子どもが自宅の駐車場で動かない朝、あなたならどうする?――世間の正解と、私が選んだ正解――
雨がしとしと降っていた朝のこと。
娘と一緒に家を出て、いつも通り車に乗ろうとしたとき、
娘がナメクジを見つけてしゃがみこんだ。
ヌメヌメと、ゆっくり動いたり止まったりしながら進むナメクジ。
娘は目を輝かせて、じっと見つめている。
「ゆっくりだね〜」とナメクジに話しかけながら。
最初は少しだけ付き合うつもりだった。
でも5分、10分、20分……。
娘はまったく動こうとしなかった。
「そろそろ行こうか?」
何度か声をかけた。だけど、娘はナメクジから目を離さない。
その姿を見ながら、私はだんだん焦っていった。
このままじゃ遅刻してしまう。
だけど無理に連れて行こうとすれば、娘は不機嫌になり、私もイライラする。
それは過去に何度も経験していた。
「なんでこんなに焦っているんだろう」
ふと、自分に問いかけた。
なぜこんなにも、焦っているのか。
なぜこんなにもイライラしているのか。
それは――
“遅刻する自分”が許せなかったからだ。
自己管理ができていない。
仕事も育児も中途半端。
そんなふうに思われるのが怖かった。
世間には、はっきりとした“正解”があるように感じていた。
「遅刻はダメ」
「子どもに振り回される親はだらしない」
「時間通りに行動するのが常識」
そんな“正しさ”が、自分の中にも染みついていたのだと思う。
行き渋りは、玄関だけじゃない
うちの娘は、よく立ち止まる。
玄関の前で動かない日もあれば、
保育園の門をくぐってから、地面の砂や石に夢中になって進まないこともある。
一見なんでもない行動だけど、親にとっては子どもが歩みを止めるたび“判断”を迫られる。
待つのか、急かすのか。
付き合うのか、引っ張るのか。
正しい対応があるような気がして、心が揺れる。
それでも私は、立ち止まることを選んだ
以前、同じように遅れることがあり、
職場の人に「行き渋りがあって…」と話したことがある。
そのとき言ってもらった言葉が、ずっと心に残っていた。
「うちもそうだったよ」
「親として頑張ってるのはわかるから」
「仕事はいつでもできるけど、子どもとのそういう時間は今しかないよ」
「早めに連絡くれれば大丈夫」
そのやさしさに、私は救われた。
だから私は、今回思い切って連絡した。
「すみません、今日は1時間ほど遅れます」と。
不思議と、焦りはすっと引いていった。
娘と一緒に今その瞬間を味わう
連絡を終えて、娘の隣にしゃがむ。
「ヌメヌメしてるね」
「動き、ゆっくりだね」
「家族はいるのかな〜」
そんなふうに話しながら、一緒にナメクジを見つめた。
娘は満足そうに笑っていた。
職場には申し訳ない気持ちもあったけれど、
「この時間があってよかった」と心から思えた。
世間の正解と、私の選択
世間の正解と、私が出す正解には、これからもズレが出ることがあるだろう。
だけど私は、自分の選択を、自分で正解にしていきたい。
それがたとえ“普通”じゃなくても、
他人から見て“ちゃんとしていない”ように見えても、
自分の気持ちに嘘をつかずに選んだことなら、
後悔しないように向き合っていきたい。
おわりに
子どもが動かない朝、あなたならどうしますか?
もし迷ったら、こう問いかけてみてください。
「世間の正解」ではなく、「わたしは、どうしたい?」と。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
あなたの一日が素晴らしいものでありますように。
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