ひよこの名前
「うちの子が一番器量が悪いわ」
新生児室の窓ガラス越しにズラリと並んだ赤ちゃんを見て、母はそう言ったという。
母は広尾の日本赤十字社産院で私を産んだ。
今でいう日赤医療センターである。
近所にも産院はあったと思うが、地方出身の母は最初の子はやはり知名度があって設備の整った所でと思ったのだろう。
母は新生児の私を見てもう一度ため息をついた。
「それに1番色が黒いわ」
マタニティブルーだったわけではない。
母は昔から口が悪かった。
そしてちょっとだけ、いやだいぶ変わっていた。
まだ妹が生まれる前、父の仕事の関係で奈良にいた時のこと。
ある日、大きな台風が襲来した。
私達の住む2階建てのアパートは小高い場所に建っていたので、激しい雨と風が容赦なく打ちつけた。その度にガタガタと酷く揺れて、このまま倒壊するんじゃないかと幼いながら気が気ではなかった。
しかし母はちっとも怖がっていなかったので、きっと大丈夫なんだろう、そう思ったその時、
ゴォー!ベリベリッ!!バァギィィーン!!!
この世の物とは思えない恐ろしげな音と共に、屋根は半分何処かに吹っとばされていった。
ぽっかりと開いた漆黒の闇から痛いくらいの大粒の雨が容赦なく母と私に降り注ぐ(こんな時に限って父は不在)。
母は私にレインコートを着せると右手に懐中電灯、左手で私の手を掴み外階段を駆け降りた。
何故かその後の記憶が全くない。
近所の大家さんの家に避難したのか、それとも一階の顔見知りのおばさんの家に避難したのか。
どちらにせよベリベリバキンが余りに強烈過ぎて、幼ない私の諸々の許容量を限界突破していたのだろう。
翌日部屋に戻ると畳はびしょ濡れ、食器は四方八方に飛び散って木っ端微塵という目を覆うばかりの惨状だった。
「お母さん」
思わず隣に立つ母の手を握る。
すると天井を見上げて母は言った。
「いいお天気ね」
「えっ?」
母の視線を辿ると屋根が半分吹っ飛んだ天井の向こうに、台風一過の青く澄んだ空がくっきりと見えた。
いいお天気だった。
確かにいいお天気だったけど。
うちのお母さんって変わってるかも。
空を見上げる母の横顔を見ながらそう思った。
1年後私達は東京に戻り、両親とその後生まれた妹と私は母の姉夫婦の家で一緒に暮らした。
幼稚園に途中編入した私は悪ガキに三つ編みを引っ張られ、奈良弁を毎日揶揄われた。
「やーんぺ!やんぺ」
「こーて、こーて、それこーて!」
グイッ(三つ編みを引っ張る音)
「もう幼稚園になんか行かん!三つ編み引っ張られて痛いもん」
毎朝、和室の柱に両手で縋りつく私を母は情け容赦なく引っ剥がした。それでも私が畳に突っ伏して抵抗していると、ある朝裁縫バサミで私の三つ編みをチョキンと切った。
「ほら、もうこれで大丈夫よ」
「!!!?」
齢四歳にして理不尽を知った春であった。
あの日以来、私は髪を伸ばしたことがない。
当時住んでいた家は古い平屋の一戸建てで、漫画のサザエさんの家みたいだった。
学校から戻ると幼い妹と2人よく庭で遊んだ。
母は私の三つ編みチョキン事件でもわかるように、良くも悪くも思い切りの良い人だった。
金魚鉢の金魚も死んでしまうとそのままポイと庭に捨てた。
「ひどい!ゴミじゃないんだから」
「ゴミだったら捨てないわよ」
「せめて埋めてよ」
「だったら自分で埋めなさい」
私は母を呪いながらスコップを手にする。
そんな母は口は悪いが花を育てるのは何故か上手で、庭にはいつも季節の花が咲いていた。
ただ花の数だけ謎の虫も沢山いた。
背中に白いテンテンのある黒い虫とか、ブンブン羽音を響かせて飛んでくる謎の巨大昆虫とか、触るとクルッと丸くなる白い貝殻みたいな虫とか。
その庭で母はせっせと種をまき、花を育てた。
