる。
一方で「否定するなら代案を出せ」とスローガンのように言いすぎると、周囲に「否定したいけど、代案が浮かばないから、何も発言できない」と思わせて、否定意見のハードルを極端に上げてしまうことになる。致命的なエラーが見つかっても、それを指摘しづらくなる。
そうすると、取返しのつかないミスにつながる恐れが出てきます。
とはいえ、「じゃあアンチコメントも歓迎しろってこと?」と思うかもしれませんが、アンチコメントと否定意見は似て非なるものでして。
見分け方はシンプルで、
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