芸術は政治から独立すべき?
どうもyukiです。
今回は乗り遅れた感が否めないですが、物議を醸した宇多田ヒカルさんの新曲について一考してみたいと思います。
注意:本記事では賛否の分かれる政治的な内容を取り扱います。私自身はどちらの意見に立つこともせず中立として記載するよう努めますが、偏りを感じざせてしまう部分があった場合はご容赦ください。
歌手が夫婦別姓を支持!?議論を呼んだ新曲の一説
今回の議論の発端となったのは宇多田ヒカルの新曲「Mine or Yours」の一説
令和何年になったらこの国で
夫婦別姓OKされるんだろう
に端を発します。日本での夫婦別姓の導入については長らく、導入をめぐっては議論が続けられており、推進派からは「結婚に伴う各種サービスの名義変更の負荷軽減」、「プライバシーへの詮索の回避」などが挙げられており、否定派からは「家族内で姓が異なることでの子供の人格形成への悪影響」や「伝統的な家族の形が崩れる」が挙げられています。
名乗り方からみる文化差
「あなたは誰?」が主眼の西洋 VS 「どこの人?」が大事な東洋
英語をはじめとした西洋で使われる言語では名乗る場合、名・姓の順に名乗ります。これは西洋ではその人がどのような人であるかを基調とした文化圏であり、姓はあくまでいる場所を示すためのものという背景があります。実際、宇多田ヒカルさんは生まれはニューヨーク、現在はロンドンを拠点に生活をされているということで、西洋的な文化の影響を強く受けてこられたのだと思います。
反対に東洋で話される言語では、姓・名の順に名乗ります。これは東洋の文化が「どこのものであるか」を基調としており、個人よりも「どんなところにいるか」が重要視されます。確かに、中国や韓国では夫婦別姓は実施されておりますが、子供が生まれた場合、その子は必ず父側の姓となります。これはある種、奥さんを自分たちの共同体から弾き出し、共同体の純潔さを保持しようとするものとも考えられます。
昔は芸術も政治活動の一種だった
今ではご老人の嗜みのように扱われてしまう演歌ですが、日本における演歌は明治時代の自由民権運動から始まったとされています。つまり、市民権獲得に向けた政治活動が演歌の始まりなのです。
当時は天皇主権、今よりもいろんな制約の多かった時代です。この時代は改革的な政治アピール=天皇批判とされ、かなり厳しく取締られていました。そこで、演説の内容を歌っているようにすることで、我々がやっているのは音楽活動であり、政治活動ではないという体にしたわけです。
より細かくいろんな文化圏の芸術を辿れば政治と因縁浅からぬものもあると思われます。そんな観点で芸術を勉強してみるのも面白いかもしれません。
さいごに
いかがでしたでしょうか。今回の一件ですが、少しでも政治的なことをアピールすれば誰それは右派だ左派だというレッテルを貼られかねない状況でこの曲を出されたのはとてもすごいなと感じます。
また、今後どうなるかは置いておいて、今回の件で、これまでこの手の議論に興味を示してこなかった人たちが夫婦別姓論を知ったり、興味を持ったりするいい機会になったんじゃないかなとも感じています。自分の頭で考える、この曲から私たちが一番学ぶべき姿勢はこれなのかもしれないですね。
