私たちは、確かにここにいる。声を出さないまま、2年続けている無言勢の一人が思っていること
無言勢としてVRChatを2年過ごしてきました。“声がない”というだけで向けられる言葉の数々と、それでも変わらず見えていた景色を、言葉にしています。
はじめに

私たちは、確かにここにいる。
このnoteは仮想空間でコミュニケーションを楽しむゲーム
"VRChat"を題材にした記事です。
VRChatで“無言勢”というプレイスタイルを選んでから、2年が経ちました。
マイクを使わず、音声によるコミュニケーションを行わないまま。
無言勢とは、あくまで一つの在り方です。
話すことを避けているのではなく、言葉以外の手段で関わろうとする人たち。
そこには個人の事情やスタイルがあり、一括りにはできない多様性があります。
この記事では、2年間無言勢として過ごしてきた経験をもとに、見えてきたことを整理してみます。
特別な出来事ではなく、日常の積み重ねから生まれた視点です。
無言勢であることに迷いがある人や、同じ立場で続けている人に向けて、ひとつの事例として書いていきます。
「喋らないってことは、そこにいる意味あるの?」
「会話しない人とも、一緒にいて大丈夫なんだろうか?」
「話さなくても仲良くなれる?」
そんな問いを受け止めつつ、今の自分の視点を言葉にしてみようと思います。
1.無言勢という存在について

無言勢とは
無言勢とは、非言語でコミュニケーションを取るプレイヤーを指します。
VRChatにおいては、音声チャットを用いず、ジェスチャー・エモート・テキストチャット・ペンによる筆談・手話などを通じて他者と交流するスタイルです。
どの手段を使うか、どこまで表現するかは人それぞれ。
その多様性こそが、無言勢という呼称の本質に近いと言えます。
明確な定義があるわけではなく、自然発生的に広まった言葉として現在に至ります。
無言勢の成り立ち
無言勢というスタイルの起源に、明確な出発点はありません。
初期のVRChatには、現在のようなテキストチャット機能やワールドにペンが標準装備されている環境はありませんでした。
当時は、ジェスチャーのみでやりとりするのが主流でした。
その中で、言葉を使わずに交流するプレイヤーが徐々に現れ、"無言勢"としての在り方が形成されていきます。
今では、非言語コミュニケーションの手段が多様化したことで、無言勢のスタイルもより広がりを見せています。
無言勢の分類について
無言勢には、一つの型では語れない多様な背景があります。
以下は、筆者がこれまでの交流や観察から見出した分類の一例です。
環境的無言勢
家庭環境や使用機器の都合で、音声を使わない/使えない人たち。先天的・後天的無言勢
難聴など身体的な理由でボイスチャットを使用せず、手話などを用いて意思を伝える人たち。選択的無言勢
自らの意思で「声を出さない」というスタイルを選び、非言語の手段を中心に交流する人たち。行動的無言勢
状況や体調によってボイスチャットを使い分けるスタイル。風邪などの一時的事情も含まれます。非能動的無言勢
言語・非言語にかかわらず、コミュニケーション自体を行わない(または最小限にとどめる)人たち。
この分類はあくまで一つの視点であり、明確な線引きが存在するわけではありません。
プレイヤーごとに複数の要素を持ち合わせている場合もあり、状況によって変化することも珍しくありません。
筆者自身はこの中の選択的無言勢に該当します。
声を出さずに関わることを、自分なりに選び取りました。
その体験や、他の方のエピソードを次章で軽く説明していきます。
2.無言勢としての始まり

無言勢を始めたのは、ただの運
当初、筆者はVR音楽ゲームを楽しむためにVR機器を購入しました。
満足するまで遊んだあと、偶然目に入ったアプリがVRChatでした。
特に深く考えることなくログインし、最初に訪れたのは、海外の子どもたちが賑やかに騒ぐパブリックワールド。
思うように動けず、空気にも馴染めず、静かな場所を求めてチュートリアルワールドへ移動しました。
そのワールドでは、壁に向かって無言で立っているプレイヤーが多く、独特な空気感が漂っていました。
そんな中、初心者案内をしていたグループの方が筆者に声をかけてくれました。
その中のひとりが、こちらから読めるように文字を綴ってくれたのです。
声を使わず、それでも確かに気持ちが伝わってくる。
その瞬間、非言語でのやりとりに強く惹かれたことを覚えています。
ちょうど、家庭内の環境音が入ることを避けたいとも考えていたため、自然とそのスタイルに関心が向いていきました。
非言語の交流が「自分のスタイル」になっていくまで
最初の頃は、音声で話すこともありました。
けれど、ペンで筆談することに慣れていく中で、徐々に音声を使わないスタイルが定着していきました。
活動の中で目に留まったのが、「鏡文字練習会」というイベントです。
反転させて文字を書く技術を学ぶ場で、筆者も早い段階で参加しました。
当時はペンがないワールドも多く、対応できるようにアバターにペンを組み込む作業にも挑戦していました。
うまくいかないことばかりでしたが、それも含めて楽しさがありました。
その頃から少しずつ、周囲のトラブルやすれ違いを耳にするようになってきました。