そして母から不幸にも害虫認定された虫たちは片っ端から踏み潰されていく。
私は虫が苦手だったが、虫よりも母の靴の裏の方が百万倍怖かった。
私が四年生の時、妹が敗血症という病気で緊急入院した。危険な状態で面会謝絶の日が続く。
両親の面会がやっと許されてからも子供の私は暫く会うことは許可されなかった。
ある日、玄関のたたきに透明のビニールに包まれたクマのぬいぐるみが置いてあった。
大きくてフワフワのピンク色のぬいぐるみだ。
「このぬいぐるみ、どうしたの?」
台所の母に尋ねる。
「お父さんが買ってきたのよ。明日病院に行くとき持って行くから」
「私も行こうかな」
母はその頃毎日病院に通っていたので、私が学校から帰ってもいない事が多かった。
だから一緒に行けば病院の近くで母と2人でお昼ご飯を食べたり、アイスクリームを食べたり出来るかも知れないと思ったのだ。
しかし母はその提案を即効却下した。
「行ったってまだ面会できないんだし。留守番してて」
「なら行かない」
ランドセルを放り投げて水道の蛇口を捻る。
別にお見舞いになんか行きたくないし。
病院なんて嫌いだし。
アイスだって食べたくないし。
ゴシゴシといつまでも手を洗っていたら
「水がもったいないでしょ!」と叱られた。
3ヶ月後、妹は無事退院した。
前日の夜、明日帰ってくるよと母に言われ、翌日は学校が終わると走って帰った。
妹はよそ行きの赤いチェックのワンピースを着て、大きなピンク色のクマのぬいぐるみを両手で抱え庭に立っていた。
ちょっとだけ背が伸びたような気がする。
「おかえり」
なんだか照れ臭くてぶっきらぼうな言い方しかできなかったけど。
はにかんだ妹の笑顔を今も覚えている。
妹が退院した年の夏の終わり。
母と行った祭りの屋台でヒヨコを見つけた。
ピヨピヨと鳴くその小さな黄色の生き物たちはふわふわで、本当に可愛くて。
お年玉を貯めたお金で買いたいと頼んだが、母はなかなか許してはくれなかった。
「何で駄目なの?」
「すぐに死んじゃうからよ」
「そんなのわからないよ」
「わかるわよ。どうせ屋台のひよこなんて長生き出来ないんだから」
母はとんでもなく失礼なことを屋台のおじさんの前で言い放つ。
おじさんがどんな顔で私達親子のやり取りを聞いていたかわからないが、それでも私はひよこの前を離れなかった。
「長生き出来るよ。絶対、絶対出来るもん!」
頑固な娘に面倒臭くなったのか、母はしぶしぶ許してくれた。
沢山のひよこの中から1番元気に鳴いている子を選ぶ。両手で持ち上げたひよこは驚くほど軽くて、そしてとても温かかった。
段ボールに小さく千切った新聞紙を沢山入れ、その真ん中に白い綿で寝床を作った。
昼間の暖かい時は縁側に、夜は冷えるので居間の隅に座布団を敷いてその上に置く。
寝る時は段ボールの上から毛布をかけた。
ひよこはぴよぴよと元気に鳴いてチョコチョコと元気に歩いた。
小さなピンク色の嘴でエサを食べる様子は飽きる事なくずっと見ていられる。
そっと手で掴んでゆっくり指先で撫でてあげると、ひよこはうとうとと眠り始めた。
眠る時には下瞼から閉じる事を初めて知った。
私のちっぽけな世界に温かな色が1つ増えたようだった。
「ピーちゃん」と名前をつけた。
猫だったらタマ、犬だったらポチ、人間だったら太郎花子並みのネーミングだが、やっぱり1番ピッタリとくる。
他の家族もみんなピーちゃんと呼んだのに、なぜか母だけはずっと「ひよこ」と呼んでいた。
朝、起きてまずピーちゃんを見に行く。
元気なのを確認して学校に行く。
学校から帰ると靴を脱ぐ前に母に声をかける。
「ピーちゃん、もう死んじゃった?」
ピーちゃん元気?でもなく。
ピーちゃん、まだ生きてる?でもなく。
ピーちゃん、もう死んじゃった?
