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「何のために学校へ行くの?」に答えられなかった私たちは、「何のために働くの?」にも答えられない

プロローグ

「ゆめみさんって、休日も仕事か勉強をしている人だと思っていました」

部下からそう言われたのは、何の変哲もない平日の夕方だった。

たしか、プロジェクトの打ち上げか何かの雑談の流れだったと思う。
ふいに出てきた一言だった。

私は笑って否定した。

趣味の話をした。
ドライブの話もした。
食事を削ってでも遊びにお金を回していた若い頃の話もした。

すると、その部下は本当にびっくりした顔をした。

「えっ、そうだったんですか?」

─その驚き方が、あまりに純粋だった。

そして私は、なぜか恥ずかしくなった。

何年も一緒に働いてきたこの人は、私のことを「休日も仕事か勉強をしている人」としか見ていなかった。仕事以外の顔を、まったく知らなかった。

いや、違う。

知らなかったのではなく、私が何も見せてこなかったのだ。

自分の中には、
「仕事も好きだけど趣味も大事だし、食事を削ってでも遊びにお金を使いたい」
という、複雑で生々しい自分がいた。
でもそれを、言葉にして外に出したことが一度もなかった。

あの恥ずかしさは、たぶん、そういうことだったのだと思う。
自分の人生の手触りを、一番近くにいた人にすら伝えていなかったという事実に、あの瞬間、気づいてしまったのだ。

もしかしたら、「仕事一筋の上司」という像からはみ出す自分を見せることが、どこかで怖かったのかもしれない。
あるいは、見せる必要があるとすら思っていなかったのかもしれない。

第1章 4月入社の若者たちが、見え始めるもの


この話を、なぜ今書くのか。

それは、4月に入社した新入社員たちが、ちょうど今─入社から約3ヶ月が経つ頃─「現場のリアル」を見始める時期だからです。

研修の緊張が解け、配属先で実務が回り始めて、最初は目の前のことを覚えるだけで精一杯だった彼ら・彼女らの視野が、ふっと広がるタイミング。

「この会社、この先どうなんだろう」
「自分はここで何を目指すんだろう」

そんな問いが、静かに立ち上がり始める時期です。

一方で、企業の側からは
「採用できても定着しない」
という声が、今年は特に多く聞こえてきます。
厚労省の調査でも、新卒の3年以内離職率はおよそ3割前後で推移しています。
せっかくコストをかけて採った若手が、半年も経たずに離れていく。

「最近の若い人は打たれ弱い」─そう言いたくなる気持ちは、管理職の立場として分からなくもありません。

でも、もしかしたら問題は、若い人たちの側にはないのかもしれません。

第2章 「生活のため」─その先の問い

「何のために働くの?」

この問いに対して、もっとも多く返される答えは、おそらく
「生活のため」
「食べていくため」
でしょう。

これは事実です。
お金がなければ生活できない。
ここを否定する人はほとんどいない。

問題は、その先です。

「生活のために働くのは分かった。でも、なぜそこまで頑張る必要があるの?」

これが、今の若い世代が本当に聞いている問いです。
そして、この問いに答えられる大人が、驚くほど少ない。

なぜか。

かつての日本には、「暗黙の社会契約」とでも呼ぶべきものがありました。
終身雇用、年功序列、退職金。
「石の上にも三年」耐えれば、会社が生活を守ってくれる。
頑張れば昇進し、給料が上がる。

その契約が機能しているあいだは、「なぜ頑張るのか」を言語化する必要がなかったのです。

会社にいれば守られる。頑張れば報われる。
─その前提が、説明の代わりをしてくれていました。


しかし今、その契約は崩れています。
終身雇用は実質的に後退し、成果主義が導入され、転職は当たり前になりました。

若手は「打たれ弱い」のではなく、リターンの見えない頑張りを、合理的に拒絶しているだけなのかもしれません。

第3章 「一本道」の外にある世界


これは、日本固有の「一本道」の構造が生んだ問題なのかもしれません。

日本では、学校を卒業したらすぐに就職する、というのが長く「普通」とされてきました。
卒業式の翌月には入社式。
「なぜ就職するのか」を立ち止まって考える時間は、制度的にも文化的にも、ほとんど用意されていなかった。