リアルでも“言葉の使い方”に悩んだ経験があったため、非言語でのコミュニケーションがストレスを和らげる手段になると感じるようになりました。
運よく、無言勢に理解のある人たちに囲まれていたこともあり、このスタイルで過ごすことが自然な選択になっていきました。
そうした経験を通して、筆者は初めてNoteに記事を投稿しました。
タイトルは
「ボイチャ会話が苦手な方!“無言勢”始めてみませんか?」
選択的無言勢としての視点を、提案として共有したいという思いが、その記事の出発点でした。
無言勢はプレイスタイルのひとつ
無言勢の在り方は一様ではありません。
誰かに誘われて始めた人。音声が使えない事情があった人。自分のペースを大切にしたい人。
その背景には、それぞれの理由があります。
言ってしまえば、ボイスチャットを使う人たちと同じように、
喜び、悲しみ、分かち合いながらVRChatに存在している人たちです。
忘れられない、ひとつの出会い
ある日のこと、パブリックワールドで軽く手を振ると、ひとりの無言勢の方が静かに筆者の近くまで歩いてきました。
そして背を向けて立ち、ゆっくりと空中に、こちらから読める向きで丁寧に文字を書き始めたのです。
「今日は、はじめて人に話しかけました」
と書かれていました。
それが無言勢になったばかりの人だったのか、もともとそうだったのかは分かりません。
ただ、その一文に込められた意志と選択の重みが、静かに伝わってきました。
筆者自身はステータスに「無言勢」と書いていることがあるため、それを見て決心したのかもしれません。
それまで誰かを待っていたのか、あるいは賑やかな空間の中で、ずっとひとりだったのか。
可愛らしいアバターでありながら、どこか寂しさがにじんでいたのが印象に残っています。
無言勢というスタイルが、「正しいかどうか」ではなく、
「選べるかどうか」という観点で尊重されるべきものだと、筆者は今では確信しています。
それは、こうした出会いを重ねてきたからこそ得られた考えです。
3.無言勢にまつわる言葉たち

無言勢というスタイルは、VRChatにおけるひとつのプレイスタイルにすぎません。
けれど、なぜかその在り方にはさまざまな「言葉」が投げかけられがちです。
「喋らないなら来るな」
「何を考えているか分からない」
「撫でても怒られないでしょ?」
「結局、無言勢って人権ないよね」
「無言勢は声出してね」
SNSやパブリックの場、あるいはイベントでの一場面など。
そうした言葉のいくつかは、無言勢として長く活動していると、少なからず目や耳に入ってきます。
それらの言葉には、誤解や思い込み、時には悪意すら含まれていることもあります。
ただ、それと同時に、「なぜそう言われるのか」「どこにズレがあるのか」を整理することで、無言勢というスタイルへの理解も深まっていくはずです。
この章では、実際によく語られる言葉をいくつか取り上げながら、無言勢としての立場から考えていることをまとめていきます。
否定ではなく、解釈でもなく、ひとつの視点として。
3.1 『VRChatは話すところです』───違います。
「VRChatは喋るのが前提の場所」
「話さないなら来る意味がない」
そんな言葉をときどき見かけます。
まるで、無言勢がいること自体が“場にそぐわない”ような扱いをされる瞬間があります。
こうした発言の背景には、たしかにある種の文脈があります。
多くの場合、その言葉が向けられているのは非能動的無言勢。
つまり、挨拶も返さず、ジェスチャーもせず、完全に静止している、いわゆる「地蔵」としてそこにいる人たちのことです。
非能動的無言勢の方は、交流したいという前提ではなく、傍観したいという方が基本ベースです。その人たちとボイスチャットで交流が取りたい人、明確にすれ違うのが容易に想像できるでしょう。
ですが、X(旧Twitter)やボイスチャット上ではその前提が省略されて発信されることがほとんどです。
その結果、「無言勢」という言葉そのものにネガティブなレッテルが貼られるようになってしまっているのが現状です。
筆者もかつて、とあるアバターイベントのスタッフのBio(プロフィール)に「無言はNGです。私は話すために来ています。」という一文を見かけたことがあります。
それ以降、そのイベントには足を運べなくなりました。
明確な意思表示は尊重されるべきものです。
けれど、無言勢の中にも積極的に関わろうとしている人がいることを想像できない説明文には、正直なところ視野の狭さを感じます。
“話すために来ている”という姿勢は理解できますが、それを「無言=交流不可」と短絡的に結びつけてしまうのは、結果的に自らの活動の幅を狭めることにも繋がっていくのではないでしょうか。
VRChatは、喋る人だけの場所ではありません。
無言であっても、関わりたいという気持ちを持っている人はいます。
非言語であっても、その場にいて、一緒の空気を感じようとしている人もいます。
そうした人たちが“見えなくなる”ような言葉を、当たり前のように使ってしまっていないか。
その点に少し立ち止まってみるだけで、見えるものは変わるはずです。
3.2 『無言勢は人権がない』───本気で言ってる?
