ブチ切れればランニングが継続できたりする
7月頭から平日2-3日くらいランニングをしている。
そして、月末まで意外に続いた。
色々考えたが続いたキモは、キレたからだと思う。
私は元々運動が大嫌い。今もそんな好きじゃない。
運動のどこが嫌いって、そりゃもう苦しいことだ。
つまり、息が切れるのが好きじゃない。
なぜ運動が好きな人は、息が切れてもいい!と思えるんだろう。
それとも「苦しい!だがそれがいい!」ってこと?
運動が好きな人のほうが、インドアよりも世間ではプラスに捉えられやすい風潮を感じるけど、
苦しさを自ら取りに行く奴らのほうが恐ろしいと思う。
だが、ある日こんなひと文を目にする。
「人と話せる程度に走りましょう!息は切れない程度がいいですね」
ランニングをするときの運動強度の目安だという。
文章を読んでいる最中から、眉間がぐぐっと寄る。
どんなランニングだ!
私は産まれてこのかた、ランニングをしながら人と話せた試しはない。
自慢じゃないが私は50m13秒という記録を中学生に出した人間なので、遅く走ること得意だけども、そんなときでも人とは話せない。
疲れるし、息が切れるし、もう一生走らないと思ってしまう。
まず、人と話すランニングとはなんだ。
ランニング中に人と話したくない。
なんで足を素早く動かしているのに人と話さなきゃいけないんだ。
ランニングをしながらでも話さなきゃいけないことはなんだ、止まってくれ、頼む。
「会話しよ〜、あと走ろ〜」と言われたら素朴になんで?ってきいちゃう。
でも、運動強度的にそういうランニングは人間的に可能なことだとは証明されているらしい。
私が見た媒体以外でも「話せる程度のランニング」は市民権を得ていた。
確かに、皇居の取材でTVカメラが、友人らと走る人たちを映すのを時々目にするけれど、みんなお互いの顔を見合って笑ったりしている……。
今まではそういう映像を見ると、
走って疲れておかしくなって、もう笑うしか道は残されてないから笑って辛さを吹き飛ばしていると思っていた。
けれど、もしかしたらあの人たちは、おかしくなって笑っているのではなく、
疲れてないから笑っているのか…?
ということは、私以外の人は「走れる程度のランニング」でかる〜く道路の上を走れるってことなのかもしれない。
「ちょっと今日、ランニング流してきますわ」と
だるそうに肩を回し、首を傾け、別に頑張ることじゃないから、みたいな面した、いけすかないニーチャンも、強がりではなく実は本当に辛くなく気だるい中でもやれてしまう競技なのかもしれない、ランというやつは!!
それと、話せるランニングの強度は、付随した文章がある
"ストレス解消にいい!"
これだ。
ストレス!!
それは私にとってのお前!(走ること)
と全力でランニングと、いい子ぶりっ子な運動ハイ語録に中指立てていたが、全然辛くないランニングをしたら、もしかしたら本当にストレスを解消してしまうのかもしれない。
今となってはサウナ好きだけど、
子供の頃は、何が楽しくて熱くてジメジメした場所に飛び込む必要がある?と思っていたことを思い出すと、今の私は走りの本質を知らないだけなのかもしれない。
そこで生まれるのだ。
怒
が
ムカつく!
なんだよ、なんで私だけ知らないんだよ、息が切れない走りを!!
走ったことがないならしょうがないよ?
でも走ったことあるよ?
なんなら、今日もちょっと集合時間に間に合わなさそうで小走りしたよ?でもまだ知れてないよ、息が切れない走り。
逆になんでみんな知ってるんだよ。息が切れない走りをしましょうね〜で「あ〜あの走りね!!」ってなんなんだよーーーーー。
みんなが知ってて、自分だけが知らない感覚が存在ているということ。
なんかすごーーーく、ムカつく!!!
「絶対、息、切らせない」
この体から出る息を、けっして乱してはならぬ。
乱さぬまま、走り切る。
知ってやるんだ、その走りってやつを………。
ここから7月のランニングが始まった。
1,2回目はむっちゃ疲れた。太腿も筋肉痛になった。
いろいろ調べたところ、太腿が筋肉痛になるってことは、体重移動と姿勢がそもそも悪いらしい。
息が切れないランニングに関しても一緒に調べた‥しかし、一同に"ペースを8分前後にしましょう"としか書いてない。1回目からペースは8分であったので、全然参考にならない。
走れる奴らは、走れない奴らの気持ちを全くわかっていないということがここで知らしめられる。
愚かな。
走れる奴は走れるやつのことしかわからない。
しかし、私はここから走れない奴の気持ちもわかりつつ、走れるやつの気持ちにもなれる可能性を秘めている。
つまり、私のほうが強い。強いんだ。
3回目は、そんな愚かな奴らに負けねぇと更にキレ散らかし、とりあえず参考になった太腿が痛くない方法である、姿勢と体重移動を意識して走る。
15分走りきった。ゆっくりスピードを遅め自宅に向かい歩く。そして気がつく。
あれ、息切れてない…
不思議な感じだ。体は確かにさっきまで動いていた感じがする。ポカポカする。
だけど、息は切れてない。疲れてない。
苦しくない。
…………え?苦しくない?!!?!
苦しくないって何?!!
自分から湧き出た感覚に、思わず疑ってしまう。
本当は苦しいんじゃないの?とわざわざ苦しさを体の深部に探りに行くが、どこもかしこも苦しくない。
苦しくないぞ!!!!すげええええええ。
きた、これだ。
これが、これこそが「息を切らさないくらいで走る」ということか!!!!!
つまり私は走る姿勢と体重移動の悪さで、消耗していたということらしい
ば、ばばかやろう。ほんとに苦しくない運動があったのかよ。
息を切らさなくても走れるなんて。31年分の私。お前、やればできるぞ。
4日目、あの感覚を欲している自分がいる。
もう一回、やろう。体がほかほか、それでいて疲れてない苦しくない、あの運動を!!もう一度!
そして、20分走った。また感覚で走れた。
2回もできてしまった。動揺と嬉しさで鳥肌がたった。
そこからは「走りたくてたまらない」という気持ちが沸々と沸いて
走るタイミングを見計らっている自分がいる。
汗をかいて、さっぱりとして、ストレスも解消できている。あの文章ホントやんけ。
怒りって原動力。
悪い感情なんて、発散の仕方でだいぶ変わってくる。まあ怒りに任せてランニングして、結局ずっと疲れたままだったら「息切れをしない人間のことを息切れしない人間は何もわかってない。もっと寄り添え」というnoteになったのでそれはそれでいいのかもしれない。怒りはパワー。
ランニングが嫌いだった、そしてランニングに嫌われていた私はもうこの世にはいない!
あ、まだ友達と走って話したい、は感じていない。
また、怒な予感である。
