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「汗が敵」から「体の声」へ。7年つきあってわかったこと

代償性発汗と付き合い始めて7年

代償性発汗と向き合い始めたのは、今から7年前。

それは、ふとしたきっかけから始まった。気づかないうちに背中の汗が増えていて。鏡を見るたびに汗の跡を確認して。「また、出ちゃった」。そんな監視が毎日。

やがて、汗が「体の反応」ではなく「症状」になった。敵になった。

背中から流れる汗が、自分の弱さの証のように感じて。ノースリーブなんて絶対に着られない。人前でも、仕事中でも、常に「汗をかいていないか」を監視している自分がいた。

その監視の目は、睡眠にも。食事にも。人間関係にも、ジワジワと侵食していった。


「汗が症状」から「体の反応」に変わるまで

どうやってそれが変わったのか。はっきりとした「ここが転機」という瞬間を、私は覚えていない。

でも、気づいたらそれは少しずつ変わっていたんだと思う。

水島広子先生の本をたくさん読んで。心理学を学んで。「汗をかいている自分」を責めるのをやめて。「汗が出るのは、体が何かを教えてくれているんじゃないか」という考え方に変わったのかもしれない。

汗は敵じゃなくて、「ここが大事ですよ」って教えてくれるメッセージなんだと思えるようになったら、監視の目が少しだけ緩んだ。


「忘れていた」という感覚

水曜の午後。

仕事に夢中になっていたわけじゃない。誰かに褒められたわけでもない。ただ、ふと気づいたら、汗のことを考えていなかった。

背中も脇も乾いたままだし、それも普通の「体の状態」として受け入れられていた。

「あ、今日、汗をかいてないな」

その気づきが、昔の私だったら「ラッキー」とか「今日は大丈夫だ」とか、結果を喜んでいたはずだった。でも今は、ただそれが「そういうこともあるね」という感覚で処理されていた。

連休中のことはもう思い出さない。あの頃の苦しさ。あの頃の自分への責め方。

そういったことが、大事な情報ではあるけれど、常に心の中にあるわけではなくなった、ということなんだと思う。


「汗が症状」か「体の反応」か、その違い

正直に言えば、汗が完全になくなったわけじゃない。たまに、ふと出ることもある。

でもそのとき、昔みたいに「あ、また症状が出た」って自分を責めることがなくなった。

代わりに思うのは、「あ、そっか。何か気になることがあるのかな」とか、「今日は疲れているのかもな」とか。汗を一つの「信号」として聞こえてくるようになった。

その違いは小さいようで大きい。

汗は同じなのに。背中から流れる一滴は同じなのに。

それを「症状」と呼ぶか「体の反応」と呼ぶか。その名前一つで、その後の私の一日が変わるんだと気づいた。


こんな人にオススメです

代償性発汗で悩んでいる人。汗が「敵」に見えている人。背中の汗の跡を見るたびに、自分を責めている人。

汗をかかないことで自分の価値が決まると思っている人。常に「汗をコントロールしなきゃ」という圧力の中にいる人。

それから、「完璧な体」を目指して頑張りすぎていた昔の自分を思い出した人にも。


こんな人には向いていません

この記事は、医療的なアドバイスではありません。心身の不調が続く場合は、医師・専門家にご相談ください。

代償性発汗の医学的な治療法を知りたい方。症状を完全になくしたい方。すぐに改善する方法を探している方には、向いていません。


⚠️ この記事は医療的なアドバイスではありません。心身の不調を感じる場合は、医師・専門家にご相談ください。筆者の経験をもとにした個人の記録です。


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