答えばかり探していると、考えられなくなる—AI時代に親が子どもへ渡したい「問いを立てる力」
私は発信を始めてからだいぶ長くなりまして、いくつかのアカウントも含めると、もう軽く10年以上になるんです。その間、ずっとやってきたことのひとつが、「質問に答える」ということ。
いただいた質問を読んで、その人が何に困っているのかを探って、私なりに答える。これを長年やってきたからこそ、最近、かなり気になっていることがあります。
それは、質問が、質問になっていないことが増えた。ということです。
たとえば、
「他責思考から抜け出したいです」
これは、質問ではありません。願いです。短冊に書くやつです。
ほかにも、起きた出来事がずらっと書かれていて、最後まで読んでも何を聞きたいのか分からなかったり、自分の気持ちを吐き出して終わっていたりする。たとえば、こんなもの。
「最近、小学生の娘が全然言うことを聞きません。宿題も言わないとやらないし、昨日は少し催促すると『今やろうと思ってた!』と怒られました。私が言わないと何もやらないし、言ったら言ったで嫌そうな顔をするので、それにもイライラします。最近こういうことが続いていて、もう言うのも疲れました。」
これも質問ではありません。もはや日記ですね。
では、この最後に「どうしたらいいですか?」「どう思いますか?」とついていたら、質問になるのか。
文法上は質問です。でも、私がここで言っている「問いを立てる」とは、少し違います。
もちろん、人に話すことで初めて、自分が何に困っていたのかが見えてくることもあります。でも、自分で整理したり、思考したりしないまま、その「分からなさ」ごと相手に渡してしまうことに、私は今回かなり問題意識を持ちました。
なぜなら、人は問いを立てられないものについて、深く考えることができないからです。
「悩むこと」と「問いを立てて考えること」はちょっと違う
悩んでいるときだって、もちろん頭は使っています。
なんで?どうして?どうしたら?私の何が悪いの?…って、頭の中でいろんな言葉がぐるぐる回っている。だから自分では「ずっと考えている」と感じます。
じゃあ、同じところをぐるぐる回っていた悩みから、ふっと抜け出して動き始める瞬間って、どんなときかというと、「新しい問いが立ったとき」だと思うんです。
悩むとは、問題の中にいること。問いを立てて考えるとは、問題を自分の前に置いて、自分の課題を取り出すこと。かな、と思います。問いを立てることで、悩みは初めて「考えられる課題」になるんです。
だから、「どうしたらいいですか?」と相手に聞くこと自体が悪いわけではないのだけど、自分は何に困っているのか。何を変えたいのか。何が分からないのか。一度も自分で考えないまま、相手に「どうしたらいいですか?」と渡してしまえば、考えるところから相手に委ねることになります。
情報や知識は、いつも入り口に過ぎません。大事なのは、そこから自分なりの問いを生み出すこと。自分は何に困っているのか。何が分からないのか。本当は何を知りたいのか。自分の悩みの中から、自分にとっての問題を見つけて、「私は何を考えたいのか」「自分の課題は何か」を取り出し、試し、また問い直していくこと。
つまり、これって日常的に哲学をするということなんですよね。
私が最近、いただく質問を見ながら感じていた違和感は、たぶんここなんです。ちょっと乱暴に言えば、「私は今これに困っているので、ここから先は考えてください」と渡されているような感覚がある。 みんな検索やチャットGTPに慣れてるからじゃね?!ああ、人間から、自分なりの哲学がもっとなくなっていく…
自分の問いが持てないということは、自分の哲学がないということ。それは、気づかないうちに誰かの答えを生きることになります。
何を大切にするのか。何を疑うのか。何を選ぶのか。どう生きるのか。そこを自分で問わなくなれば、答えはいつだって外からやってきます。誰かの価値観だったり、世間の正解だったり、SNSで流れてきた言葉だったり、これからはAIだったり。
(とはいえ、「誰かの答えを生きたい」と無意識に望んでいる人が多いというのも、また考えなくてはいけないテーマです。自分で考え、選び、その責任を引き受けるより、正解を誰かに決めてもらう方が楽ですからね。でも、誰かの答えは自分の答えではないので、それを生きようとして、また悩む……。ここを掘ると別の哲学が始まりそうなので、今回はやめておきます。)
人生をつくるのは、正解のない問い
問いには、正解のある問いと、正解のない問いがあります。
「日本の首都はどこですか?」には答えがあります。でも、生きていくうえで本当に大事な問いのほとんどには、どこかに用意された正解なんてありません。
どう生きたいのか。何を大切にしたいのか。この人とどう関わっていきたいのか。自分にとって仕事とは何なのか。子どもに何を渡したいのか。
ういう問いには、誰かが用意した正解がない。
だから、自分で考えるしかないんです。
ところが今は、この「自分で問いを立てて考える」という行為を、しなくても済む環境がどんどん整ってきています。
