帰ってきた目黒組とnoteでの活動
1.はじめに
目黒組が帰ってきたというけど、何か活動しているんですか。
当然の疑問である。
目黒組は姿を今風に変えて、noteクリエイター大庭幸生として、活動再開している。
今回の話では、過去から現在のクロスメディアな活動につながる経緯を紐解いていく。
一人の人間の人生には、必ず、その後の活動につながる伏線がある。
2026年4月に筆者は自分の過去の青春時代、特に早稲田大学理工学部で過ごした日々を振り返って「帰ってきた目黒組」という記事をnoteに投稿した。
この時はまだ、自分が、noteクリエイターとして、クロスメディアで情報発信することなど、考えてもいなかった。
2.起爆剤
私の怒りのマグマが大爆発したのは、2026年4月末に、リビングルームのシーリングライトが故障して、暗闇での生活を強いられて、交換用のシーリングライトをアマゾンで購入した時だった。
故障して生活に支障が出ているから至急の注文だったのに、当時使い始めたばかりのアマゾンプライムマスターカード(三井住友銀行の提携カード)が18,000円の決済を「不正利用」と勝手に決めつけて否認されて、注文が通らない。
人が急いでいるのに、フィンテックAIテクノロジーの向こう側で、ふんぞり返っているメガバンクが許せなかった。
アマゾンと三井住友カードのサポートデスクに直ぐにコールして、どういうことかと問いただし、再発防止を求めたが、回答は無かった。
人生で最低のカスタマー体験をさせられたことに、私の怒りのマグマは大爆発した。ライフハック記事「行きすぎたフィンテックの悪夢」を書いたのは、この時だった。
あまりに怒っていたので、ハッピーロード大山商店街の路上で、仁王立ちして、iPhone17片手に一気に書き上げた記事だった。
これがきっかけとなって、筆者は自分の生活体験を記事にして、包み隠さず、情報発信するようになり、今に至る。2026年5月から8月までの4ヶ月で140本の記事を直筆で執筆・投稿していた。
3.原点は目黒組
ライターとしての筆者の原点は20歳の時に大学のキャンパスで、日々の思いをエッセイやマンガにして書き綴っていた一冊の大学ノート「表題:目黒組」である。
プラットフォームとしての「目黒組ノート」は早稲田大学理工学部の学生ならば誰でも参加できて、好きなことを情報発信できるニッチなメディアだった。インターネットが無い時代には大学のキャンパスや喫茶店に、こうした落書き帳が、緩いコミュニティーを形成していた。
当時の私は目黒組の大庭幸生で活動していた。目黒組と並行して、早稲田大学本部キャンパスのロック研究会という同好会にも所属していた。
ロック研究会では、故・渋谷陽一氏を講師に招いたり、学園祭に出展したり、活動は活発だった。
理工学部の同級生にアスキー創業者の西和彦がいて、理工学部図書室を拠点として活動していた。
また同級生にブルースギタリスト吾妻光良がいた。吾妻は学園祭にプリズムの故・和田アキラ氏を連れてきて、ステージで壮絶なジャムセッションを繰り広げた。
理工学部には「フランクロイドライトを尊敬する学生の会」というサッカー同好会があり、早大高等学院時代のサッカー部仲間が数多く参加していた。建築学科に進学した森下君や工業経営学科の私もその一人である。
サッカープレイヤーとしては、私はペレとベッケンバウアーを尊敬していた。高校時代、国立競技場で日本代表の親善試合のボールボーイを務めたことがある。ボールを拾って、故・釜本邦茂氏に渡したことは、今も記憶に残っている。来日したペレのプレーを、グランド上で間近で見たのも、この時だった。
4.電話コミュニティーの魔力
大学院を出て就職後は、企業は海外進出と国内製造拠点の構造改革、ペーパーレスのOA化に全社をあげて取り組んでおり、コンピューターネイティブで、データサイエンスとプログラミングを得意とする筆者は引っ張りだこだった。
筆者の実家にはワープロ、パーソナルコピー機があり、そして運命のパーソナルFAX、留守番電話機、自分専用の電話回線を自室に揃えた。
なんのこっちゃとお思いだろうが、これは巨大な電話コミュニティー「NTT伝言ダイヤル」で活動する伏線だった。
伝言ダイヤルと直電で知り合った、見ず知らずの若い女性が、新宿のマンションに私を招いて、愛で結ばれる。こんな夢みたいなことが現実として起きていた。
朝も夜も見知らぬ女性や人妻から「お兄ちゃん愛してる。」と熱烈なラブコールがかかってきた。
FAXでラブレターを交換するというギャグみたいな生活が現実に起きていた。仕事から帰ってくると、自室FAXの感熱ロール紙に「お帰りなさいダーリン」で始まるラブレターが何枚も出力されているのだ。
幸せが物理的な質量を伴って存在する空間で、筆者は生活していた。
