うさぎ星人の事。よくきかれるけど、すごく長い話になる。
僕のライブで、必ずステージに置いてあるうさぎのぬいぐるみ。
これがユウサミイライブマスコット「うさぎ星人」
現在のうさぎ星人は
「うさぎ星人2号」です。

ありがたい事で、最近になって僕のライブに来てくれるようになった人も多くて、
「うさぎ星人って何ですか?」
「どうしてうさぎ?」
色々聞かれるけれど、一言で「僕のLIVEマスコットです」と片づけるには、あまりにも深い関係性というか、実は、僕の活動を支えてきたのは、このうさぎのぬいぐるみだったのかもしれないと思うほど、重要な存在なのです。
うさぎ星人は、生まれてきた姪っ子へのプレゼントだった。
2006年、奥さんの弟夫婦に娘が産まれました。
当時僕ら夫婦は全くのオーストラリア移住者で、日本に帰ることも滅多になかったし、姪っ子に会えたのは、10ヶ月になってからでした。
奥さんは初めての姪のために、卯年でもないのに、なぜかテディベア風の白いうさぎのぬいいぐるみを作って贈りました。
だから、この時点で、なぜうさぎ? ってのがわからないのです。
うちの奥さんも、特にうさぎが好きだとか、うさぎを飼っていたとか、ミッフィーが好きだとか、そう言うのは全然ないから、ただの思いつきなんだろうと思います。

ちょうどそのくらいから、僕は鬱病からの脱却を目指し、自分の人生をとり戻すと、オーストラリア、ゴールドコーストでライブ活動を始めました。
初めてのライブは、友人が経営していた「らんぷ亭」と言う日本食レストランバーでした。

その初ライブの日、奥さんが、なぜか、あの白いうさぎのぬいぐるみの迷彩バージョンを持ってきて、ステージに置いてくれ、と言う。
「おじさんがステージのマスコットにうさぎのぬいぐるみ、ってやばいだろ」と、跳ねつけたら、、らんぷ亭のみんなが
「なんでだよ、可愛いじゃない、全然いいじゃない」
って言うもので、なんだか押し切られて、ステージにおいたのです。
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二回目のライブ、うさぎのぬいぐるみを持っていかなかった。
そしたら、「あのうさぎはどうした?」「写真を撮ろうと思ってカメラを持ってきたのに」と、大ブーイング。
それ以来、仕方なく毎回ライブに置くようになったのです。
そして、何度もライブを重ねているうちに、誰がそう呼び出したのかもわからない、名付け親もわからないまま、「うさぎ星人」と呼ばれるようになっていたのです。
それが「初代うさぎ星人」です。

ちなみに、奥さんが作ったものではありますが、、そもそもこういうのを作る仕事をしていた人なので、元プロです。
初代うさぎ星人の引退と、うさぎ星人2号の登場
ゴールドコーストで何度もライブを重ね、日本にもライブ活動で来るようになって、その度ずっとうさぎ星人はついてきました。
そしてすっかり日本でもミュージシャン活動が当たり前に広がってきた頃、うさぎ星人の腕の縫い目の布地の部分にほつれのようなものが出てきました。奥さんに話すと、もう両腕新しく作り直さないと修理はできない、と言われました。ライブに連れ回す限りもう縫い目の布地が千切れるのは時間の問題、との事だった。
うさぎ星人は、両腕を新しくしたら今度は別のところがまたダメになってそれも新しいのに交換して、ってやっていって、元のうさぎ星人ではないものになってしまう。
だったら、動かさなければ大丈夫なら、もう引退させて家に置いておこうと思いました。
人生でぬいぐるみや人形に思い入れを持ったことなんかなかった。
あくまでも僕にとってぬいぐるみなんてものは、物、でしかないはずだった。 腕を作り替えなければいけない、と言われた時に、初めて、相棒だった、と思いました。
人生を賭して、ミュージシャンになる、って日本に帰ってきた。
オーストラリア時代から初代うさぎ星人はずっと僕とライブを旅してきた。年をとった今と違ってまだ体力もあった。
1週間で5日間ライブだったり、毎日移動してライブだったり、かなりハードに動いてその間ずっとステージかスーツケースの中にいた。
僕の人生を僕自身が自分で変えてきた「ユウサミイLIVE」の象徴だった。
このまま残したい。オリジナルのままで保管したい。
そうやって、2012年3月28日、横浜 Thum's Up で「うさぎ星人引退ライブ」を開催しました。
満員のお客様、花輪や「うさぎ星人ありがとう」と書いたケーキなどをみなさんからいただき、それはそれは華やかな引退の花道になりました。
そしてそこで、今の「うさぎ星人2号」がお披露目になりました。

