子宮筋腫21個摘出、それでも子宮を残した私の記録ー手術決断ー〜手術・術後編~
MRI検査と腫瘍マーカーの結果から、悪性の可能性は低いと判断された。
ひとまず安心した一方で、多発する筋腫と急激な増大という現実は変わらなかった。
4月の再診。
主治医から、子宮全摘という選択肢が提示された。
症状の重さを考えれば、合理的な判断であることは理解できた。
しかし私は、すぐには答えを出すことができなかった。
大きくなったお腹を抱えながら、「まだ考えたい」とだけ伝えて帰宅した。
数日間、自分なりに考えた。
そして出した結論は、
「子宮は残したい」
というものであった。
将来どうなるかは分からない。
それでも、可能性を残しておきたかった。
4月下旬の再診で、私は主治医にその意思を伝えた。
「子宮は残したい。核出術を行ってほしい」
主治医は、その場で即答はしなかった。
「カンファレンスにかけて、他の先生の意見も聞いてみるね」
その言葉から、この症例が簡単なものではないことを、改めて感じた。
5月の再診。
カンファレンスの結果、核出術を行う方針が決まったと伝えられた。
私の希望は、ひとまず受け入れられたのである。
ただし、条件があった。
術前の検査では肉腫の可能性は低いと考えられるものの、最終的な判断は、術中の迅速病理検査に委ねられる。
もしその場で肉腫と診断された場合、卵巣を含めた子宮全体を摘出し、
術後には化学療法を行う。
希望とリスクが、同時に提示された瞬間であった。
さらに、レルミナが有効であることから、手術前日まで服用し、筋腫をできるだけ縮小させる方針となった。
手術は大規模になるため、人員の確保しやすい水曜日に行うことが決定した。
この頃、主治医は人事異動により大学病院へ戻っており、日赤病院での外勤日に診察を担当してくれていた。
本来であれば執刀も担当したいという思いがあったようだが、体制上それは叶わず、少し悔しそうに新しい主治医を紹介してくれた。
その姿を見て、この先生に診てもらえてよかったと改めて思った。
そして、手術当日を迎えた。
正直なところ、不安がなかったわけではない。
しかしそれ以上に、「ここまで来たのだから大丈夫だろう」という、
どこか根拠のない自信があった。
手術は無事に終了した。
筋腫は21個摘出され、子宮は温存された。
しかし、術後の経過は順調とは言えなかった。
容体が急変し、大部屋から個室管理へ移行。
せん妄症状も出現し、酸素投与とモニター管理が続いた。
退院前々日まで、それらは外すことができなかった。
それまで、「自分は体力がある」と思っていた。
しかし、その自信は完全に打ち砕かれた。
それでも、最終的には回復し、日常生活に戻ることができた。
現在、私の体は、排卵し、生理が来ている。
あの時、子宮を残すという選択をしたことに、後悔はしていない。
正解は、人それぞれである。
どの選択にも、それぞれの理由がある。
これは、その中のひとつの記録である。
