カルキ・ウィスキー ナイト・ウィンド・スペシャル
夏の中休みという感じで、暑さ係が仕事にも飽き、怠けているような夜風のよい気配から、宵闇が窓辺に忍び込んで来るのを見逃して、ロックでウィスキーを飲んでいる。
親分である夏が急に休暇するもんだから、月も星座も、夜鳴きの虫も鳥も猫までもジッとして闇に張り付くような静けさ。
あまりに静かで、ウィスキーの味もよくわかる。
夜の静止が味覚を加速させ、舌に氷の健気な冷たさがやってくる。
ああ、ロックでビター。
などと格好つけて言ってみたい気分ではあるけれど、氷からカルキ臭がする。
気にならない時と気になる時とがあって、今日はどう考えても気になる夜なのに、
「知るかぁ!」
「こんな夜は珍しいんだから時間も惜しいだろう!」
と買い出しも面倒だから、そのままウィスキーグラスに製氷機の小さな四角い、あの誰でも知っている色気のない氷をカランカランと入れた。
嫌な予感はしたけれど、結局カルキの味がした。
カルキミックスと命名して、ブブ漬け代わりに出すカクテルにでも認定しようかと思うような味。
それでも喉を詰まらせながら飲み込み、ビニール人間やAI脳に直接なったような人工感覚。
ああ、何を書いているのかわからなくなっている始末。
私はいつも記事を書こうかと思うときに、
「なるべく、本当に可能な限りどうでもいい、バカみたいなことを書こう」
と考えている。そしてそれはほぼ失敗する。
内容はいつもバカみたいで、その点からは成功だろうけれど、理屈っぽい自分や考えている自分というものが出ていることで失敗だという気がしている。
私が書いているものはそういうものじゃないつもりで、結局読まれるものは、私から見ても何か考えているものになる。
本当のバカみたいなものは書けないで、願望ばかり先走りしている。
そうかといって、今回の冒頭のようなものを書くと、本当に何もないというときもある。
詩人を自称している誰かが自信をもって筆を振り回しているような素振りになったり、つまりは詩になっているものとなっていないものの区別が本人の認定だけに拠っているというような文章が生み出されることもある。
「カレーです!」と言われて豆煮を出されて、「そういう時代か」と言うしかないような。
どうでもいいものを書きたいという願望がある一方で、真面目にある程度の説得力でもって書きたいときもある。最後には裏切るつもりでも、裏切りまで含めてある程度の納得で書くということで。
それで今回も本当は、冒頭のようなものを書くつもりもなく、J・ディーバーの短編集をたまたま読んだから、その創作術について思うところがあったのだけれど、こういう娯楽作家の創作方法はいつでも現代のよくある受賞作の批判になりそうで、ちょっと書きやめた。
簡単に言うと、
① まずは読者にある定番の形を連想させる
② 別の定番をぶつけて、最初の定番が誤解だったことを知らせる
という型になる。
例えば、手短に示すと、ある女性が夫を失ったように描く。
それで出会いを求めて新しい男性と会う約束をしている。
その男性も一定以上の魅力を持っている。
読者には男が人を殺す場面が示される。
女性には騙される危険と殺される危険があることで、読者は読み進める。
最終的に二人は会って、女性はこの男に元夫の殺害を依頼する。
これは夫を失ったということも、それから新しい人生を歩むことも定番で、新しい男に会う期待にも誘引がある。
殺人請負人というものも日常的ではないけれど、そういうものがあるということは大体の人は物語上では納得できる。
つまりはどちらも実際には日常の延長、概念的にすでにあるもの、それらが最初の読者へのインプットを裏切るという配置になっただけ。
もっと圧縮して言ってしまうと、
みんなが感じていそうなことを言語化して、それの順序を物語的に組みなおすことが作家の仕事になっている、ということ。
この変形で、作家が書き続けている現代という気がしている。
「それじゃないだろうぅ。頼むよぅ」
と作家を貶めたいような、地位をまともなものに戻したいような、アンビバレントというと大げさで、ただ言葉が追い付かない感覚で、世に溢れている小説を眺めている。
パチンコの当たり口に吸い込まれていく少数と、排出口に落ちていく多数がほぼ同じ玉に見えて、それでも入ったほうが賞を取る。パチンコは続いていく。
依存を脱却する段階はもう過ぎた。
なんだかここまで書いてみて、言いたいこともない。考えなかったことにする。
夜風があまりに微かで穏やかだから、読む人も優しいような想定を勝手にして書いてしまっている。絹のような気配に寄り掛かり頭を預けている。
一方で対岸に人間を想定してもいないのかもしれない。
思考を風の隙間に流し込んだり、頬に当てたりして、たださらさらしている感触を確かめているだけかもしれない。
言葉が流れていることだけが必要な時間で、そのために書かれたのか。
書くときにバカみたいなもの、つまりは意図のないものを書くつもりでいる。
論旨というよりも、綾が巻き込まれていく様子があるという感じになるだろう。
説得力も論理ではなく、感得のようなもので、そこでズルをしているかもしれない。
少なくとも一般的な論理の上では通用しないことで納得を生み出そうとしている。
これはどういう文章だろうか。
認定は読者に任せるけれども、ソフビ人形のように手を振る私を不憫に思うならば、成立していることにさせて欲しくもある。
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