何故私はそんな言い方をしたのだろう。
捻くれた意地悪な言葉。
でも、たぶん、ひよこが死んでしまうのが怖すぎて、死んじゃったよと言われるのが怖すぎて、
「いつか死んでしまう」という、そのいつか来るかもしれない最悪に備えていたのだと思う。
それは「ひよこなんか長生き出来ない」と言った母の「ほら、やっぱり死んじゃったじゃない」という言葉から私自身を守る為の、最悪に備えた捻くれた保険だった。
ピーちゃん、もう死んじゃった?
生きてるよ。
ピーちゃん、もう死んじゃった?
生きてるよ。
そんな母と私の奇妙なやりとりが何日も続く。
ピーちゃんはこのまま立派な鶏になるかも知れない。大きな鶏になって朝一番にコケコッコーと盛大に鳴いて、近所中から苦情が来るかも知れない。
そう思えた頃、その日は突然やってきた。
いつものように学校から帰ってきて、いつものように母に尋ねる。
「ピーちゃん、もう死んじゃった?」
「死んじゃったよ」
母はあっさりと告げた。
その一言はまるで真っ黒な鉛の様だった。
ひよこのいないダンボールの中には、朝私があげた餌と水がまだ入っていた。
私が学校に行っている間にピーちゃんは死んでしまった。
母が見つけた時にはもう冷たく強張っていて、そのまま綿に包んで枇杷の木の下に埋めたという。
母の前では絶対泣きたく無い。
縁側にランドセルを置くと平気な顔をして庭に降りた。
琵琶の根本が1箇所小さくこんもりしている。
ピーちゃんがポイと捨てられてなくて良かった。
でも土の下は暗くてさぞ冷たいだろう。
私がいたら綺麗なお菓子の箱に入れて、もっとたくさんのあったかな綿で包んであげたのに。
庭に咲いていた白い花を土の上に置いた。
ひまわりの形に似たその花は真ん中だけ黄色い。
「ピーちゃん、ごめんね」
冷たい地面を撫でていたら、まあるい黄色がみるみるぼやけていった。
秋が過ぎ冬が来て、また春が訪れた。
この頃から母は寝込むことが多くなった。
若い頃肺炎を患ったせいなのか、月に一度は決まって床に伏せる。
私が学校から帰って母の姿が見えない時は、大抵奥の和室で寝ていた。
枕元に水差しと新聞紙のかかった洗面器が一つ置いてあって、そこからは少し据えた匂いがした。
母の背中を摩りながら私はいつも憂鬱だった。
突き出た背骨がゴツゴツと掌に当たる感触が怖かったのだ。
そんな思いを悟られないよう、あえて明るい口調で今日の学校での出来事を話す。
「お母さん、あのね」
でもそんな時、母は私の話しを遮っていつもこう言った。
「お母さんは長生き出来ないから」
私の答えもいつも同じだ。
「お医者さんに診てもらってれば大丈夫だよ」
「医者の薬なんて効かないわよ」
「そんな事ないって。ちゃんと飲めば大丈夫」
母は大きなため息をついた。
ため息をつきたいのはこっちだよ。
なんでそんな事を言うの?