一方、イギリスやオーストラリアには「ギャップイヤー」という文化があります。
卒業後に1年ほど、旅をしたり、ボランティアをしたり、まったく違う仕事を試してから進路を決める。
それは「逃げ」ではなく、一つの選択肢として認知されています。

アメリカは「すぐ働く」文化が強いですが、転職が前提なので、「この会社で一生頑張る」ではなく「次に活かすために今ここで経験を積む」という発想が強いように見えます。

誤解のないように言えば、
「海外は自由で日本は不自由」という単純な話ではありません。
アメリカのスタートアップ界隈のハッスルカルチャーは、日本の社畜的な働き方と形は違えど、強度は劣りません。

大事なのは、頑張るか頑張らないかではなく、
「頑張る理由を、誰が、どう言語化できる状態にあるか」という構造の違いです。

日本は長い間、その説明を社会システムに任せてきた。
個人が「私はこういう理由で頑張っている」と言葉にする文化を、育ててこなかったのです。

第4章 私はたぶん、社畜だった


ここで、自分の話に戻ります。

私はかつて、30年以上にわたってITインフラの現場で働いてきました。
サーバやネットワークの構築・管理が主な仕事です。

システムの切り替えやメンテナンスは、ユーザーが使わない休日や深夜に行うのが基本。
月に一度の帰省もままならない単身赴任生活を送っていた時期もあります。

36協定も労働基準法も、名前は知っていました。
でも、現場でそれが重んじられていたかと聞かれれば
─正直、そういう時代ではなかった。
単身赴任で転勤して1人たわった事もあり、仕事現場では、ひたすら新しいシステムを覚え、構築し、管理してきました。

外から見れば、社畜そのものだったと思います。

でも、自分の内側に目を向けると、景色は少し違います。

「がむしゃらだったか?」
と聞かれると、そうでもない。
「頑張っていたか?」
と聞かれると、たぶんそう。

新しいシステムを覚えて構築する仕事は、スキルアップが実感できて、純粋に好きでした。
仕事以外にも趣味はいっぱいあったし、食事を削ってでも遊びにお金を回したい人間でした。
それがすべてではなかった。

つまり、
「会社に人生を捧げていた」わけではなく、「自分なりの優先順位を持って、働く理由を自分の中で選んでいた」
外側の過酷さと、内側の選択は、別のものだったのです。

社畜という一言では片づけられない、曖昧で、複雑で、でも確かに自分のものだったグラデーション。

今のネットには「社畜かFIREか」みたいな極端な話が多いけれど、現実の人生はその間にあります。

─なのに。

冒頭に書いた通り、その複雑さは、一番近くにいた人にすら伝わっていませんでした。

第5章 同じ土俵に、立てなかった


あのエピソードの後、私はブレインストーミングを部下と「同じ土俵で」やろうとしたことがあります。

上から答えを渡すのではなく、一緒に考えたかった。
「なぜこの仕事をしているのか」
「この先どうしたいのか」を、立場を外して話し合いたかった。

でも、うまくいかなかった。

なぜか。

「この人は仕事と勉強しかしていない人だ」というイメージが、部下の中にすでに出来上がっていたからです。

同じ土俵に立つための入口が、開いていなかった。

入口を開けるために必要だったのは、特別な施策でも、上手いファシリテーションでもなく、もっと手前のこと
─自分が何を考え、何を大切にして働いてきたかを、不完全でも正直に見せておくことだったのだと、今なら分かります。


