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脳梁欠損症、生きづらさの記録 第10回:それでも、小さな「できた」で生きていく

それでも、小さな「できた」で生きていく

忘れる。
止まる。
ズレる。
誤解される。

できないことを数えたら、きっとすぐに100を超える。

でも私は、
もうひとつの100を持っている。

生きづらさを言葉にしてきた、100本のメモ。



やろうと思ったことを忘れる日もある。
習慣が続かない日もある。
フリーズして動けない日もある。

それでも、

今日はメモを取れた。
今日は挨拶できた。
今日は5分だけやれた。

そんな小さな「できた」が、
やけにうれしい。



私は昔、
「普通になりたい」と思っていた。

人並みに会話ができて、
人並みに空気が読めて、
人並みに続けられる人に。

でも今は、少しだけ違う。

普通じゃなくてもいい、と思う瞬間がある。

開き直りと言われることもある。
でもそれは、
自分を守るための姿勢でもある。



私は脳梁欠損症がある。

左右の脳をつなぐ部分が、生まれつき少し違う。

それは不便さもあるけれど、
感じ方の強さや、
正義感の強さや、
小さなことを喜べる感性も、
一緒に持ってきた。

熱しやすく冷めやすい。
でも、熱した瞬間は本気だ。

働きたくないと思う日もある。
でも、誠実でいたい気持ちは消えない。



社会は速い。

でも私は、
遅いなりに考えている。

空気を読むのに時間がかかる。
言葉になるまで待ちたい。
整理してから話したい。

それは欠陥ではなく、
私のリズムかもしれない。



このシリーズを書きながら思った。

私はずっと、
「できない証拠」を集めてきたつもりだった。

でも本当は、

それでも働いてきた。
それでも人と関わってきた。
それでも生きてきた。

その事実のほうが、ずっと大きい。



もしあなたも、

自分の遅さに落ち込んでいるなら。
ズレに疲れているなら。
誤解に傷ついているなら。

あなたは壊れていない。

ただ、少しだけ
配線が違うだけかもしれない。

速くなくていい。
完璧じゃなくていい。

小さな「できた」を、
自分でちゃんと数えてあげられたら。

それで十分かもしれない。

ゆるりでいい。



「脳梁欠損症、生きづらさの記録」全10回、完結です。

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次回予告【無症状の脳梁欠損症と、発達障害という言葉のあいだ 第1回:発達障害ではない、と言われてきた私】

よかったら読んでみてください。
マガジンもあります。よかったらこちらも。

#脳梁欠損症 #生きづらさ #当事者手記 #見えない障害

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