そんな言葉なんて聞きたく無いよ。
本当はそう言いたかったけど。
多分馬の耳、いや母の耳に念仏だ。
母はすごく頑固だった。
「お母さんは長生きできないから」
毎月繰り返される言葉はまるで呪文のようだ。
なんて答えたら母は満足だったのだろう。
私が小学6年生の時、千葉に引っ越した。
父と母と妹と私、そして伯母が一緒だった。
伯父は来なかった。
トレンチコートに帽子を被り、私に沢山の本を買ってくれた洒落者の伯父。
悲しかったけれど私は何もできなかった。
伯母と伯父は離婚して6人だった家族は5人になった。
新しい家は二階建だった。
引っ越してすぐに金柑と桃の苗木を母は小さな庭に植えた。
まだ子供だった私は広い庭の古い家なんかより狭い庭でも新築の家が嬉しかったけど、母はどうだったのだろう。
妹は結婚が決まった時、母の為に披露宴当日、休憩用の別室をホテルに設けてもらった。
だが式の当日の朝、母は吐血した。
救急車を呼ぼうとする私達に「家で休んでいれば大丈夫。病院には明日行く」と頑固に言い張る。
「馬鹿なこと言わないでよ。お母さん1人残して行けるわけないでしょ」
「親族が少なかったら花嫁が可哀想でしょ。具合が悪くなったら自分で救急車ぐらい呼べるからさっさと行きなさい」そう言って譲らない。
何度も押し問答が続いて、結局、母を残し式場に向かった。
妹夫婦が新婚旅行に無事旅立った日、父と私が付き添って母を入院させた。
諸手続きを終えて母のいる病室に戻ると、さっきまでいた父の姿がない。
「あれ?お父さんは?」
「トイレ行ったきり戻ってこないのよ 」
嫌な予感がして男子トイレに向かう。
「お父さん?」
返事はない。
「お父さん、いたら返事して」
意を決して男子トイレに入る。
一つだけ個室のドアが閉まっていた。
「お父さん!お父さん!」
ドアを叩いても返事はなく、下の隙間から覗くと見慣れた父の靴とズボンが床の上に見えた。
自分でも血の気が引くのがわかった。
すぐに看護師さんを呼んで鍵をこじ開けて貰うと、便器を抱えるようにして父が倒れている。
吐瀉物と下血で悲惨この上ない姿だ。
看護師さんが数人がかりで父を処置室に運んでいく。父に付き添いながら私は思った。
まずい。
妹の新婚旅行中に葬式2つはまずい。
絶対にまずい。
それだけは何としても避けなければ。
本気でそう思った。
父は検査の結果十二指腸潰瘍と診断され、葬式は避けられたが即日入院だった。
母の病室に戻ると看護師さんから父のことを聞いたのか、私の顔を見るなり不安そうに尋ねる。
「お父さん、死んじゃうの?」
「いやいや死なないって。十二指腸潰瘍だってさ」
「そう。なら良かった」
母は安心したのか少し口元を緩め、病室の窓越しに空を見上げた。
「いいお天気ね」
おいおい。こんな時でも天気の話か。
ひょっとして前世は気象予報士だったのか?
そう思いつつ、私も窓越しに空を見上げる。
目に眩しいほどの5月の青い空だった。
妹夫婦は結婚後暫くして、入退院を繰り返す母と同居していた伯母ために二世帯住宅を建てた。
週末になると、私はまだ幼かった娘を連れて母の顔を見に泊まりに行く。
母は皆んなの顔がいつでも見えるようにと、妹がリビングに用意したベッドに寝ていた。
食事を終えお風呂に入った娘が寝る支度をして母に挨拶に行く。
「ばあば、おやすみなさい」
すると母は娘の着ていたパジャマをじっと見ていた。黄色の布地にたくさんの小さなお猿さんの絵が描いてあるパジャマだった。
「はーちゃん。パジャマ可愛いね」
そう言って娘のパジャマにそっと触れた。
5年後の1月の寒い日、母は70歳で他界した。
病名は気管支拡張症。
「お母さんは長生き出来ないから」
幼い私にまるで呪文のように言い続けた言葉通り、母は長生きしなかった。