この言葉には、複雑な歴史があります。
元々は「デスクトップ無言勢は人権がない」といった、X上に投稿された誤ったノウハウ的な言説が発端でした。
それは明らかに偏見に満ちた内容で、多くの反発が寄せられた一方で、「よく言った」「正論」といった無責任な反応も目立ちました。
そして、時を経た現在。
この言葉を最も多く使っているのは、他ならぬ“無言勢自身”です。
「無言勢だから相手にされなかった」
「自分は無言勢だから仕方ない」
そうした言葉が、自嘲として語られるようになっていきました。
けれど、そこで立ち止まって考えてみたいのです。
それは本当に“無言勢だったから”なのか?
努力や工夫をする前に、無言勢であることを理由に諦めてしまっていないか。
自分の孤立やうまくいかなかった経験を、“スタイル”のせいにして他責にしていないか。
筆者自身は、無言勢に人権がないと思ったことは一度もありません。
たしかに、私は恵まれていたのかもしれません。
けれどそれ以上に、無言であっても“どう関わるか”を模索し続けてきたつもりです。
そもそも「人権」という言葉は、本来、先人たちが血で贖い、獲得してきたものです。
誰かの言葉に傷つき、それでも声を上げてきた人たちがいたからこそ、今の自由があります。
それを「喋らないから人権がない」と、何の行動もせずに放棄してしまうことが、果たして正しい選択でしょうか。
声を出している人たちだって、同じです。
彼らもまた、失敗や傷を受けながら、それでも人と関わろうとしています。
その積み重ねのうえで、居場所や関係性を築いています。
“喋らない”という選択は、逃げ道ではありません。
それを選んだ上で、どう立ち回るか、どう表現していくか。
その先にある姿勢こそが、無言勢としての“人間関係”を築く鍵だと私は願っています。
3.3 『何考えてんのか分からない』───本音だけがすべてじゃない
「無言勢って本当に苦手」
「何を考えているのか分からないから怖い」
こういった言葉を目にすることがあります。
けれど、それは本当に“無言”だから起きる問題なのでしょうか。
多くの場合、こうした印象は、非言語的な表現がまったく伴っていないケースに基づいています。
たとえば、表情が変わらず、テキストチャットだけでやり取りをする無言勢と接して、何となく居心地が悪かった。
その経験が“無言勢=わからない存在”という先入観に繋がっていることが多いのではないかと感じています。
筆者自身も、かつてそのような感覚を持つ人と出会ったことがあります。
けれど、その価値観が変わったのは、会話特化ワールド「NAGiSA」でのやり取りがきっかけでした。
その場では、無言勢であってもジェスチャーやエモート、筆談といった非言語表現を積極的に使っていました。
筆者は普段、鏡文字を使った筆談スタイルなので、それだけで少し目立つ側面もありますが、
それ以上に意識していたのは、「伝えようとする姿勢」をちゃんと見せることです。
相手がボイスチャットの人であっても、身振り手振りを添えて反応する。
たとえデスクトップ操作で手が動かせなくても、表情の切り替えや頷きだけでも気持ちは伝わります。
これはテクニックの話ではありません。
“何を考えているか分からない”と言われるのは、単にリアクションが少ないからであって、
逆に言えば、そこに少しでも「反応しよう」という意志が見えれば、印象は大きく変わります。
……とはいえ、すべての人と分かり合えるわけではありません。
体感的に、2割くらいは話が合わない相手がいるのは覚悟しています。
でも、それは無言勢だからという理由ではなく、プレイスタイルや価値観の相違でしかありません。
声がないと分からない。
そうではありません。
“伝える姿勢がないと、伝わらない”ということなのだと思います。
3.4 『無言勢は撫でていい』───リアルでもそうするの?
