【毎日投稿53日目】高野山で出会った、二つのあじかん
ある日、友人から
「高野山に行くけど、一緒に行かない?」
と声をかけてもらいました。
朝から、友人と、そのお友達の方と三人で車に乗り、高野山へ向かいました。
高野山は、弘法大師・空海が開いた場所で、
今もなお、祈りや修行の空気が、山全体に静かに漂っています。
観光地でありながら、
どこか時間の流れがゆるみ、
心の奥が自然と静まっていくような、不思議な場所です。
僕の友人は、合気道三段の方で、
身体や心の話を、いつも面白く、やさしく語ってくれる人です。
今回ご一緒したその方の友達とは、僕は初対面でした。
その方は、空海さんが作った真言宗の学校に通われていたことがあり、
今はモデルとして活動されている方。
言葉数は多くないけれど、
佇まいそのものに、どこか静かな芯を感じる人でした。
この日、朝から高野山に向かったのは、
「阿字観(あじかん)」という時間に参加させてもらうためでした。
阿字観とは、
サンスクリット文字の「阿」の字を心に描きながら、
呼吸とともに心を静めていく瞑想法です。
「阿」は、始まりであり、終わりであり、
すべてがすでに含まれている、
そんな意味を持つ文字だと教わりました。
お寺に着くと、奥の小さな部屋に通され、
そこで阿字観を体験させてもらいました。
何かを考えなくてもいい。
何かにならなくてもいい。
ただ、座って、呼吸して、そこにいる。
終わったあと、
頭の中が空っぽというより、
静かに澄んでいるような感覚が残っていました。
その後、お腹が空いた僕たちは、
少し早めのお昼ご飯を食べに行くことにしました。
高野山のご飯屋さんは、どこも観光の人で賑わっていて、
その中で、薬膳カレーのお店を見つけ、入ることに。
とても美味しそうなカレーが運ばれてきた、そのとき。
友人が、ふとこう言いました。
「今から、“あじかん”をしよう」
阿字観ではなく、
「味感(あじかん)」。
この食べ物だけに意識を向けて、
味わって食べてみよう、という提案でした。
面白そうだね、と笑いながら、
僕たちは目を閉じて、カレーを口に運びました。
スパイスの香り。
野菜の甘み。
舌の上で広がる温度と、
ゆっくり変わっていく味。
まるで、食材と対話しているような時間でした。
それぞれが感じたことを、言葉にしていきます。
作ってくれた人の手。
お米や野菜を育てた人。
その野菜を育んだ大地。
太陽、水、風。
命への感謝が、
考える前に、自然と立ち上がってきました。
そして、誰かが、こんなことを言いました。
「もし、食べたものが僕たちになるなら、
今、僕たちは、僕たちを食べてる最中なのかもしれないね」
そんなことを言いながら、
三人で、声を出して笑っていました。
特別なことをしたわけではありません。
でも、心は、深く満たされていました。
阿字観と、味感。
どちらも、何かを足す体験ではなく、
余計なものが、静かに抜けていく体験だったように思います。
高野山で出会った、
二つのあじかんでした。