第6章 「何のために学校へ行くの?」


ここで、もう一つの問いに触れさせてください。

子どもに、こう聞かれたことはありませんか。

「何のために学校に行くの?」

「将来のため」「いい学校に入るため」「みんな行ってるから」。

─正直に言えば、私もそのどれかを答えていたと思います。

でも今振り返ると、それは自分自身で検証した答えではなかった。
親や先生から渡された定型文を、次の世代にそのまま横流ししていただけでした。

「いい学校に入るため」
─では、いい学校に入ったら何が保証されるのか。
「将来のため」
─では、その将来とは具体的に何なのか。

こうした「定型文の外側」を、私たちの多くは一度も考えずに大人になりました。

そしてそのまま、職場でも同じことをしています。

「何のために働くの?」
と問う若手に、
「生活のため」「社会人だから」という、自分でも検証していない答えを渡している。

子どもの問いに定型文を返した私たちが、若者の問いに定型文を返しているのは、当然の帰結だったのかもしれません。


第7章 「なぜ私はここにいるのか」を語れない人が、「なぜ君は残らないのか」と聞いている


ここで、もう一つ踏み込みたいことがあります。

「若手が定着しない」と嘆いている管理職に、こう聞いてみたい。

「では、あなた自身は、生活のため以外に、なぜこの会社にいるのですか?」


─おそらく、多くの人が黙ってしまうのではないでしょうか。

あるいは、出てくる答えが
「長くいるから」
「今さら転職するのも」
「ローンがあるし」
だとしたら。

それは「働く理由」ではなく、「辞めない理由」です。

管理職やベテラン社員が、
「生活のため」
以外にこの会社にいる理由を言えないということは、つまり自分の会社の魅力を、自分自身に説明して納得ができていないということです。

自分が良いと思っているところを語れない。
この仕事のここが面白いと伝えられない。
自分がなぜ残っているのか、その理由すら整理できていない。

それで、「なぜ若い子は辞めるんだろう」と首を傾げている。

若手が辞める理由を、私たちは給与や待遇や根性論で説明しようとします。
「最近の若い人は我慢が足りない」
「条件ばかり見ている」と。

でも本当は、もっと手前の問題なのかもしれません。

「私はなぜここにいるのか」
─その答えを持っていない人が、「君はなぜここに残らないのか」と聞いている。

もしそうだとしたら、若手が定着しない理由を探す前に、私たちはまず、「なぜ私はここに残ったのか」
を、自分の言葉で語れるようにならなければならない。

自分が体験した面白さ。
乗り越えた困難。
ここでしか得られなかったもの。
あるいは、「正直、惰性もあった。
でもこの仕事のここだけは好きだった」という、不格好だけれど本当の言葉。

マニュアル化された
「わが社の強み」
ではなく、そうした生の言葉を持っている人がいる場所に、若手は
「もう少しいてみよう」
と思えるのではないでしょうか。

第8章 定型文を手放す


子どもに「何のために学校へ行くの?」と聞かれたとき、私たちは定型文を返した。

若手に「何のために働くの?」と聞かれたとき、私たちはまた定型文を返した。


部下に「この会社のどこがいいんですか?」
と聞かれたとき、きっと、採用サイトに書いてあるような言葉を返した。

もしかすると、答えを持っていなかったのではないのかもしれません。


自分の中には、ちゃんと何かがあった。
好きだったこと、面白かったこと、しんどかったけど残った理由。
スキルアップの実感、趣味のために稼ぐという動機、仕事だけが人生じゃないという本音。

でも、それを自分の言葉にすることを、ずっと避けてきた。

定型文は便利です。
考えなくても済むから。
相手が何を求めているかを想像しなくても、「将来のため」「生活のため」と言っておけば、その場はやり過ごせる。

でも、定型文で渡された答えは、相手の中には残りません。

子どもは「ふーん」と言って、また同じ質問を繰り返す。
若手は黙ってうなずいて、半年後に退職届を出す。

本当に相手に届く言葉は、自分の中から絞り出した言葉だけです。

綺麗でなくても構いません。
矛盾があっても構いません。
「正直、惰性もあった」
「でも、あの一瞬は楽しかった」
─そんな、不格好だけど自分のものとして検証された言葉の方が、借り物の「やりがい」や「成長」よりも、ずっと遠くまで届きます。


第9章 書き換え続ける問い


最後に、正直に書きます。

私も、「何のために働くのか」の完全な答えは、いまだに持っていません。

でも、答えを持っていないことと、答えを探そうとしないことは、まったく別のものです。

「みんなそうだから」という理由だけで頑張れる時代は、終わりました。

だからこそ、今の若い人たちが
「なぜ働くの?」
と問うのは、わがままなのではなく、とても自然で、とても誠実なことなのだと思います。

そして、その問いに向き合うことは
─若手だけでなく、私たちの世代にとっても─
定型文を手放して、自分の言葉を探し始める、一番身近な入口なのかもしれません。

─あなたは、「何のために働いていますか?」

私は、いまだにその問いを、少しずつ書き換えながら生きています。


守ゆめみ

#創作大賞2026#エッセイ部門

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