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【映画】急に具合が悪くなる

*作品の内容に少し触れています。

 数週間前、偶然ラジオで本作の原作者のひとりである磯野真穂さんのインタビューを聴いた。心に響いた。これはぜひとも映画を観てから原作を読まなくてはと思ったのだった。
 ネタバレを避けながら情報を見ると、哲学者と人類学者の往復書簡が、舞台演出家と介護施設のディレクターに置き換えられ、しかも京都とパリが舞台である。その改変はちょっと通俗的ではないかとも感じていた。
 3時間超の作品なので、念のため隅っこの座席を予約する。それこそ、いつ「急に具合が悪くなる」とも限らない。

 ベルギー人の友達から、この映画の主人公のひとりを演じるヴィルジニー・エフィラはベルギーを代表する俳優のひとりだと教えてもらった。フランス語でのタイトルは「Soudain」。突然、という意味だ。「Soudain, je me sens mal」(急に具合が悪くなる)とすべて訳さなかったのは、説明的すぎてしまうからだろうか。

 映画はとてもよかった。作品全編に流れていたのは、人間の善性によせる圧倒的な信頼の感情だった。わたしはこれを、ひとつの信仰の物語だと思った。そこにはもちろん、現実の厳しさが次々と立ちはだかるのだけれど、登場人物たちは互いを「見つめ、話しかけ、触れ合い、立ち上がり」その壁を乗り越えようとする。生きていくことは、「ユマニチュード(人間の尊厳を重視したケアの手法)」の実践の連続なのかもしれない。そう信じたいと思った。
 真理が、マリー=ルーをいたわって抱きしめる場面では涙がこぼれた。ケアが必要なのは、病人や高齢者ばかりではない。わたしたちひとりひとりが、お互いを気遣い、ときに励まし、優しくいたわり合うことができたなら、世界はどんなにすてきなものになるだろう。介護者と入居者が入り乱れて足をマッサージし合うシーンが特によかった。足が疲れて力が入らなかったら、わたしたちは立ち上がることさえできない。

 どうしてフランス語で演じないのか問われた長塚京三が、感情にかかわる言葉は母国語でなければ言い表せない、という趣旨のことを答えていて、とても共感した。
 映画を観ながら、韓国やベルギー、フランスにいる友達、それから介護施設で暮らす友達のことが、次々と頭に浮かんだ。そして、この間観たばかりの「遠来〜トモべのコトバ〜」がよみがえった。
 途方もない距離のことばかり考えてしまうけれど、わたしたちが超えなければならないものは別のところにあるのではないか。

 気になったところがなかったわけではない。ホワイトボードのシーンでは、書かれるのが日本語でもフランス語でもなく英語でがっかりしてしまった。おそらく映画の中でも特に重要な場面、ここで英語帝国主義に屈しなくても……と残念に思った。
 あとたしか同じシーンで、「fonctionnement」が「構造」と訳されていて、「structure」じゃないのか?と混乱した。もう一度観て確かめたい。

 国境を越えた友情はじつに感動的なのだけれど、「え、ワープした?」とびっくりしてしまう場面があった。日本とフランス、フライトだけでも13時間はかかるし、期日が迫ればチケットを取るのも簡単ではない。いくらなんでも距離の描写が軽すぎやしないか。不可能を可能にしてしまう彼女たちの経済力や職業的特権も強調されてしまっている気もした。

 家に帰って仏仏辞典を引く。「humanitude ー ユマニチュード」は載っていなかった。比較的新しい造語だからだろうか。 
 「急に具合が悪くなる」で検索すると、たくさんのひとがさまざまな考察をしていて面白かった。それだけ力のある作品なのだ。
 ひとりでは到底抱えきれない重さの物語だ。けれど、マリー=ルーの職場の人々が、年齢や性別にかかわりなく、いたわりの気持ちを持って他者と接していたのがとてもよかった。彼らの姿のおかげで、安心してストーリーに身を委ねることができた。たとえ絵空事に見える部分があっても、作品から受け取ったものまで手放したくない。
 誰もがいつ「急に具合が悪くなる」かわからない。そのとき、見つめ、話しかけ、触れてもらえる世界であってほしい。わたしにもできる「ユマニチュード」が、きっとそこにある。

ベルギーでの公開はまだまだ先らしいので友達の分もパンフレットを買いました。

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