以来「うさぎ星人2号」が、ワンマンライブではずっと僕のステージにいます。
うさぎ星人、販売へ。
初代うさぎ星人の時代から「うさぎ星人の販売はないのか?」と言う声はたくさんありました。材料自体は、製作時に購入したものがあったはずなのですが、京都の奥さんの実家のどこかに紛失してしまって製作できませんでした。似たようなな布地はあるだろうけど、同じものではない、それはコピー商品でしかない。 だから作らない。
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で、、2号になった時、購入希望者が続出し、これは新宿でまだ材料が入手できますから制作して販売することにしました。
そしたら注文が殺到しました。
型紙から奥さんが作って、完全ハンドメイド。

奥さんが1日中かけて2体作るのが精一杯。
材料費と奥さんの日当、と考えると最低1万円もらわなかったらやってられない。だから、1万円と送料500円と高額になった。
驚いた事にすごい数の注文が来て、最大3週間待ち。
毎日毎日、うさぎ星人を制作していた奥さんが、ある日、
「もう作れません!」ㅤ
と言ったので受付を一旦中止しました。
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そして、その後、時々気が向くと注文を受けて、、今現在、実に、60体を超えるうさぎ星人が日本中にあります。
ただ、もうこの青い迷彩の布地がないので作れません。
いっぱい注文をもらった時にたくさん仕入れた。
残っている間は作れたけれど、もうないんです。
この布地は、どこかの業者さんが制作したもので、使わなくなった分が売られていた、というイレギュラーなものだった。
だからその同じ業者さんがまた作らない限り一般には手に入りません。
なので、もう同じものは作れないのです。
そうやって、うさぎ星人2号は、完全受付中止になりました。

ある時、友人から「うさぎ星人をピンク色で作れないだろうか?」と言いう問い合わせがきました。 ダメもとで奥さんに言ってみたら、意外にも作ってみる、と言い出してまた新宿に行き、おあつらえむきのピンクの迷彩の布地を見つけて作りました。できたらできたで、他にも注文があれば作る、と言いだし、「うさぎ星人ピンクちゃん」と名前が付き、こちらも全部で10体くらいは制作、販売しました。

ちなみにピンクちゃんはうちには1体もありません。
でも、作る気になれば、もう2体くらいできる材料はあるんだそうです。
いずれ、記念に一体作ってもらっておこうと思います。
そして、初代うさぎ星人も、その後、京都の実家で材料が見つかり、やはり10体くらい作り売れていきました。

そんなわけで、今現在まで、うさぎ星人は、
僕のステージにいた、初代うさぎ星人、
今もステージにいる、うさぎ星人2号
そして、うさぎ星人ピンクちゃん、
と、ベーシックなものは三種あります。
実は、それ以外にも、ちょこちょこワンオフのものがあって、ライブで飾ったら売られていったパンサー柄だとか、まだ家で保管してある、もう10年以上前に奥さんが趣味で作ったものがいくつかとか、
CDアルバム「Now and Back Then」のジャケットブックの「キミハキセキ」の歌詞が載っているページの、京都のアンティーク和服生地で作ったやつが3体、京都の実家に置いてあったりする。

右の写真の奥の真ん中がジャケットに使われたもの。画像は両方ともゴールドコーストの家で撮った写真で、右側はもうオリジナルの画像がなく、劣化がひどいので、一度、京都に戻った時にこの3体を今の家に持ってこようと思います。
このアンティーク和服生地うさぎ星人は、ジャケットブックに載せたために、売って欲しいという問い合わせはいっぱいありましたが、布地も全く入手不可能なアンティーク生地だし、この一体づつしか世の中にないものなので、、相当な金額をオファーされた事もありましたが、売りません。
パンデミックの活動自粛から、コロナ後遺症、
活動できない時代の僕を救ったのはうさぎ星人Tシャツだった
本当にありがたい事に、僕は決して有名ミュージシャンではないけれど、応援してくれる方々がたくさんいます。
ライブにいつもきてくれて、CDが出れば買ってくれる、何かグッズが出れば買ってくれる。 プチタオルや、トートバッグ、グッズも色々ありました。
そして、2020年、コロナパンデミック。
2月26日、緊急事態宣言が発令、街は止まりました。
僕は、実は、2018年、2019年、2年続けて非常に忙しく過ごし、少し休んで音楽について見つめ直したいだのそんな事も考えていた時で、コロナも正直甘くみていて、まあ、一年くらいで元通りになるだろう、って思ってたから、2020年は「パンデミックで休暇」だ、なんて、こんなに毎日家で怠けていられるなんて人生で一年だけだろ、って呑気にしていたら、翌年も元通りにはならず、ライブ活動は思うようにできない。
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ならば今のうちに、やってみたかった事を、と、まず、CDを作りました。
前半に今のギター弾き語り、後半は2005年〜2010年くらいの間に、ゴールドコーストの家で録音したデモ音源をもとに、現在の技術でバンド音源にした、「Now and Back Then」というアルバムを作りました。
発売後は、ありがたい発送に作業に追われててんてこまいでした。
ひとしきり、CD販売の嵐が去ったと、依然コロナ禍は引かず、ライブもできず、、なのでもうひとつやってみたかった事に着手することにしました。
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うさぎ星人のTシャツを作ることにしたのです。
だから、まず、絵を描きました。