「無言勢は撫でても大丈夫」
「喋らないし、癒し枠でしょ?」
そんな言葉を見かけることがあります。
とくに、小動物系や中性的なアバターを使っているプレイヤーに対して、“黙っている”ことを理由に一方的なコミュニケーションを仕掛ける人も少なくありません。
もちろん、撫でられることを楽しんでいる人もいます。
自ら“癒し系”や“マスコット的な存在”を演出している無言勢もいます。
けれど、それはあくまでその人個人のスタイルとして選んでいることであり、
「無言勢=撫でても大丈夫」という等式は成り立ちません。
筆者は、プロフィールに“接触NG”と書いているわけではありません。
ですが、無断で近づかれたり触れられたりした際には、やんわりと距離を取り、相手に伝えるようにしています。
心地よい距離感というのは、人によって違うものです。
それを無視して“無言だから反応しないだろう”という前提で接してくる行為には、やはり違和感があります。
なかには、そういった消費的な扱いを避けるために、あえて険のあるデザインのアバターを選んでいる人もいます。
見た目の印象で“触れていい存在かどうか”を判断されることに対して、慎重にならざるを得ない現実があるのです。
「リアルじゃないから、何をしても許される」
そう考えてしまう人もいるかもしれません。
ですが、VRだからこそ、リアルの対人マナーを持ち込む意識が必要です。
アバターがどれだけ可愛かったり、煽情的な見た目であったとしても、
同意なく触れることは痴漢行為と変わりありません。
“触れてもいいかどうか”
それは、相手の同意があって初めて成立するものです。
無言勢であっても、感情があり、意志があります。
その存在を“癒し”として消費するのではなく、一人の人間として尊重すること。
それが、穏やかで心地よい空間をつくる第一歩だと、私は思います。
3.5 『声出ししてね』───それ、誰にでも言っていい言葉?
無言勢として活動していると、ときどき言われる言葉があります。
「声出ししてね」
「いつか喋ってくれるの、楽しみにしてるよ」
「声、聞きたいな」
これらの言葉は、多くの場合、好意や親しみを込めた表現として使われます。
無言勢と仲良くなった人が、もっと距離を縮めたい、もっと知りたいと思った結果として出る言葉。
その気持ちは決して否定されるべきものではありません。
ただ、それでもあえて言いたいことがあります。
その言葉は、すべての無言勢に対して“言っていい言葉”ではありません。
環境的に声を出せない人。
行動的に、その日その時だけ喋れない人。
先天的・後天的に声を使ったやり取りができない人。
そして、選択的に声を出さないというプレイスタイルを選んでいる人。
無言勢の中には、“喋らないこと”自体が前提であり、選択であり、ある種の安心材料になっている人もいます。
その人たちにとって「声出ししてね」という言葉は、たとえ善意であっても、自分のスタイルや存在の一部を否定されたように感じることもあるのです。
本人の中で、「いつか話すかも」と思っているならまだしも、まったくその予定がない人にとっては、断りづらいプレッシャーになることもあります。
無言であることは、関わらない意思ではありません。
声がないからといって、関係を深められないわけでもありません。
だからこそ、「声出ししてね」はその人の背景や立場を理解したうえでの言葉であってほしいと思います。
声を出さなくてもできる関わり方はたくさんあります。
それを信じてくれることこそ、無言勢にとっては何よりの安心材料になるのです。
語られる言葉の裏側に
無言勢というスタイルに向けられる言葉には、さまざまな背景があります。
中には実際の経験に基づいた意見もあるし、悪意のない言葉もある。
けれど、どの言葉も、そのまま鵜呑みにしてしまえば、誰かの選択や存在を傷つけることがあるということを忘れてはいけません。
「喋らないなら来るな」
「人権がない」
「何を考えてるか分からない」
「撫でてもいい存在でしょ?」
「声出ししてね」
これらの言葉は、ほんの少し視点を変えるだけで、全く違った意味を持つようになります。
無言勢は、ただ喋らない人ではありません。
声の代わりに、他の手段で関わろうとする人たちです。
そしてその関わり方は、本人の事情や価値観によって異なります。
相手のスタイルや立場を尊重すること。
わからないことに、決めつけではなく、「どうすれば分かり合えるか」を考えること。
