月に帰るという選択:かぐや姫と私の回避性パーソナリティ
無理なダイエットのリバウンドで、サルコペニア肥満になった事が原因で、
歩けなくなり、訪問看護を受けていた頃の話をします。
音楽療法士のギターと、私のエレクトーンによるセッションを、プログラムとして組む事で、体を動かす初歩的な訓練をする事になりました。
幼い頃に習っていた楽器が、リハビリとして、意外な形で手元に戻って来たのでした。
「かぐや姫のレビューなのに、何で関係ない話から?」
と思われるかもしれませんが、 語りの“まくら”として書かせて頂きました。
私にとっては、語りの灯火を守るための前奏です。
さて、本題の高畑勲監督作『かぐや姫の物語』について。
ここでは、原作には登場しない、オリジナルキャラクター「捨丸」に焦点を当てて語ります。
なぜ高畑監督は、捨丸というキャラを創造したのか?
それは、金や名誉を優先する、現代の格差社会への批評であり、
「ハイスぺ男子の実態って、所詮こうだよね。」
という皮肉でもあると感じます。
かぐや姫に言い寄る男たちの、傲慢さと自己中心的な言動に監督は、現代のカリスマたちの姿を重ねたのではないでしょうか。
だからこそ、
「かぐや姫の心を動かせたのは、捨丸の人間力だった。」
という語りの選択が生まれたのだと思います。
捨丸は、貧しい家庭に育った野生児。いつも子分を連れて遊び、自然の中で逞しく生きていました。 狩りをし、果物を見つけては器用に切り分け、筍(かぐや姫の愛称)に渡す。 かぐや姫は、たった3か月で成人し、みんなで食べたかった、キジ鍋の材料を縁側に置いて、都へ旅立ってしまいます。
悪戯好きで遊びの天才。教育係の言うことなど、どこ吹く風なのに、いざとなると華麗に琴を奏でるかぐや姫。 さすが月生まれ。野生の中で育ったことで得た直感力と洞察力で、ハイスぺ男子たちの本性を見抜き、切り捨てていきます。
それでも、かぐや姫の心は虚しさに満ちていました。 子供時代に味わった「温もり」という幻想こそが罪。 そして、翁が「良かれと思った現実」こそが罰の正体だったのです。
人生は、得ることよりも、手放すことの方が多い。 人は、万能感を抱くことが罪であり、限界を受け入れることが、罰の本質なのかもしれません。
私たちも、夢見る時代を経て、選択と喪失の連続の中で生きています。
ここで少し話が飛躍しますが、キリスト教的な視点から見ると、人間の原罪とは「Dream」そのものなのではないでしょうか。
大金と地位という「Dream」に目が眩んだ翁は、かぐや姫ファーストだったはずなのに、ラスボス“みかど”をあてがいます。 かぐや姫はついに「月に帰りたい!」とタオルを投げることに。
その後、月に帰る前に捨丸と再会。事情を聞いた捨丸は、ジブリファン界隈から「妻子捨て丸」という、当時は貴族にすら使われなかった、不名誉な苗字を、与えられてしまうような行動を取ります。
※この表現はネット上の一部で使われたものであり、実際の人物や関係性とは一切関係ありません。
そんな風に、一番まともだった捨丸ですら、かぐや姫への未練を断ち切れなかった。 幼馴染が、突然遠くへ行ってしまった記憶、馬車に乗る美しいかぐや姫の目前で、鶏泥棒としてボコボコにされた過去―― それらが、彼の心を揺らしたのかもしれません。
しかし願い虚しく、かぐや姫は記憶を消され、地球ライフは強制終了。
”みかど”は軍事力で、飛行船を撃ち落とそうとしますが、すべては無力化されてしまいます。
ここで、冒頭の話に戻ります。
音楽療法士の方との関係は、あくまで「社会的人間関係」の範疇であり、それ以上でもそれ以下でもありません。
けれど、その人と一緒にいることで、正体不明の息苦しさを感じてしまい、音楽療法の中断を申し込みました。 何となく空気感から、タオルを投げたのです。
今振り返れば、リハビリの日々を乗り越えて、一人でどこへでも行けるようになった。 それは、その人とのご縁を手放し、歩き出す日の始まりだったのだと思います。その後、主治医との話し合いを経て、サルコペニア肥満は治癒。訪問看護も終了しました。
しかし、関係性を手放したばかりの私にとっては、人間関係をリセットした後に、記憶喪失になれたかぐや姫の事が、正直、羨ましかったです。
そんなかぐや姫のラストに、強い憧れと共に共感を受けた、根っこにあるのは、「回避性パーソナリティ障害」なのではないかと思います。 本当は本音で向き合いたいのに、一度本音を出してしまうと、気まずくなって関係性を避けてしまう。
かぐや姫は人懐こくチャーミングですが、心の底には孤独を抱え、希死念慮に囚われたことも。 媼の態度は変わらないのに、翁の強欲さに失望し、月に帰りたいと願う。
月とは、心の奥に閉じこもり鍵を掛け、仮面を付ける「回避性パーソナリティ障害」の象徴。 それでも、語りの灯火は、静かにそこに燃えているのかもしれません。