自由が丘や十条、武蔵小山、中野坂上、西新宿でのオフ会は、内容が強烈すぎて、個人情報保護の観点から、ここでは書けないことだらけだ。
当時の伝言仲間は「NTT」を「みかか」と呼んでいた。JIS配列日本語キーボードで「NTT」と打つと、かな文字「みかか」が入力されるからである。
伝言ダイヤルにハマると月々の電話料金が10万円とか、15万円行くのが普通だったので、「みかかのみかじめ料高い」と話題になった。
伝言ダイヤルコミュニティー上では、私はミャーケル、デーモン、お兄ちゃんの3つのキャラクターで活動していた。
音声と喋り方で人格が変わるので、マルチキャラクター活動は容易だった。今でいうアバター的な化身といえば分かるだろうか。
ミャーケルは名古屋弁、デーモンはエコーとコーラスでエフェクトをかけた声のロックスター、お兄ちゃんは永遠の16歳という設定で、楽しんでいた。
公衆電話からもエコーボイスで話せるよう、乾電池駆動のエフェクターとミキサー、マイク、乾電池駆動の小型パワードアンプスピーカーのセットをいつも持ち歩いていた。当時の私はエレキギターも所有しており、公衆電話内でエレキギターを弾きながら、エコーボイスをミックスして、伝言するという離れ業も実行していた。
当時は外部音声をLINE入力できるヘッドセット電話機も売っていたので、私は自宅にいる時は、プリメインアンプ、ダブルカセットレコーダー、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、サンプリング装置を電話機につないで、BGM入り電話、BGM入り伝言を楽しんだ。DJ気分だった。
電話する時に、ウオークマンのイヤホンを電話機の受話器に当てて、BGMを入れる技は、伝言仲間ほぼ全員が使っていた。
当時の伝言や直電の音声アーカイブが、マイクロカセットで何本も残っている。これを再生するために、私はヤフオクやメルカリで、マイクロカセットレコーダーを購入している。iPhoneで文字起こししたら楽しそうだ。
内容によるが、ポッドキャストで伝言ダイヤルの音声アーカイブを紹介する番組を配信してみたい。
伝言ダイヤル時代のマルチキャラクターや音声アーカイブは、いつか始めるポッドキャスト番組やYouTube番組で、使う日がきっと来るだろう。
当時の伝言仲間と対談形式で、音声アーカイブを深掘り解説する番組が作れたら、最高だ。
「この声、〇〇ちゃん」とか「このサークルに〇〇という名前で出てました」とか、大盛り上がりになると思う。
5.The Metal God’s Quorum
これはロブ・ハルフォードが、ジューダスプリースト脱退後に、Fight、2woというソロプロジェクトで活動していて、Halfordを結成する前の時点で、公式のインターネット掲示板を開設して、ファンの参加を呼びかけたことから始まる。
Quorum上では好きな楽曲やアルバムに関するスレが無数に立てられ、北米、南米、欧州、そして日本からは私KDことKing Dietmanが参加して、日夜メタル好きあるあるな会話を楽しんで、交流を深めた。
これがきっかけで私はロブ・ハルフォード、メタル・マイク、ロイZ、ボビー・ジャーゾンベク、レイ・リエンドウ、マネージャーのジョン・バクスター、ボディーガードのケインと知り合い、2003年2月のハルフォード来日公演で、バックステージに招待されて、楽屋で記念撮影したり、ケータリングを飲食したり、ステージ直前のフォトピット入りを許可されたりと、人生で二度とない経験をした。
Quorumメンバーとは、2004年のロブ・ハルフォードのジューダスプリースト復帰後、オズフェストやロイヤルアルバートホール公演への弾丸ツアーで、同じホテルで会って、親交を深めた。
この体験が、メタルギャグ漫画「メタルの絆と平和な日常」の制作につながっている。
7.まとめ
ご覧の通り、人の人生には必ず伏線がある。
私が現在、note記事を起点に、ポッドキャスト、YouTube動画、さらにはメタルギャグ漫画と、クロスメディアで情報発信出来るのは、すべて過去に伏線が存在するのだ。
私はクリエイターだが、自分がやりたいことをリサーチするような活動、自分探しはしていない。
怒りのマグマを記事にしたことが始まりだった。ある種の衝動が、プラットフォームやAIツールと結びつくことにより、頭の中の映像が現像されて出てくる感じなのだ。
次の展開として、Amazon KDP いわゆるKindle出版も準備を進めているところだ。
目黒組の活動としては終着点が近づいているが、私はインターネット上に、自分の化身を、デジタルアーカイブとして残す活動に、日夜邁進している。
以上
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