友人のアートディレクターで、現、じゅわり株式会社CEOの栂瀬雅月(とがせかづき: 芸名みたいだけど本名)に相談したら、どうせやるなら、最初は高級品で出そうぜ、って事になって、久米繊維工業というその筋では有名な会社にお願いした。
その時は、白と黒だけ、Tシャツの種類が、薄手、厚手、レディス、と3種類あった。在庫を抱えたくないから、受注生産、期間限定、で販売を開始した。

これが、予想だにしないヒットを飛ばしまして、、、
久米繊維工業さんには、ずっと少ない数で納期を出してもらっていたから、担当の竹内さんに、最終的な受注数を伝えると、、、
「えええええ、、、それは、、嬉しいけど、サミイさんそれ納期あれでは無理ですよ・・・」
ってなって、、、でも、久米繊維工業さん、なんと、間に合わせてくれたんです。ぶっちゃけ予定の8倍以上の生産をなんとか当初の予定納期で上げてくれた。
僕の家にはでっかい箱で大量のTシャツがきまして、、、
発送に関しては、CDで慣れてるから大丈夫、って思ってた、、
そしたら、、、
Tシャツは、お一人お一人の注文がみんな違う。
注文書どおりに、
薄手黒Sサイズ2 厚手白Mサイズ1、レディスMサイズ白黒それぞれ1
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なんて具合に、梱包していくんだけど、、僕はもうそういう事に絶望的に能力がない人間な上に、奥さんも決して得意ではない。
だから、本当に大変で、梱包しちゃってから、間違ってるかも、ってまた開封したり、そんな事を繰り返して、3日がかりで全部発送した時には疲労困憊、嬉しい悲鳴、ってこういう事を言うのか、って思いました。
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久米繊維工業のTシャツは、実際、ものすごいクオリティで、とにかく肌触りがすごくいい。
そして、驚異的な耐久性。
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今現在も僕は3枚、白、黒、そしてサンプルで作った赤、と持っていますし、奥さんも、レディス白、黒、持ってますが、
5年経ったいまでもに、首のヨレなど一切なく、洗って干したら新品みたいです。
なんだこれ、、、って思います。
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そんなだから、久米繊維工業のうさぎ星人Tシャツを再販してほしい、と言う声は多いのだけど、、、、、、
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あの発送作業がトラウマで・・・・・・
あれから、5年経った今、あれをまたできるか、、って言われると、、うーん・・・
うさぎ星人Tシャツ、専門ECサイト開店へ、
2021年は、まだまだ自粛ムードで思うようにライブ活動はできず、一年を通して制作の年でした。
5月にアルバムCD、7月にうさぎ星人Tシャツ、そして、12月になんと、限定販売でLPレコードを発売。
LPレコードは5000円もしたのに、敬愛する吉本ばななさんがライナーノーツを書いてくれた事もあって、限定枚数が1週間で売り切れてしまいました。
そして、そのLPレコードの発売日前日に、僕は、24歳の時に起こしたバイクの事故の後遺症で、右目に問題を起こしてしまい、目を使う作業ができなくなり、奥さんが一人で注文処理、梱包作業をがっばってくれて、僕は大きな大きな袋に、梱包されたLPレコードを大量に持って近所の郵便局に歩いて運ぶ、しかできなくなりました。
それでも、無事に発送が終わり、年明けて2月に手術。
目の手術の件は、本題から外れるので割愛しますが、何しろ、目に衝撃が入らないように安静を2月の終わりまで、そして手術療養でやはり衝撃がダメなので、結局4月まで安静、そこからまた身体を鍛え直して、6月には京都でライブ復帰したのに、、、、、7月にオミクロンのコロナを発症しました。
ここからが長い長いトンネル。
だから、2021年の12月14日に目の不調を起こしてから、一度は復帰してすぐコロナになり後遺症がひどいときは起き上がるもの難しい状況だった時もあり、昨年2025年の半ばにライブハウスツアー復帰をするまで、限定的にしか活動ができない状態になりました。ずいぶん回復したけれど、今も、以前のような働きをする自信は正直まだありません。
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2022年の終わりには、ミスチルの桜井さん、GAKU-MCさんとコラボクリスマスLIVEをやったりもしたけれど、本当にそこに向かってなんとか身体を動かしてた感じで、そんな状況ですから、2023年に入って少しずつライブもやりながら(2023年はフルのライブは年間2回だけでした)お話と生弾き語りの会、っていう6曲だけ歌ってトークと言うあまり体力を使わないでできるコンテンツを作ってなんとか活動してた。
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そんな中で、本格的に、うさぎ星人Tシャツを販売するべく、GMOがやってる、SUZURIと言う、デザインだけを納入して、受注管理管理、決済、発送、まで全てをやってくれるECサイトサービスを利用して、
「ユウサミイTシャツ店」を開店しました。

