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202508 黒川の女たちにはなりたくない

また出会ってしまった、人生を変える1本の映画に。

自分が「性別・女」であることを心底恐怖に感じた。
もし80年前にわたしも開拓団の一人としてあの場所に若い未婚の娘としていたら、同じ目に遭っていたんだと思うと体が引き裂かれる思いがした。

日本において男女は今、同権だろうか?
かつてあった男尊女卑の考えは今もうないと言えるだろうか。
表面上はある程度そうなったかもしれない。少なくとも、男尊女卑は当然であるとは言いずらい世の中になってきているとは思う。

だけどもし、戦争が始まってしまったら?
極限の状態で理性や知性やモラルは保たれるだろうか。
生きるか死ぬか、その瀬戸際ではそんなもの吹き飛んでしまう上に自分でも知らなかったような醜く凶暴な気持ちが湧き上がってくるんじゃないだろうか。
世界中の悲惨なニュースが溢れている現在で、性善説を信じきるのは無理がある。男性の「力」がものをいう世界になるのは間違いない。

ああヤダヤダ!
ほんと無理!
わたしは誰にも虐げられたくないし、誰もが虐げられてほしくないんだ!

映画を見た翌々日に、わたしは乙女の碑の前にいた。
照りつける日差しの中、集落に住む子どもたちだろうか。
「早く川に遊びに行きたーい!!」とユニゾンで揃えた声が遠くから聞こえてきた。
戦後80年、それはあまりにのどかな景色だった。

お花を買っていこうと思ったけれど近くに店はなくて、神社の方がいらっしゃったらお花代をお渡ししたかったけれど誰もいなくて、花を買ってこれなかったことを悔やみながら長い間碑文を読んだり乙女の碑を眺めたりしていた。

乙女の碑

1982年に開拓団の遺族会によって建立されたときには乙女の碑の内容は伏せられていたという証拠に、乙女の碑の真横にある石碑には「訪中 墓参記念」とだけデカデカと彫ってある。これだけを読んでも「墓参記念…はあ、それで?」という感じだ。
老人と子どもと女性しか残されていなかった終戦間際の満州で、身を挺して仲間たちを守った彼女たちが英雄として崇められるならまだしも、帰国してからもタブーとされたり中傷を受けるのはどう考えても間違っている。けど、同時にあまりに人間らしい感情だとも思う。
若い娘たちを酷い目に遭わせてしまった、その罪悪感があるから自分に罪悪感を負わせている相手をさらに痛めつける。タブー視して、なかったことにする。なんて愚かなんだろう。

乙女の碑・碑文

だけど時を超えて、当時の彼女たちの苦しみが痛いほどに伝わる碑文ができた。そして碑文を残すために尽力したのは、当時ソ連兵に女性を差し出す役目をしていた「呼び出し係」を父に持つ、その息子だ。映画の中で、何度も謝り続ける男性の胸中はどれだけ複雑なんだろうと想像する。

私たちがどれほど辛く悲しい思いをしたか、私らの犠牲で帰ってこれたということは覚えていて欲しい

乙女の碑 碑文より


『性接待』なんていう言葉をわたしは許さない。
女の体はモノじゃない。
交渉ごとの道具にされていいわけがない。

長期にわたって証言しなかった被害者らが、声をあげてくれたおかげで知ることができた。
過去は変えられないけど、未来は変えられると信じている。
だからわたしは、『黒川の女たち』にはならない。


【高野ゆらこ今後の予定】

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