分からないことがあれば検索すればいい。SNSを開けば、短い動画や情報が次々と流れてくる。さらに今はAIに聞けば、考えるところから整理するところ、答えを出すところまで、ものすごい速さでやってくれます。
便利です。私も使います。
でも、便利だからこそ、「答えを得る力」は上がっているのに、「問いを生み出す力」は落ちていく。
ここは、結構怖いところだと思っています。
AIは、何を聞いてもそれなりの答えを返してくれます。だから「賢く使えている」という感覚にもなりやすい。でも、それらしい答えが返ってくることと、自分の思考が深まっていることは、まったく別の話です。
むしろ、何でも答えてくれるからこそ、その手前にあった「自分で問いを立てて考える」という工程を、知らないうちに飛ばしてしまう。
そしてもうひとつ。問いを立てる力がなければ、そもそもAIの能力も十分に引き出せません。
何を聞くかで、得られるものは全然違います。問いが粗ければ、返ってくる答えも粗い。出てきた答えのどこに違和感を持つのか。次に何を問い、どこまで掘るのか。何を採用して、何を捨てるのか。それを決めるのは、結局、人間側です。
AI時代だからこそ、問いを立てる力は重要になる。なのにAIがあるからこそ、問いを立てなくても答えを手に入れられてしまう。
ここが、AI時代のおもしろい矛盾ですね。
(おもしろいなんて書いてますが、「ひえー、次の世代までこれが続いたら、結構まずくない?!」って、わりと心配にもなってるんですけどね。)
AIが賢くなればなるほど、問いを立てる力の差が、そのままAIを使いこなす力の差になる。なのに、その力は意識して使わなければ、むしろ失いやすい環境になっている。
ここをよくよく自覚しておかないと、AIを使っているようで、使われることになる。
だからこそ、自分で問うことを手放さないことが、これまで以上に大事になるんだと思います。
そして、いただく質問を見ながら、私がこのことに強く問題意識を持った理由は、やはり次の世代のことです。大人が考えることを手放した影響は、大人だけでは終わらないからです。
親の思考は、子どもに渡っていく
これまで仕事の中で、親子関係や人間関係について、たくさんの相談やケースに触れてきました。その中で、「親子のあいだで、どんな対話を積み重ねてきたか」は、親子関係にかなり大きな影響を与えるな、と感じています。
というのも、会話には、その人の思考の深さや、思考の癖が、そのまま出るからです。
ひとつの出来事が起きたとき、目の前に見えていることだけで判断するのか。「なぜこうなったんだろう」「ほかの見方はないだろうか」と、もう一歩奥まで考えるのか。
自分と違う意見に出会ったとき、「いや、それは違うでしょ」で閉じるのか。「なんでそう思うんだろう」と、相手の頭の中をちょっと覗きにいくのか。
これは、単なる「声かけの違い」ではありません。親がどう考えているか、どう捉えているかの違いです。
そして、こういうやり取りを日々繰り返しながら、子どもは、問題が起きたときにどう考えるのか、分からないことにどう向き合うのか、自分の中にどう問いを立てるのか。その「考え方の道筋」そのものを、少しずつ学んでいきます。
勉強や習い事については「毎日少しずつやった方がいい」と考える人が多いと思います。ピアノも、スポーツも、英語も、一日やったからといって急には上達しない。だから、コツコツ練習させたり習慣をつけようとする。
考えることだって、それと同じなんです。
思考力だけ、ある朝突然ムキムキになることはありません。
そう考えると、親子の会話って、毎日行われている、ものすごい量の思考トレーニングでもあるんですよね。
子どもたちは、今の私たち以上に「答えが簡単に手に入る世界」を生きていきます。知識を持っていること自体の価値は、今よりさらに相対的に下がってしまうかもしれない。なんなら親より優しく対話してくれるAIに流れてしまうのかもしれない。
じゃあ、そんな時代に、子どもへ何を渡すのか。
私は、正解をたくさん教えること以上に、自分で問いをつくれることが、ものすごく大切になると思っています。
自分で問いを立て、自分なりの答えを探しながら、自分の人生を進めていけること。
だから、親が全部の答えを知っている必要なんてありません。むしろ、すぐに答えを渡すよりも、対話を重ねながら分からないことを一緒に考えられることの方が、ずっと大事であったかい。
そして、子どもに問いを渡せるようになるためには、まず大人が、自分の問いを持って生きている必要があります。
思考力は、筋トレみたいなものです。使わなければ少しずつ弱くなる。でも逆に言えば、使えば、ちゃんと育つ。
私はこれからも発信の中で、答えだけではなく、考えるタネや、問いや、新しい視点を渡していきたいと思っています。
読んで「なるほど」で終わるのではなく、「じゃあ私はどうだろう?」まで持ち帰ってもらえたらうれしい。私自身も、改めてそこを大切にしながら、これからも文章を綴っていこうと思います。
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