あの夜。
夕方からずっと病室の母に付き添っていた父と妹と交代する時、妹は「もう少しだけいる」と言ったけど「明日もあるんだし2人とも無理しないで」と言って私が帰宅を促した。
2人が帰った後、乾いた唇をガーゼで潤し足をマッサージしていたら、様子を見にきた看護師さんが慌てて病室を飛び出して行った。
「聞こえる? お母さん、私ここにいるよ」
母は私を見て小さく頷いた。
「大丈夫。怖くないからね。私がここにいるからね」
母の痩せ細った肩を両手で抱え母を抱きしめた。
「お母さん、深呼吸してみよう。大きく吸って、吐いて」
私が深呼吸してみせると、いつも頑固な母はまるで小さな子供のように素直に息を吸い、そして吐いた。
「上手!上手!じゃあもう一回、吸って、吐いて」
今度も母は素直に息を吸った。
そして小さく口を開けたまま、もう息を吐くことは無かった。
後日、母の担当の看護師から連絡があった。
母のベットの下には沢山の未開封の薬があったという。血中酸素濃度は、本来人が生きていけるレベルではなく、体重は四十キロを割っていた。
母は最後まで頑固で意地っ張りだった。
葬儀社の人と打ち合わせをしている時、棺のそばにいた父が突然大号泣し崩れ落ちた。
「お母さんが死んじゃったよ」
父がこんな風に取り乱しおいおいと声を出して泣くのを私は初めて見た。
昔、母が少し自慢げに言っていた事を思いだす。
「お父さんはね、私にお見合いの話が来た途端に凄く焦ってプロポースしたのよ」
結局父は血圧180越えでそのまま寝込んでしまい
、喪主は急遽私の夫が務めることになった。
弔問客も一握りの親戚を残して皆帰り、母の棺の前に座っていると、さっきまで遺品の整理をしていた妹が部屋に入ってきた。
「お姉ちゃん、風邪ひくよ」
赤い毛糸の膝掛けを手渡し隣に座る。
「ありがと。お父さん、どう?」
「大丈夫。落ち着いてるよ。いきなり大泣きしたと思ったら急に倒れるし、お葬式二つになるかと思ったよね」
妹の言葉に、母が入院した5年前の5月のトイレ事件を思い出して思わず苦笑する。
「ほんと、葬式二つはまずいよね」
そしてずっと心の奥にあった痼りを口に出した。
「あの時はごめんね。もう少し残るって言ったのに私が家に帰しちゃったから。私1人で看取ることになっちゃた」
妹は百合の花に囲まれた母の遺影をじっと見ていた。
「いつだったかお母さん、私に言ったんだ。孫たちは目に入れても痛くないくらい可愛いけど、でもやっぱり自分で産んだ子が一番可愛いって。そういう人だったよね」
妹が入院した時、面会謝絶なのにそれでも毎日病院に通っていた母の姿を思い出す。
そうだ。母は妹の事をとても可愛がっていた。
「お母さん喜んでるよ。お母さんはお姉ちゃんの事が1番可愛かったんだから」
「え?」
遠い異国の言葉を聞いたみたいに、妹の言葉が全然頭に入ってこない。
「お母さん、お姉ちゃんが初任給でプレゼントしたバック、すごく大事にしてたんだよ。今もまだあるよ。私がプレゼント買ってあげたってあんまり喜ばなかったのに」
私は慌てて否定する。
「それはないよ。私の顔さえ見れば、妹は色白で可愛いのにあなたは色黒でちっとも可愛げがないって憎まれ口ばっかだったし」
「でもお母さんはお姉ちゃんの事が1番可愛かったんだよ」
妹は唇を尖らせて、拗ねたようにそう言った。
妹が去った部屋に私1人が残った。
闘病中の母の口癖は「子供達が待っているんだからさっさと帰りなさい」と「あなた達に迷惑をかけてまで意地汚く生きていたくない」だった。
「お母さん長生き出来ないから」に並ぶトラウマ呪文だ。
でも今になってやっと気づく。
母は甘えるのが苦手な人だったのだろう。
そしてたぶん私も。