それが、VRChatという場所の多様さを守っていく一歩になると私は思っています。
“声がないこと”を理由に、誰かを語らないでほしい。
“静かであること”に、意味がないと思わないでほしい。
言葉の外にも、ちゃんと人がいる。
そのことを、これを読んでくれたあなたにも、そっと伝えておきたいと思います。
4.ここに、ちゃんといるよ。

「無言勢」という言葉に、特別な意味を持たせたがる人は多いかもしれません。
けれど、筆者にとっては、それはただの“プレイスタイルのひとつ”です。
ボイスチャットを使う人がいるように、無言で過ごす人がいる。
それだけのことです。
何かを諦めているわけでも、なにかを主張しているわけでもありません。
自分が快適で、自分らしくいられる方法を選んでいるだけです。
だからこそ、「どこで」「どう過ごすか」も、ひとくくりにはできません。
その人がどうしたいのか、どんな関わり方を求めているのか。
その違いによって、選ぶ場所も、関わり方もまったく変わってきます。
この章では、無言勢というスタイルを前提に、どう自分らしい場を選び、どう過ごしていくかについて、いくつかの観点から整理していきます。
4.1 居心地のいい場所を見つけるために
無言勢としてVRChatを過ごす中で、「ここは居やすいな」と思える場所に出会えるかどうかは、とても大切なことです。
それは単に静かであることとは違います。
“喋らなくても自然に存在できる空気”があるかどうか。
それが、長く続けていくうえでの安心材料になります。
たとえば、筆者がとても好きな場所の一つにJapan Talk Roomというワールドがあります。ここでは比較的治安よく、無言勢であってもいられる雰囲気と、挨拶をする習慣があるワールドです。
そうした場は、決して多くはありません。
けれど、自分のペースで関われる場所は確実に存在します。
また、筆者自身はフレンドの空間が最も居心地のいい場所だと感じています。
喋らなくても、筆談が遅くても、「それが当たり前」として受け止めてくれる人たち。
そうした関係性が育っていくと、「何かを頑張らなければならない」場所ではなく、「自然体でいられる」場所になっていきます。
さらに、無言勢による接客イベントも最近では多く開催されています。
それらはイベントカレンダーなどで確認できますが、筆談が中心となるため、どれだけやり取りに時間がかかっても、その大変さを理解している人たちが集まっているという安心感があります。
筆者は、そういった無言勢イベントの多くに実際に足を運んできました。
そこには、喋らないことを前提にしながらも、“ちゃんと関わろう”という気持ちが交差している独特の温度感があります。
無言勢にとっての“居場所”は、自分のペースで見つけていくものです。
喋らなくても、そこにいていい。
そう思える場と人との出会いが、続けていく力になります。
4.2 関わり方には“選択肢”がある
無言勢というスタイルをとっているからといって、誰もが同じように関わり、同じように振る舞っているわけではありません。
たとえば、誰かとじっくり筆談で対話をしたい人もいれば、遠巻きに様子を見ていたい人もいます。
ちょこちょこと頷いたり、>∀<顔で拍手したり、ちょっとしたジェスチャーだけで交流することが好きな人もいれば、特定の相手とは深く関わってボイスチャットで話すけれど、それ以外にはあまり自分を出さない人もいます。
筆者自身は、筆談が中心のスタイルですが、相手や場によって振る舞いや言葉遣い・関わり方を変えることもあります。
その時々の場の雰囲気、相手のスタンスに合わせて、手振りや表情、あるいはその場の空気を読むように、少し距離を置いた存在になることもあります。
ここで大切なのは、「無言勢だから関わり方が限られている」と思い込まないことです。
喋らないからといって、関係の築き方に制限があるわけではありません。
逆に言えば、「無言勢だからこうすべき」という決まりもありません。
“喋らないまま、どう関わるか”は、自分で選べるということ。
声を使わない分、表現や関係性の持ち方には自由さがあるとも言えるかもしれません。
そして、誰かと関わることそのものが負担になるような時期もあります。
そんなときは無理をせず、ただワールドの隅で空気を感じているだけでもいい。
“そこにいる”ということも、立派な関わり方のひとつです。
無言勢としての関わり方には、ひとつの正解はありません。
大切なのは、自分が「どうありたいか」を少しずつ見つけていくことです。