久米繊維工業のような高級Tシャツではないものの、一番一般的でスタンダードで十分高品質のTシャツで、ありがたいことに、このショップがなかなか活躍してくれて、SUZURIから認定ショップのバッジもいただき、渋谷フクラスのGMO本社にも呼んでいたただいて、色々と、サポートを受けられるクリエイターになったのです。

他に、うさぎ星人Tシャツは、Amazonでも 展開しています。
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品質としてはプリントに関して若干SUZURIよりゴワゴワした感があるもののTシャツは、プリントTシャツ日本No1シェアの「Print Star」を使用したTシャツで、SUZURIに比べるとだいぶ安く、納期も早く、しかも、Amazonプライム会員は送料無料、と言うアドバンテージがある。
カラーTシャツの色がSUZURIに比べて、ビビッドさに欠けるけれど、むしろその方が着やすいと言う人も多く、どちらにも良さがあるので、お好みでって感じ。
ただ、Amazonは、表示がイマイチ良くないって言う問題があって、今、カタログサイト的なものを製作中です。
Amazonで「うさ星人ストア」と検索すると、一覧が出てきます。
(Amazonでは偽物が出回っているので、必ず「ブランド名:うさぎ星人ストア」「販売元: Amazon.co.jp」とあることを確認してください)
うさぎ星人2号、今年で14年目。
初代うさぎ星人は、オーストラリアで購入した布地で製作しました。
そして、正直、うさぎ星人2号になってからよりも、酷使していたと思います。ですから5年ほどで引退となりました。
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うさぎ星人2号は、日本の布地です。
そして最初の頃はなかなかのハードスケジュールでしたが、やはり僕も年齢を重ねるごとにあまりハードに働くのは厳しくなってきて、その分うさぎ星人2号も多少楽をすることができるようになった。
おかげで、今年で14年目です。
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ですが、、、、
4月17日、北村龍平監督来日の際のトークライブが終了後、スーツケースに入れようとしたら、
腕が取れました。

腕が取れた時、、ぐずぐずにほつれた白い糸が、筋繊維が伸びてちぎれて行くように見えました。
家に帰って、奥さんに見せると、、
「もう限界だね」
と言われました。
まだ、腕自体を交換しなければいけない、と言う状態ではないので、一応修理をしました。でも、もう、奥さんが「限界」と言ったらこれからずっと連れて回るのは難しいのでしょう。
来年で、15周年だった。
15周年で、引退させよう、って思ってたけれど、そこまで待てないようです。
大変残念ですが、今回の、5月27日福岡からのツアーで引退させます。
そして、6月5日の「Half Moon Hall 下北沢」
うさぎ星人2号が、多分一番たくさんステージに上がった、思い出の会場が、ラストライブになる。
今、奥さんがうさぎ星人3号を製作中です。
6月5日、初代うさぎ星人も連れて行こうと思っています。
うさぎ星人2号引退
うさぎ星人3号初お披露目
そこに、初代うさぎ星人も置いて、うさぎ星人3代、揃い踏みにして、2号の花道を飾ってやろうと思います。
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