変わらないのは「書くことが好き」の気持ち
先週文学フリマ京都に行った。
基本、貧乏性のわたしだが珍しく散財した。
それはなぜか。理由は単純明快である。
買いたかったから。
本屋に行けば、書店員さんの直筆POPがある。
著者や編集者ではない第三者の「ここがいい」が書いてあって、それはそれで面白い。
けれど、文学フリマの決定打はそこじゃない。
本を書いた人が
・どんな思いで
・どんなことを伝えたくて
・どんなふうに読んでもらえたらうれしいか
を目の前で語ってくれる。
そんな話を聞いたらもうだめだ。抗えない。
「この1冊買います!」
このただ一言をいっただけで、心の底からの「ありがとう」が返ってくる。
まだ1ページも読んでないのに、こんな素敵な「ありがとう」を言える人の本はいいに決まっている。と勝手に思ってしまう。
そんなこんなで、気づけば10冊ほど購入していた。
1日に10冊も買うなんて、仕事でもなかなかしない。
さて、どれから読もうかなと思うところだが、電車に乗った瞬間、かばんをごそごそこねくり回し、取りだした本がある。
noteの旅で偶然出会ったKaoriさんの本だ。
正直いうと、10冊買った中で一番会話をしていない。しかも、予約しておいたので買うと決めていた本だ。
同じ「書く人」として、noteを通じて、勝手に同じ考えを持っている人だな~と親近感がわき、勝手にファンになっていた方だ。
出会いのきっかけはこの記事
ちょうど同じころ、某大手企業の案件の仕事がAIにとって変わられたのだ。さまざまな商材があり、その商材を売りたいターゲットに向けた課題解決記事、つまりSEO記事を毎月書いていたのだ。
はっきりいうと、そこまでいい単価ではなかった。ただ、長年お付き合いしていたこともあり、その企業の事例取材がとても楽しかったので、それじゃあという流れで書いていたのだ。
安いからといって手を抜いたつもりはない。提示されたキーワードをいれつつ、売りたいターゲットを想像して、自分がその立場の人ならどういう課題があるか、どういう内容なら興味をもつか、真剣に考えて毎回提出していた。
それだけに、
「生成AIを活用するように上からいわれまして・・・」
と言われたときのあの、行き場のない気持ち。
生成AIに負けた。これが世にいう、ライターの仕事はAIにとって変わられるということかとがっくりしていた矢先に出会った記事だったのだ。
と自分の話で1000文字書いてしまったが、とにもかくにもKaoriさんの「書く人の幸福論」を一番最初に読んだ。
ようやっと脱稿したとnoteで読んだときは自分事のように喜んだ。ちなみにこの時点では会ったこともない。話したこともない。けれど、勝手に親近感を持っていたので、もはや他人事と思えなかった。
は!これってストーカーの一歩手前か?!
それはさておき、電車の中で、ブックカバーもせずに読み始めた。
そして、予想通り、いや予想以上に共感の嵐だった。もうこうなってくるとゆっくり読もうなんて気持ちは吹っ飛ぶ。
電車の中も、バスを待っている間も、家に帰ってからも読みふけった。
といっても、そんなに分厚い本じゃないからすぐに読み終わってしまいそうだった。それが惜しくて4章だけ残しておいたのだが、やっぱり最後まで読まねばと最後まで読み切った。そして、今の自分の思いを残しておかなければという気持ちで今、これを書き始めている。
感想を一言といわれれば
「本当に書くことが好きで、書くことで幸せをもらっている人なんだ」
ということ。書くことがやめられない人ともいえる。
書いても書いても書いても、まだまだ書ききれない。
人生の最後の一瞬までもペンを持ち続ける人ではないかと思った。
それくらい、一文一文の行間から「書きたい」思いがあふれている。
よく生成AIが書いた文章は読む人が読んだらわかるという。
本もそうだ。書き手が書きたい、伝えたいと思って書いた文章は必ず伝わる。
この本を書くにあたり、構成を考えたり、文章を書き直したりと生みの苦しみはあったと思うが、この本を書いてて幸せを感じていることも伝わった。なにより、自分でとてもいい本ができたと思って書いているのがよくわかる。
ここでは書きながら泣いたんだろうな
この場面を思い出して笑ったんだろうな
というのがビシビシ伝わる文章なのだ。
いつもは同じ書く人として悔しいと思うところだが、今回ばかりは悔しいよりも、同じ書く人として幸せをおすそ分けしてもらった感覚だった。
この本は「ライターになるためのハウツー本」ではない。
けれど、ライターとして
・これから書く仕事をしたい人
・今、ちょっと行き詰まっている人
・続けるか、やめるか迷っている人
には、ぜひ読んでほしい。
そして、ライター歴うん十年の人、わたしみたいな人には、なおさら読んでほしい。
駆け出しの頃を思い出し、積み重ねてきたものが間違っていなかったと気づき、なにより「やっぱり、書くのが好きだな」と思い出せるからだ。
1章にこんな一文があった
ライターになって三十年近くたつがありがたいことに、何年やってもこの仕事は面白い。魅力がずっとあせない。
そうなのだ。当たり前だが同じ記事を書くことはない。常に挑戦の連続。苦しいけれど、必ずなにかを持ち帰れる。こんな職業ほかにあるだろうかと思っている。
あの行動や会話がなかったら、今のわたしは絶対にない
これははじめてKaoriさんが仕事を自分の力で得られたときのこと。
人の話に耳を傾ける、自分がやりたいこと、好きなことを人に話す、実際に動いてみる、すると誰かが自分を覚えていてくれて声がかかる。どの業界にも言えることだが、とても大事なこと。
わたしも実際に仕事につながったことが多々あった。
