38歳の私が「なぜ勉強しなきゃならないの?」への納得できる答えを見つけて、小2長男と自信をもって向き合えるようになった
どうして勉強しなければならないのか。
長男が小学生になって、そのことを考えざるを得なくなった。なぜなら私は、「なぜやるのか」が自分の中で納得できてないと、行動に移せないタイプだからだ。
勉強なんて、子ども本人がやるものなのだからいいでしょ、と思われるかもしれない。でも、宿題など、どうしても親がサポートしなきゃならない場面が出てくる。
そんなとき、私は、「そもそもなぜ勉強するのか」を自信をもって説明できない自分が、勉強をえらそうに教える資格なんてない…と、どうしても長男の勉強にうまく向き合えずにいた。
「将来のために勉強しなさい」に納得できる子、できない子
「将来のために勉強しなさい」という言葉に納得できるタイプの子と、できない子がいると思う。私は昔、完全に後者だった。そのことを実感したのは年末に実妹と話していたときで、彼女は学生時代、「やりたいことがわからないのなら、ひとまず勉強して大学に入りなさい」と母に言われ、納得して勉強に身を入れたのだそうだ。
びっくりした。
だって、私にとってその説明はなんというかふんわりしていて、とてもじゃないけど自分ごと化できなかったからだ。
大学に入っておいたほうが選択肢が広がる、これはあくまでも、社会のシステムがそうなっているというだけであって、なぜ勉強しなきゃならないのか、その直接の答えにはなってないなと感じる。へたすると、「勉強じたいは将来役に立たないけど、仕方ないんだよ」とも受け取れてしまう。じゃあ、この世に「受験」が存在しなかったら? 人はみんな、勉強しなくてよくなるんだろうか。
長男は、なんとなく実妹タイプのような気もしている。でも、私自身が納得できないとこの先やっていけない。そう思って、記事を読んだり本で調べたり、人に話を聞いたりして考えてきた。
でも、心から納得できる答えには出会えずモヤモヤしたままだった。
人は「進化」のために学ぶ
私は20代まで全然本を読まなかったのだけど、子どもができて突然読書家になった(ライターの仕事を始めたのも関係しているかも…?)。なかには教育関連の本もあるし、エッセイや小説もある。純粋に、おもしろい。
私が読んだエッセイや小説の登場人物たちは、それが100年近く前でも、戦時中でもみんな、懸命に勉強しようとがんばっていた。
たとえば『アンネの日記』。アンネ一家は、狭い隠れ家の中で8人、物音を立てないように2年間生活するという過酷な環境にいたのに、お父さんが決めた毎日のスケジュールには学問(勉強)の時間が含まれていた。
どうしてみんなこんなに一生懸命に勉強するのか。その納得いく答えが、最近読んだ、この本に書かれていた。
ここからは私個人の解釈なので、正しくはぜひ安藤寿康先生の本を読んでもらいたいのだけど、人間は、進化して、生き延びるために勉強をする。(生物学の本なので、そうした視点で書かれている)
地球にはさまざまな生物がいるけれど、その中で「教育」をするのは、ほぼ人間だけだそうだ。ここでいう教育とは、子どもが大人の動きを目で見ておぼえるんじゃなくて、大人が子どもに説明し、教えてあげること。
キリンやシマウマは、生まれてすぐに走って敵から逃げることができるけど、人間は生まれてすぐどころか5年経っても6年経っても子どもだけじゃ生きていけない。そのためには、大人が子どもに、教育をする必要があった。
もちろん大昔はそれが「勉強」じゃなくて、生活の知恵だったりしたのだけど、人間は学問を生み出した。生物として生き延びるために、必要だったから。
その学問を極めた一部の人たちが、科学や医療など、人類の発展に必要なものを生み出したのもあって、人間は、絶滅せずにここまで進化してこられた。そんなふうに、私は理解している。
(くりかえしになるけれど、正しくは安藤寿康先生のご著書で!)
ここからは上記以外の本の知識も交じっているのだけど、「勉強」の概念が広まるにつれて、ある程度まとまった人数を一斉に教育する必要がでてきた。そうして始まったのが、学校教育。これが、おおよそ200年前。
▲教育の歴史を、わくわくしながら学べた本
この学校教育、最初は画期的なものだったそうだけど、今はその古めかしさが問題視されていると思う。
でも、すくなくとも日本の「教科書」は、先人によって代々改訂され、磨き上げられてきた代物。学校教育のすすめ方は変える必要があるけど、教科書の内容じたいは、人間にとって必要な知識だからそこに書かれているのであり、きちんと学べば、人類の進化に貢献できるのだな、と知った。
長男はきっと、気にしないのだろうけど
この「人類の進化に必要だから」というのは、私にとってわかりやすい、納得できる答えだった。というか、こんな大事なこと、どうしてもっと早く教えてくれなかったの! と反発をおぼえてしまったくらい。
どうして、大半の仕事は「なぜやるのか」を明らかにしてから進めるのに、勉強は、小学1年生の時点で、「なぜやるのか」をわかりやすく教えてくれないのだろう。
私みたいなタイプの子は、「人間はこうやって進化してきた。その中に勉強あったんだ!」と言ってもらえるだけで、へ〜、そうなのね! と思えるかもしれない。途中で勉強がめんどくさくなっても、「はぁ〜あ、でもやらないと、人類が滅亡するかもしれないのよね」と、思えるかも(?)。
とにかく、今はすっきりしている。「なぜ勉強するのか」がわかったから、長男の勉強も、自信をもって見てあげることができる。肝心の長男は、そんなこと疑問には思わない気がするのだけど、いいのだ。私自身が納得しているのと、いないのとじゃ、全然ちがうんだから。
ちなみに「習い事」も同じで、そもそもなぜやるのか、どんな歴史で始まったのかを知らないから、「やめるべきか、続けるべきか」みたいな小さなことで迷ってしまう。習い事についても、これから、納得いく答えを私は探すのだろう。子どもの成長に合わせて、こういうのがどんどん出てくるのだろうな。
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