最後に母に甘えたのはいつだったろう。
覚えていないくらい遠い昔だ。
おかあさん。
甘える事の苦手な子供は、甘える事が苦手な大人になってしまったよ。
どのくらいそこに座っていただろう。
いつのまにか隣に小学生の息子が立っていた。
「お母さん、泣かないでよ」
そう言って心配そうに私の顔を見た。
息子に言われて初めて自分が泣いていることに
気がついた。
控え室に集まった親戚や知人に挨拶を済ませ、ロビーを横切って火葬場の外に出た。
先程、焼き場の担当の方から告げられた時間は、思ったよりずっと短かった。
一月の空気は冷たく、喪服だけで外にいるには寒過ぎたが外気に触れていたかった。
どんよりとした灰色の空。
母と最後に青空を見上げたのはいつだったろう。
妹との会話を思い出していた。
「私が死んだ時には棺の中にクマさんも一緒に入れてね」
「何言ってんの。私より四つも歳下のくせに」
「憎まれっ子なんとかで、お姉ちゃんの方が絶対長生きするもん」
妹は幼い頃入院した時、父が買ってきたクマのぬいぐるみを今でもずっと大切に持っている。
妹の涙や鼻水を大量に吸ったピンク色のクマは、洗濯したら一回り小さくなってゴワゴワした灰色のクマになった。
それでも妹の宝物に変わりはない。
クマさんも一緒に入れてね、か。
幾つになっても子供だなあ。
クマさん。
心の奥がチクリと疼く。
小さい時から妹はピンクのぬいぐるみを「クマさん」と呼んでいた。母もクマさんと呼んでいた。
妹がそう呼んでいたから。
だったらなんでピーちゃんの事は「ひよこ」としか
呼ばなかったのだろう。
もしかして。
心の傷が1番浅くて済むように、最悪の保険をかけておく私の捻くれた癖。
おかあさん。
この捻くれた癖はあなた譲りだったの?
曇天に一筋昇る、白く細長い煙が消えた。
収骨のアナウンスがもうすぐ流れるだろう。
手賀沼のほとりの小さな霊園。
四季折々の花が咲くこの場所に父も母も伯母も眠っている。
長男である父方の代々の墓は、冬には雪で閉ざされる長野のとんでもない山奥だった。
しかも最近まで土葬だったらしい。そのせいか、昔から母は事あるごとに毒づいていた。
「あんな辛気臭いとこなんて死んでも絶対イヤ」
「死んじゃえばわからないでしょ」
「あなた達だってお墓参りに来るの大変なのよ」
「年に一度、避暑代わりに行くから」
「だったらいっそ、その辺にでも撒いてちょうだい」
「撒く撒く。鬼は外!鬼は外!って撒いとくから」
あの時はそう言ったけど、その辺に撒くわけにはいかないので妹と私はお墓を新たに購入した。
少しは感謝してくれているだろうか。
お供えの花を持った夫と私の前を、息子夫婦と手を繋いだ孫が楽しそうにスキップしている。
その度に小さな三つ編みがぴょこぴょこ揺れる。
そういえば、生まれてくる妹のベビー服を買いに母と池袋のデパートまで歩いて行った事があったっけ。
私がまだ三つ編みをちょんぎられる前のことだ。
その日はとても暑い日で母と繋いだ手が汗ばんで、私は母にわからない様に何度もスカートで手を拭っては繋ぎ直した。
あの頃はまだ高い建物があまりなくて、青く広がる空の向こうに赤と白のアドバルーンがいっぱい浮かんでいたのを覚えている。
おかあさん、私ね。
おかあさんが褒めてくれたあのお猿さんの黄色いパジャマ、まだとってあるんだよ。
いつか母に会えたら聞いてみたい事がある。
黄色くてふわふわした小さな生き物のこと。
大きな鶏になるはずだったひよこのこと。
ピーちゃん、もう死んじゃった?
生きてるよ。
ピーちゃん、もう死んじゃった?
生きてるよ。
おかあさん。
私、本当はね、あの時とっても悲しかったんだ。
おかあさんは?
いつか教えて欲しい。
答えは急がないから。