小さな奇跡を起こすのは、いつだって一歩前へ進む勇気
この言葉にも、何度もうなずいた。
第2章は取材で得られるもの、取材がどれだけ楽しいかが伝わってくる。
結局、わたしが日本酒ライターとしてそれなりにやれるようになった要因は、個人的な勉強でも人脈づくりでもなかった。ひとことでいえば「場数だ」
そうなのだ。よくどうやって原稿を書くのか?どうやって構成をたてるのか?聞かれるのだが、わたしの場合も勉強して得られたものではない。書いて書いて、真っ赤になって戻されて、悔しい思いをしてもまた書く。書いて書いて、書きまくることで今にいたる。
本当に嫌になり投げ出してしまう日もあるが、それでも必ず納期は守った。基本納期の2日前を目標にして納品しているので、
「ゆきんこさんは、スケジュールを守ってくれる」
と言ってもらえている。それが積み重なって、仕事が増えていったと自負している。
もう自分がいい記事を書けることはわかっていた
そのゾーンに入ったときの自信、ライターなら必ずある。いい勉強をして、いい問いをして、相手も目を輝かせて話してくれて、取材をしながらすでに構成案が仕上がっていく感じ。こういう取材ができたときは書く前から、もう書けた気がするのだ。
第3章は書くこととは一体なにか?が書かれている。
プレッシャーのかかる仕事とどう向き合ったか。
どんなことをいわれて嬉しかったか。
取材がちゃんとできていなかったときのことなども。
そこにこんな素敵な一文があった
「難しいっていいよな。挑戦しているってことだから」
ステキすぎる。すぎるって言葉をあまり使いたくないけれど、素敵すぎる。わたしは結構どころか、かなりのポジティブシンキングだが、それでもポジティブな言葉をかけられるのはうれしい。
難しい、しんどいと思っている時。いつか終わりがくるとわかっていてもワードを広げたまま、なにもできないあの時間。とても苦しいけれどそれを助けてくれる人がいる。そうわたしだ。
「あのとき頑張った」「あのときやり遂げた」「あの時成功した」そんな「過去の自分」があるから今も壁にぶつかったとき逃げずに頑張ることができるのだ
結局、しんどいとき自分を助けてくれるのは過去の自分。そのときの記憶が、今の自分を前に進ませてくれるのだ、
書くのがしんどくなるときは何度もある。けれど楽しかったときのことを思い出せばなんとかなる。掃除の方がいっていた、ときめくかときめかないかじゃないが、ときめいていればなんでも乗り越えられるのだ。
ちなみに、ときめかなくても捨てられないモノたくさんあるのはなぜ・・・
最後にとっておいた第4章は、ライターになることがゴールではなく、ライターとしての幸せな生き方が書かれている。
ちなみにKaoriさんの記事を読むきっかけになった、ライターはオワコンなのかもここに収録されている。
生成AI流れで、0から作るから楽しいんだよ!も共感の嵐。
真っ白い状態からどんどん形になっていくあの時間がとてつもなくワクワクするのだ。
わたしが思うライターの醍醐味とは
・知らない世界を知れる
・普段出会わない人に出会える
・恐ろしいほど知恵がつく
・人の思いを形にできる
・自分の痕跡を残せる
ちなみに「いい質問ですね」と、とある超有名人からいわれたときはもう天井ぶちやぶって月までいっちゃっうくらいうれしかった。
この方に取材依頼したとき、最初は断られたのだが、あきらめずに
「なぜ取材をしたいか」
を手書きで手紙をしたためて、その文章に自分でよっちゃって相当な枚数になったのに、それを勝手に送り付けたら、なぜか、インタビューを受けてもらえたのだ。そのときになぜインタビューを受けてくれたか聞いてみた。
「今時、手書きで手紙を送ってくるのも珍しいけど、あなたの熱い思いが伝わってこれで断ったら、僕は鬼だなと思ったから。あと、この文章を書く人ってどんな人だろうと興味がわいちゃった」
とにもかくにもライターになって苦しいこともたくさんあったけれど、それ以上に楽しい、うれしいことのほうが多かった。そんなライター人生を思い出させてくれたし、そうだ、昔はこうだったと初心を思い返してくれた1冊だった。
わたしはKaoriさんと違って書く仕事をしたくてライターになったわけじゃない。ワーキングホリデーでニュージーランドにいたとき、添乗員をしていたのだが、そのときに手書きで配った市内のみどころ紹介をたまたま見た人に
「あなたの文章はおもしろいわね。読みやすいし」
とほめられたことがきっかけで、誘われるままに始めた。
だからいまだに文章力も取材力も、胸を張れるほどじゃない。
けれど、熱意だけはある。
そして、この仕事をしたからこそ、また新たなことにチャレンジしようとしている。きっかけは、インタビューをした人から言われた一言だ。
「君はなにもわかっていない」
そのとき、はっとしたのだ。
「そうだ、わたしはなにもわかっていない!」
と。そのことに気づき、自分でやってやろうじゃないかと思っているのだ、
その挑戦のお話はまた今度。
ライターとして実績を積んでいる人も今からライターになりたい人も、ちょっとライター業をやっている人も、ただ文章を書きたい人も、いやいやそもそもライターでなくても、とにかく
「書くことが好き」と思う人はぜひ読んでほしい。
著者の何十年も前から変わらない「書くことが好き」の気持ちから幸せがもらえるはず。
そんな「書くことが好き」を思い出し、このnoteを書いている自分も今幸せな気持ちでいる。
そして、今度は自分のライター人生を振り返るエッセイを作りたい、そう思っている。
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