善意の沼──貧困支援NPOという装置

支援という名の聖域

貧困を支援する人たちは、いつも清らかだ。
少なくとも、そう見えるようにできている。

行政の委託を受け、休眠預金を使い、クラウドファンディングを立ち上げる。
ポスターには「つながり」「伴走」「寄り添う」の文字が並ぶ。
どれも悪くない。
むしろ正しい。

だが、あまりにも「正しいこと」を掲げすぎると、
その中で起こる“歪み”を誰も指摘できなくなる。

——「いいことをしている人」は、批判されない。

地方の会議室で、そんな空気を何度も嗅いだ。
助成金の報告会では、拍手が起こる。
「素晴らしい取り組みですね」「行政としても勉強になります」
そう言って満足そうに頷く職員の表情には、安心と倦怠が同居していた。

その拍手の裏で、支援を“受ける側”の人々はどうしているのか。
多くは黙っている。
支援を受け続けるには、支援者を批判してはいけないからだ。

「文句を言ったら、次の支援は回ってこない」
——そんな力学が、見えないところで支配している。

支援は、本来は“自由”を取り戻すためのものだ。
だが、いつの間にか“従順”を求めるものに変わっていく。
寄付金は流れ、SNSには「支え合いの輪」が拡がる。
そのやさしさの循環の中で、
“支えられる側”がいつまでも支えられたままでいることが、
当然のように仕組まれていく。

誰も悪くない。
だからこそ、誰も責任を取らない。


「かわいそう」をビジネスにする

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