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大学教員シングルマザー子育て18年 #10保育園の先生たちに支えられて―子どもを預けることは、親も支えられることだった―

前回の心理学コラムでは、家庭環境や居場所のなさが、子どもや若者の学びにどのような影響を及ぼすのかについて書いた。その中で、子どもが学びに向かうためには、安心できる場所や、支えてくれる大人の存在が大切だと整理した。

その文章を書きながら、ふと思い出していたのが、息子が保育園に通っていた頃の先生たちのことだった。保育園の先生たちは、息子にとって、毎日安心して過ごせる場所をつくってくれる大人だった。
そして同時に、ひとりで子育てをしていた私にとっても、大きな支えだった。だから今回は、保育園の先生たちへの感謝を書いてみたい。


毎日の生活の中にあった支え

けれど、いざ書こうとすると、具体的な出来事がすぐには思い浮かばなかった。たぶんそれは、先生たちの支えが、特別な出来事としてではなく、毎日の生活の中にあったからなのだと思う。

朝、息子を保育園に連れて行く。
先生に息子を引き渡す。
私はそこから職場へ向かう。

夕方、仕事を終えて迎えに行く。
その日あったことを少し聞いて、息子と一緒に家に帰る。その繰り返しがあったから、私は仕事を続けることができた。

保育園の園庭(当時)

私が見られない時間を、見てくれていた

ひとりで子育てをしていると、自分だけで全部見ていかなければならないような気持ちになるが、親である私が見られない時間が、毎日たくさんあった。その時間を、保育園の先生たちは見てくれていた。先生たちは、私の知らない息子の姿を、日々見守ってくれていた。

保育園は、子どもを預ける場所である。けれど、今振り返ると、それは親である私が支えられる場所でもあった。

毎朝、安心して息子を預けられる場所があること。
息子の名前を呼び、迎えてくれる大人がいること。
私以外にも、息子の成長を見てくれる人たちがいること。それは、当時の私にとって、どれほど大きな支えだっただろうと思う。

ただその日を終えることに必死で、先生たちに十分に感謝を伝える余裕はなかったかもしれない。けれど、保育園の先生たちがいてくれたから、私は働くことができた。研究を続けることができた。
息子と二人の生活を、何とか続けていくことができた。

園庭の大きな松の木で木のぼり

十年後に再会した園長先生

卒園してから、十年ほど経った頃のことだった。偶然、当時の園長先生が、私の勤務している大学の短期大学部で、非常勤講師をされることになった。週に一度、大学にいらっしゃっていたらしい。
私に、会いに行きたいと思ってくださっていたそうだ。
けれど、仕事の邪魔をしてはいけないと思い、なかなか訪ねることができなかったらしい。

ある二月の日、学内で偶然、その園長先生にお会いした。私の顔を見ると、先生はとても喜んでくださった。

「会いに行こうと思っていたけれど、お仕事の邪魔をするといけないと思って行けなかった。会いたかった!」

そう言って、涙ぐんでくださった。そして、私にこう言ってくださった。

「本当に、愛情深いお母さんだった」

私のことも、見ていてくださった

その言葉を聞いたとき、私は胸がいっぱいになった。当時の私は、自分がちゃんと母親をできているのか、いつもどこか不安だった。
仕事をしながら、ひとりで子どもを育てることに必死で、余裕のある母親ではなかったと思う。

それでも、保育園の先生は、あの頃の私をそう見ていてくださった。

息子を見てくれていただけではない。
私のことも、見ていてくださったのだと思った。

子どもを一緒に見てくれる人と出会うこと。
親だけでは抱えきれない時間を、誰かと分け合うこと。
そして、親自身も支えられること。

保育園の先生たちは、息子の幼い日々を支えてくれた。
そして同時に、母親になって間もない私のことも、静かに支えてくれていた。

そのことに、今あらためて感謝している。

素敵だった卒園式

今後も、子育て18年の記録、心理学にたどり着くまでの歩み、心理学コラムを通して、書き残しておきたいことを一つずつ綴っていきたいと思います。