それができる環境と人に出会えたとき、無言でも、しっかりと繋がる感覚が生まれてくるはずです。
4.3 “自分なりの関わり方”を育てていく
無言勢として過ごしていく中で、最初は「何をすればいいのかわからない」と感じることもあるかもしれません。
けれど、無理に特別な技術を身につける必要はありません。
大事なのは、自分にとって自然な形で“関わろうとする気持ち”を少しずつ育てていくことです。
筆者の場合は、鏡文字による筆談というスタイルを選びました。
少しユニークな方法ではありますが、結局ただのひとつの手段にすぎません。
他にも、身振り手振りを交えたり、表情を変えて気持ちを表現したり、アバターの動きを活用したり。
声を使わずとも、伝える方法はたくさんあります。
たとえば、VRChatではデスクトップ操作でも、Shift+F1〜F8で表情を切り替えることができます。
少し首を傾けて頷いたり、絵文字で拍手したり、喜びや驚きを伝えるモーションを使うことで、会話がなくても“感情のやり取り”はできます。
また、プロフィールに自分のスタイルや考えを書いておくことも、立派なコミュニケーションです。
「筆談中心です」
「ゆっくり反応します」
そういった一文だけでも、相手に安心感を与えることができます。
最初から上手くできなくても大丈夫です。
タイミングが合わなかったり、伝えたいことがうまく伝わらなかったりすることもあるでしょう。
けれど、そういったひとつひとつの経験の中で、自分に合ったやり方が自然と身についていくものです。
そして気づけば、それが“自分なりの関わり方”になっている。
無言勢というスタイルは、何かを諦める選択ではなく、関わる方法を選び直す自由でもあるのです。
声がなくても、自分の居場所はつくれる
無言勢として過ごすVRChatは、とても静かで、とても自由な世界です。
喋らないことは、ただのスタイルのひとつに過ぎません。
けれどそのスタイルの中にも、どこにいて、誰と、どう関わるかという無数の選択肢があります。
自分が居心地のいいと感じられる場所。
喋らないことを前提に、安心して過ごせる人たち。
そして、自分のペースで、表現や関係性を育てていける環境。
無言勢であることは、誰かと違うことではなく、自分らしく在るための選択です。
声がないからこそ、丁寧に向き合える関係がある。
言葉を持たないからこそ、見えてくる繋がり方がある。
喋らなくても、ここにいる。
何も言わなくても、ちゃんと感じている。
無言勢という静かなスタイルの中で、自分にとっての居場所をゆっくりと育てていくこと。
それが、声のない私たちにとっての、ひとつの“関わり方”なのかもしれません。
おわりに

さて、私はVRChatを2年以上やってきましたが、他の方以上に特別な体験をしてきた訳ではないと思います。
それでも少しずつ、自分のやり方・ペースで無言勢としてログインしてきました。たった、それだけの話なのです。
こうやってたまたま文章にすることが苦ではない能力が備わっていて、少し人の後押しになれたらいいなと思って綴ってきています。
その分、色々と心のない言葉も、暖かい励ましの言葉も、ちょっとずつ、ほんのちょっとずつ他の人から貰ってきました。
別に理解してほしいとか、わかってほしいとか、そんな殊勝な願いを持ってここまでやってきたわけではないのにも関わらず。
静かに立って、手を振って、筆談して、それで人と繋がって、
そんな日々を2年も続けてこれたのは、運もあったし、人にも恵まれたんでしょう。
だけどそれ以上に、私は無言勢として“ここにいたい”って、ずっと思ってたんだと思います。
これからもたぶん、変わらずペンで綴っているのでしょう。
変わらず、鏡文字を書いて、変わらず、そっと誰かの近くにいると思います。
最後に。
無言勢という在り方に悩んでいるあなたや、無言勢に寄り添いたいと思ってくれているあなた。
無言勢の全てを肯定してほしいわけではないのです。
人によって相性も好きも嫌いもあります。
だから、無言勢というカテゴリだけで切り分けないで、一人の人として見てもらえるよう私やあなたが一緒に努力する未来がこの先あることを心から願っているのです。
この文章が、誰かにとって、「あ、これでいいのかも」と思えるひとつのヒントになったら幸いです。
よろしければスキを押していただけると今後の励みになりますので、是非記事が良かったと思ってくださったら押下と励みのコメントをお願いします。
